2022年、6月28日の室内楽レッスン。
また、自分はぴよぴよだと再認識する出来事が起こった。
音楽は、少し出来たと思うと、すぐそれを制止するようにお咎めが来る。
先週から、一小節、一小節楽譜の意味を考えるぞ、と意気込んでいた。
ルーズリーフに○小節目○○なイメージ、と書き込みをしていっていた。
これで大丈夫、これできっと弾けると思った。
当日の室内楽レッスン。
先週の続きから始まったレッスンは、四分音符が長い、テンポが揺れてる、付点が短いと細かな指導があった。
後に、それらの訳は全て、自分の音楽との対峙が足りなかったということに落ち着くのだが。
あるフレーズにかかった時、先生は問うた。
「ここはあなたにとって何?」
自分にとって、ここは何を表しているところなのだろう。
1週間、問うたはずのことがなかなか出ない。
言葉に詰まった。
"自問自答"が足りない、んだな。
「そこが今のあなたのウィークポイント、やるべきことかもね」
本当にそうだった。
数回レッスンをしてもらった先生に、12年間悩んでいたことを言い当てられた、まるでそれは占い師に「あなたはこれが辛かったんだよね」と言い当てられるようなものだった。何故か喉仏ら辺が熱くなった。
12年間、何かつっかかっていた。
これが音楽をしている、ということなのか?甚だ疑問だった。
吹奏楽部の時はそれほど感じなかった。
むしろ、ああ音楽をやっている、という実感があった。
しかし、ピアノになると途端に音楽をしている実感が無くなった。
「ここはどう弾きたい?」
幾度となく問われることはあった。
しかし、根拠を提示する術もなく、なんとなくこんな感じ?と顔色を伺うような様だった。
"自分の解釈って何なんだろう"
音楽を勉強する者らしからぬ悩み、問い、が自分の身体のどこかで引っかかっていた。
「なんだか、きっとずっと引っかかっていたんじゃないかな。今での自分を変えたかったら、やるべきかもね」
そう言われた時、悩みを言い当てられた自分は、涙が流れそうなのに気づいた。
「プロの音楽家に、明確な自分の解釈がない人は居ないんだよ」
当たり前のことなのに、自分はそれが出来ていなかった。
「一人で考えようとするんですけど、なんか出てこないんですよね」
相談じみた口調で、いつの間にか吐露していた。
「ピアニストはいつも一人で練習してきたから、一人で何かをやり遂げがち。そんな時は、仲間とやれば良いんだよ。一人で考える練習もして、仲間から新しい観点をもらう。特訓だよ。でも、これは方法論に過ぎない。一番大事なのは...」
一番大事なのは。
間を空けて、先生が話し出した。
「一番大事なのは、それをする意志があるか。いくらこうしたら良いよ、と言われてやっても意志が無ければやるだけになってしまう。いくらやっても意味がない。意志がある人はね、方法論に囚われず、どうにかやるんだよ。」
気持ちの整理が付かない自分は、まるで自分に意志が無い、と言われている風に聞こえ、悔しさに打ちひしがられそうだった。
「もし自分だったら、とにかく何故、と問いかけて、書き出していくかな」
絶対にやってやろうと思った、もっと今以上に問いかけようと思った。
自問自答、得意だろ?
しかし、音楽には答えがないというが、それは正しいものが何もないということじゃないか、と思うことがあった。
それについても言及してくれた。
「僕らがやろうとしているのは、実際、モーツァルトがどう思って曲を書いたのかの正解を出すことじゃ無い。史実を証明することでは無い。自分の解釈を探すこと。それを伝えること。しかし、伝えると言っても自分の解釈を丸々伝えるのでは無くて。何か、この何かを伝えるんだよ。何かが伝われば良いんだ。そのためには、自分のイメージを深掘りして深掘りして、演奏しなければ到底伝わらない。自分でも腑に落ちていないものは伝わらない。」
指のトレーニングの先生の言葉を思い出す。
「理解していない音楽をよく弾こうとするね」
いつの間にか、解釈には何らかの正解があると思っていたのかもしれない。
無意識に、正解を見つけなければ、と思っていたかもしれない。
ついこの前の教育実習で、「音楽には正解はありません、自分の納得いく感じ方で音楽をしましょう」と話していたのに、見習い先生よ。
自分の納得の行く解釈を問うて、問うて探し出すんだ。
時に一人で、時に複数で、時に次の日に、時に一年を経て、"自分の"解釈を確立していくんだ。
「僕は一回こんなレッスンをやってみたことがあるんだ。ある一枚の絵画を見せて、これについて何でも良いからルーズリーフ一枚に書いてごらん、と言った。みんな、絵に書かれている人、物などを羅列していった。すると、描かれているものはもう全て書いてしまった。次は何を書くか。人が複数人いたら、その人たちの関係を想像する。次は?今度は画家はどんな気持ちで書いたか、を想像する。」
ふと気づく。
「そうだね、どんどん絵から離れるね。あなたが今やるべきはそれなんだよ。」
そうやって初めて、音楽が出来上がる、という訳か。
「ここは何を表している?って話すのは、本当はもっと楽しい時間なんだよ。僕らはクリエイターなんだから。こうやって色々考えて来てくれると、多分内容の濃いレッスンが出来ると思うんだ」
申し訳なかった、もっと、もっと対峙しなくては。
では、指のレッスンで感じ取った、「これか」という感覚は何なのか。
あれは、多分音楽の序章でしかないのだと考えた。
自分の出したい音を出す感覚を得た、先生に助けてもらいながら何とかそれらしい解釈を見つけた、それがやっと3年のあの夏に出来たのだ。
そして、今まで自分が一生懸命溜めていた知識についても、先生は言及した。
「知識はね、得れば得るほど、自分の見える世界が狭くなっていくんですよ。何故なら、知識は誰かが教える物だから。自分で見つけた物、経験したことではないから。」
知識、本に書いてあることに根拠を求めるのではなくて、自分に問いかけよう。
「美術館でさ。もしかすると、美術品じゃなくてその隣の説明文を読んでいる時間の方が長かったりしない?それを読んで、その知識と美術品を照らし合わせて、ああなるほど、なんて素晴らしいんだ!って思うのと一緒かもしれないね。本当に自分が思っていることじゃ無いよね。例えば、雑誌を読んで、この服かわいいって言うのはどこかに書いてあるから思ったの?自分で感じたんだよね。それを楽譜でもやれば良いんだよ」
優しい例で説明してくれるその先生は、間違いなく自分の音楽人生の中で大きな存在になってくれる、そう思った。
社会人になっても、そういう人や環境に囲まれて高みを目指したいと強く思った。
先生はそうして、あるドイツの先生の言葉を添えてレッスンを終えた。
「自分の中にある、もしかすると自分も知らないかもしれない秘密の自分部屋に入るために、そこへ繋がる階段を降りるお手伝いをしましょう」
自分も未だ見えていない、自分の中にある感性・感覚を深掘りしてあげなくては。
出来なかった自分への悔しさと、今まで何をしていたんだという不甲斐なさと、これまでこのように音楽をしてきたことへの恥じらいと、色々積み重なったものが頬を流れ落ちるのを堪え切って、そうしてレッスンが終わった。
トイレで静かに泣いた、そんな今日であった。
友達に連絡をして、慰めてもらった。
このようなことがあるから、音大の友達は絆が固い。
「そうだよね、わたしも同じようなことあった」
そうかぁ、同じようなことがあったかぁ、心強いな、一緒に頑張っていこうなと思っていた時。
今朝、授業の前に「あ、どうも」と挨拶を交わしたあの人がいた。
零れ落ちる幸せなため息。
挨拶してから練習室行こうかな、と声に出し、友達と少し駄弁ることにした。
「先生、どうも!」
その瞬間、きっと先生と話し終えた後、今以上に元気が出るのだろう、と確信した。
「おぉ、今朝会ったね。あぁ、あなたは教育実習から帰ってきたんですよね」
きっと、これからの会話で元気が出るんだ、自分は。
「...はぁ、あの、先生に話したいこと沢山あるんですけど....先生にいざ会うとそれらが消滅するんですよね」
本当にそうだったので、笑いながらそう言った。
すると友達が「好きな人みたいじゃん」と大きく笑った。
まさにそうかもしれないと思いながら、「いや違くて!」とよく居る大学生のように振る舞った。
「よくあるよね」と言う先生は、何も分かっていない。
友達が、おすすめのラーメン店は無いか、と話しかけた時、自分はその間に一番言いたかったことを思い出した。
会話が落ち着いた時、さも今思い出したように言った。
「...あ!あの!髪、切ったんです。どうしても、言いたくて」
今日は珍しく自分の気持ちがダイレクトに出る。
「あ、あぁ、今朝挨拶した時に雰囲気変わったなぁと思いましたよ、前も言ってきたよね」
笑う先生。よく覚えてるなぁ。
すると友達は「似合ってると思いますか?」と良きボールパスを回してくれた。
「あ、あぁ、素晴らしいですね」とまた含みを入れたのか入れていないのか分からない返しをしてきた。
「そういえば、どうやら決まったらしいじゃないですか、何か風の噂で将来のことについて聞きましたよ」
自分が言いたかったこと。
ずっと言いたかったこと、それをあの人が促してくれた。
「....!そうなんですよ。どこの会社がわかりますか?」
「それまでは知りませんねぇ...。」
「出版です。音楽関係も楽譜もやってます。主軸は教育です。....○○ですよ!」
「凄いじゃないですか。そういえば、この前そこの道徳の教科書を買いましたよ。お世話になってます。自宅には、そこが出してる図鑑がびっしり置いてあります。小学生の時によく読んでいました。あれらが無ければ今の私は無いですね」
やっぱり私の選択は間違っていなかった。
自己分析をして、どこの会社なら自分を発揮できるか、どこの会社なら自分の、この特に4年間で得たアイデンティティを活かせるか。
そして、どこなら、あの人が喜んでくれるのか。
どこなら、胸を張って、ここに行きます、と話せるか。
全部先生のおかげなんですよ、また。
まだ、社員では無いが、先生の言葉が嬉しかった。
そして一番大切なことを話した。
「いつか先生の本を出版します!」
自分の夢の一つだ。
この言葉は、俺の味噌汁を一生作ってくれ、と同じくらいの愛の告白な訳であって。
自分の強いメッセージだったのだけど、分かってくれていないだろう。
「おぉ。その時は、お願いします。丁度ね、自分は博士論文が...」
どうやら、出版したいものが本当にあるらしい。
いつかできるように頑張らなくては。
自分の夢追い物語は卒業してからも続きそうだ。
あの、小学生の時、絵本みたいな本で読書感想文を書いた自分が。
活字を見るだけでうんざりしていたあの自分が。
本の会社に入社する。
他でも無い、あなたのおかげなのだ。
「それとこれからは、デジタルとグローバルのニ軸ですから、自分は英語を頑張らなきゃいけないんです。」
「グローバル、そうかぁ。出来たら英語、教えて下さいよ」
「...えぇ!...もちろん!それはもう、もちろんですよ。」
もちろん、こちらは準備が出来次第すぐにでも。
「そういえば、この前○○駅のコワーキングスペース行きましたよ」
「あーあのちょっと高いところね!私も行きたいんですよぉ。あとちょっと値段が安ければねぇ。さすが、○○は違いますな」
「やめてください、まだ入社してません」
そんな冗談を交えて、久しぶりの会話を楽しんだ。
それらは全て、自分の傷を癒やし、次への活力になっていった。
先生と別れを告げた後、友達とお気に入りの先生ランキングの話になった。
自分のランキングを聞かれた時、お気に入り一位は誰だと思う?と問いてみた。中々答えが出ず、あの人だよと答えを話した。
友達は「えー!悪口言ったりしてるから、気に入ってないと思ってた!」と言った。
ばかだなぁ、これはよくある男児小学生と同じ現象だよ。
自分は天邪鬼な男児小学生、好きな人を目の前にすると話したいことが消滅するように。
帰りの電車と夕飯の後の深夜、5000字越えを書き終えた。
今日言いたかったことは3つ。
自分には、己の意識や考え方を変えてくれる良い先生がいるということ。
この環境、感覚、機会は社会人になったら無くなってしまうのかな、という危惧。
そして、あの人はいつだって自分が大変である時に現れるということ。
本当は室内楽の話を主に置いて綴りたかったが、どうしてもあの人のことになると自分の筆は弱い。
あの人がいるからこそ、頑張れているので。
自分への慰みに、神が与えてくれた先生との雑談の時間は、どう考えても自分を癒やした。
救世主のように現れ、この前みたいに自分を救ってくれた。
必然的にさ。