250507
最近、全てのことが変わり始めている。
あ、ちなみにジョイナスで先生を見かけた。
奥さんといた。
面食らったけどもう大丈夫です。
それより自分は今恋をしているんじゃないかと思ってる。
しかも夢見てた国際恋愛。
え?自分大丈夫そう??
めっちゃきゅるんってしてるじゃん。
めっちゃ写真見返しちゃってるじゃん。
かなり浮かれてしまってるから、戒めるためにもロマンス詐欺を念頭に置いている。
ロマンス詐欺でなくても、ただのお遊びの可能性、日本でのお遊びの可能性を捨てていない。
まだ傷は浅い,はず。
にしても羽田での「もう一生会えない」みたいな別れ方、横浜駅でありえるんだなぁ。
道端で2人で踊っちゃうんだなぁ。
あんなに「わ、行動キュートだった!」って都度伝えるんだなぁ。
こんなにお肌つるつるなのに「お肌がつるつるだね」って誰も伝えないの?ってそんなこと伝えるわけないだろ!って感じだよなぁ。
しれっと何も言わずにうちのサングラスの汚れ取ってくれるんだなぁ。
列に並んでる前のその前の家族の写真を、率先して撮りに行ってあげるってことあるんだなぁ。
全て新しくて、そんな世界あるんだなぁって思った、ベトナムと同じ感覚。
日本は好きだけど、日本の感覚がスタンダードじゃない世界が確かにあることを今年は多く感じてる、まだ5月なのに。
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0512、最後の夕飯を共にした。
自分は会う直前に2粒薬を飲んで万全を期した。
川崎で待ち合わせると再会のハグとキスをした。
歩いている時も
なんだかんだ手を触ったりキスをしようとしたりするので何をやってるんだと言ったら「I can't help it」とただ伝えるだけだった。
そんな素直な言葉があるだろうか。
自分は前より緊張していなかった。
とにかく6ヶ月後なんだ。
Potential wife?
どうなってるでしょうかねぇ
20241224
見なくても良いものをわざわざ見に行って、見たのを後悔する
自分が未だになんやかんや引きずっているのを確認する
話すのが好きだなんて言わなかったじゃん
聞いてるのが専門だって言ってたじゃん
アザラシもどこかにいったし
自分はインスタントに欲を満たしているし
もうスッキリしていたんだけど
ふとした時に、ね
本を作る仕事 〜始まりの2023年から〜
この仕事に対する考えや、仕事のステップアップに関することを書き溜めようと思って、今日8/29に「2408〜」として記事を作ったが、どうやら前の自分も同じことを思っていたようで、この記事がdraftとして残っていた。
だから、ここに書くことにする。
2023 9月
本配属から2ヶ月がたった頃。
本配属直後、自分は研修でよく言われていたことをしっかりと実行しようとシステム作りに精を出していた。この仕事はどれくらいでできているか時間を測り記録、日々のニュースをまとめるデータベースを作り、そんな中でもああいう情報を貯める必要があると気づいた時にはまた別のデータベースをせっせせっせと作っていった。やっぱ自分はまとめることが好きなんだなと思った。
この頃自分は、会社での人と人との関係に違和感を覚えていた。さっきまであんなに楽しく話してたのに、会議や自分の作業になると急に他人事みたいな空気を漂わせる。
昨日の歓迎会ではあんなに柔らかい雰囲気が出ていたじゃないか!と、雰囲気に敏感な自分はすぐその違いを感じ取った。
しかし話しかければ常にピリピリしているわけではないことに気づき、仕事が大変なんだな、集中しないといけないんだな、と思うようにした。
友達、先輩、家族、先生...という関係の羅列に、仕事仲間という新しい関係が入ってきたんだなと思った。
仕事仲間←NEW!
2023年10月
自分でも仕事に慣れた、と思っていた時期。
2024年9月
仕事の仕方について、課長に指摘された。
「で、どうしてほしいの?私はあなたの企画相談者じゃないよ、あの人はこう言ってた、あの人はこう言ってたって、結局決めるのは自分だよ?」
指摘してもらって大変ありがたい。
自分はここで対人の仕事の仕方、対応等を変えようと思った。
こうやってどんどん社会の仕組み、組織とはどういうことか、理解して、慣れていってしまうんだろう。
本音と建前を理解していってしまうんだろう。
自分の会社特有の優しい雰囲気に惑わされて、仕事のやり方を間違えることがある。
気をつけなくては。
しかし、そういったことに慣れてしまうことにも、同じように気をつけなくてはいけないと思う。
どこかで、ありのままの自分であるこの感覚を忘れないようにしなくてはいけない。
スーパー編集者の企画支援シートには「沢山考えなくてはいけませんが、考えることが大事です」と書かれていた。
これを考えると企画がブレないという先輩、これは音楽と一緒じゃないかと、ふと電車の乗り換え時に思った。
音楽も、自分の解釈がバレているプロはいないと言っていた。その自分の解釈を作るには考えること。そして、考えるだけではなく感じること。
これは、編集になると考えるだけではなく動くこと、になるんだろうな。
それは著者に会いに行くことや、書店に足を運ぶことなんだろうと思う。
ある時、就活の時に集めていた資料や、調べたもの、それらを見返した。
こんなことがやりたい、と溢れんばかりに書かれていた。
仕事というのは難しい。
夢追い物語だけでは実現できない、現実を意識しすぎると途端につまらなくなる。
やはり自分は音楽をもっと広く、自分が音楽を撫でていた時期に思っていたこと、それを超えて掴もうと求めた時に感じたことを本にしたためたいのだ。
忘れちゃいけない、とはいえ日々がある、どうすればいいか。
やはりやりたいことは日常で考えて、そのプロセスは会社で考えるなど、そこには現実的な対応が必要だ。
でもそれはできる。
自分ならできる、という気持ちと勢いをもう一度感じるために、日々を生きねば。
240925
飲み会でよくこんな話が出る。
「監修者はこうやって巻けばこうできますよ」
僕はやっぱりもっとクリーンな気持ちで仕事を任せたいし、そんな裏をかくような仕事のスタンスはいやだなと思ってしまう。
OJTでお世話になったおじさん先輩からは、こんな話聞かなかったな。
編集じゃないからかな、そもそも気持ちの持ちようが違うのかな。
今度会った時に聴いてみたい。
20241025
書籍の奥付に自分の名前が乗る、そんな本が12月に発売になる。
今丁度再校を確認している最中だ。
最近は朝型にシフトしようと思って23時には寝て6時半に起きて、少しピアノで精神統一をしてから出勤することを目標にしている。
それで今朝8時46分発の電車でこんな文を書いている。
お得意先との定例会に初めて出た。
いかにも営業らしい名刺交換から始まって、暗い声質の言葉が続く定例会に、自分の新刊紹介ではいつもの自分で臨んだ。
異動してしまう営業のあの人はちょっと前からおもしろいと思っていたけど、異動の挨拶が終わると先輩は「このサイトだねぇ」、「ほらこれピアノのページ、ここ」など構わず自分に話しかけた。「いやこの雰囲気で普通に話しかけるのおもろ。笑」と思いながら笑顔でリアクションをした。
そこから初お接待、という名の普通の飲み会だったものに行くと、なんだみんな人間じゃないかと思った。おもしろいおじたちだった。
自分がサザンの初期楽曲の名前を挙げて、これが好きなんだと話すと、先方は「え世代じゃないでしょ!?」と相当びっくりしていた。
自分は湘南ガールである旨を伝え、楽曲の魅力をシェアすると、それは嬉しいわぁと喜んでくれた。
自分から趣味を合わせることはしないけど、いや、多分できないんだけど、自分が好きなものは意外と古いことがあるからその時は素直に好みをシェアをする。
翌日になるとありがとうメールをみんなそれぞれが送り、メールボックスが溜まり、またビジネスが始まった。
そんな中、おもしろい先輩が「あれ、昨日話してた曲ってなんだっけ」とDMしてきた。
自分はニコニコの笑顔になって曲目を伝えた。
「帰りにゆっくり聞いてみます」
わざわざ曲目聞くのおもろいな、先方のためかな、いやそんなことしないだろうな、自分がただ気になっただけじゃないかな。なんて思いながら、キャリア的には上の年下から注意されて「あそっかそっか」といつも答える先輩の様子を思い出した。
おかしかったなぁ。
自分を下の名前で気軽に呼んでくれる先輩。
美大出身だというがやっぱりへんてこなところがあって良い。
今度曲の感想聞いてみよう。
話盛り上がるかな。
C dur言葉には御用心だけど。
20260330
4月半までに来期に向けて企画を出さなければいけない。
イマジネーションを掻き立てるため、書店に赴かなくては。
前までは、書店に行けば「これの要素とこれを掛け合わせて、こんな要素を入れたら面白いかも!」と思えていた。
今はどうだろう、何も湧いてこない。
先輩社員には、そんな時期もあった...と昔を懐古する人がいた、自分も今はそういう時期というだけ?いや,違う。長い時間をかけて、自分の中で感じてきたものがある。
これは一過性のものじゃないのでは?この仕事をしている限りもどかしさを感じながら通らない企画を提案し続けるか、もしくは自分の中で折り合いをつけて迎合企画を提案するか。通らない企画を通すのが一人前の編集者というなら、自分はそういう者になる前にギブアップをしてしまう、「だったらそこまでしてこれを作らなくても良いや、別に日本全国に伝えたいわけじゃ無いし。友達のためにちんまり作るので良いや」そんな気持ちで企画をすぐ取り下げてしまう。
この間まで食い下がった哲学企画は、興味のある分野だったのと、作るのが簡単そうだったからだ。自分が作ってやろう!と意気込んだからでは無い。音楽の年間企画もそう、どれだけ先の制作スケジュールが見通せるアンパイな企画かどうか、自分の軸はいつの間にかそうなっていった。
弊社は、こんな状況になってもめげないGRIT力のある社員を求めているんだろう、こんな状況でも学び続け、かつ、それを仕事に還元できる社員。自分はGRIT力があると思っていた、音大のころの自分を見たらそりゃああるはずだと見えるはずだ。だが、あれは環境もある程度自分のGRIT力に加担していたのかもしれない、環境の怖さを自分はよく知っている。
今は4月中旬というリミットがあるが、自分はその本を担当することにはならないから、どんな突破な企画でも良いはずなのに、どうだろう、出てくるのは迎合企画のみだった。
迎合企画を通しても何も楽しくはない、それがたとえベストセラーになったとしても、何も楽しくない気がしてならない,ベストセラーなんか出したことないのに。
この間スーパー編集者の座談会があった、彼の仕事のやりがいはミリオンセラーだった。自分は多分、ミリオンセラーに執着して努力することができない。それが原動力にどうしてもならない。やるべきことは知ってる。毎日書店を見て、売れた本をまとめて、自分なりに分析して...大学でもやってきたことじゃないか。
しかしやり始めても、すぐ続かなくなってしまった。これは仕事だから?みんな嫌々ながらも踏ん張ってやってるだけ?自分には踏ん張る力が無いだけ?
唯一、この企画だけは面白い・自分がやりたい誌面を作り上げようと意気込んだ企画が一発で通った。当時は嬉しくて、この企画を作るために自分はこの会社に入社したのかもしれないと思えるほどだった、ある種の清々しさがあった。
しかし、最近になって刊行予定の9月が迫り、スケジュール的に間に合わなそうになってきた。いよいよ課長に相談して、テキストをどう作るか、どうやってこだわりを捨てるか、を打ち合わせることになってしまった。自分の集大成と言いたい企画さえも、どんどんおもろくなくなっていく。やはり自分も、スケジュールスケジュール言っといて、結局は著者サイド、こだわりを捨てられない、こだわりを実現できないものはどうでもよくなってしまう厄介ないわゆる芸術肌の人間なのだと思った。
このブログの記事には、会社の難しさにぶち当たりながらも前向きに捉えようとする自分、音楽との共通点を見つけて進んでいこうとする自分がいた。今はそれも無い、これは「慣れ」ということ?ここで踏ん張らなかったら、次のところでも踏ん張れない、自分の思い通りにいかないことなど沢山ある、わかってる。わかってる。でもどうしても突破口が見つからなくて。
自分は、ここでは、頑張れなかった。
どんどん企画がおもろくなくなってく。
どんどん社会に迎合していく、自分の良さだったチャレンジ精神が削ぎ落とされていく。
それと同時にそれにも負けないGRIT力がある人が大成するのだということも分かってる。
でも、このフィールドでは自分はそのタイプでは無い、やっぱり環境もある程度は大事なのだ。
自分自身がGRIT力がないわけではない、ただ、この環境で発揮できないだけだ、そんなはずなんだ。
仕事が忙しい中でも、過去の自分のためにピアノコンクールに参加し、未来の自分のために英語とイタリア語を勉強し、教員就職に精を出している。広く見ると頑張れているのに、会社の中だとどうもだめみたいだ。加えてこの間の哲学ライターの依頼事件も、未だに課長を動かすことになって引きずっている。
今日、藤沢駅まで歩いてみたけど、桜が咲いてた。でもため息だよね、環境を変えたとて、自分は前みたいに頑張れるんだろうか、それが一番の懸念点なのかもしれない。
20240712 一時代を築いてくれた人だった
昨日今日とで色んな心情の変化があったり、仕事への理解が深まったりしたのだが、今日という日が終わって1時間経った頃、5年間で一番驚くことが起きた。
特別な【】カッコつきのその文言を見た時、本当に心臓の速度が分かりやすすぎるくらいに上がったのを感じた。
ドクドクドクドク、こんなにも驚きが音になって表れるのかと。
しかし涙は出ないし、もがくほどの苦しさもなかった。
ただ何度もつぶやきを閉じては、見返してを繰り返し、過去の想いに耽った。
本当に色んな思い出と言葉、感覚が蘇る。
あの時言われた言葉、感じたこと、あの人の存在、全てが自分を確かに救ってくれた、変えてくれた。
音大での日常に温かい喜びや、胸が高鳴るようなスパイス、目標への活力...色んな要素を与えてくれた。
キリンジとスネオヘアーを流せば、日々努力のため足を踏みしめた感覚、練習室の窓から友達が見えた時の喜び、疲れて4階で休憩をしながら先生を待っていたあの夜、全てを鮮明に思い出せる。
あの日々で感じたことや、そこから延長して今も感じ続けていることは無くならないが、今日のつぶやきで確かに何かが定まった。
これからもう会えないかな、いやきっと会おうと思えば会えると思う、でも会ったら辛くないかな、いや辛いなんて感情はきっと起こらないだろうな大人になったんだしな、どんな人なんだろう、前話してたマッチングアプリを始める始めないというのと関係してるのかな、哲学系の人なのかな、とまぁ夜1時なので色々考えが巡った。
こんなにもあっけなく、夜なんとなく見たSNSで、大きな音が出るわけでもなく、物事の収束どころは決まってしまうのか。
5年前の、中学の元同級生のことを思い出す。
あの時は、苦しくて苦しくてたまらなかった。
今、苦しみはない。
思えば、事実を知った今でも哲学への興味は薄れてなさそうだし、学びへの意欲も減ることはなさそうだった。
そうか、あの人は、そういった次元をたしかに超えて関わってくれたのかもしれない。
そんな次元を超えた影響を、自分に与えて残してくれたということは揺るがない事実だった。
今日から、自分はどうやって生きていくんだろう。何を頼りに、何を励みに、何を大切に自分の中にしまって歩み進めていくんだろうか。
全く検討がつかなかった。
「形を変えていきながら、学んでいくんだ、それしか無いのだ。」と何年か前に気付いた自分に、やっと未来の答えを伝えることができる。
本当に文字通り、形を変えていきながら、進めるしかないのだろうな。
一つの時代が静かに次の時代へと変わっていくのかもしれない。しかしあの頃も今も感じているものは無くならないということを確認しながら。
苦しさがないことは、良いことかもしれない。
本当に美しいまとまり方をしたのかもしれない。
でも自分が哲学にのめり込む時、何か真理に触れられそうになった時、その度に自分はあの人にこの意気を伝えたくなってしまうんだろう。
どうしても、一つの終わりだと、心の中でカウントしそうになる。
こんなにも色濃く思い出が残っているのだ。
しっかりとテキストベースで過去を思い返そうと、ブログを読み返す。
どうやら過去の自分は、未来の自分に対する仮の答えを用意していたようだった。
「しかし僕はその禁断の恋愛みたいに聞こえるのを信じたくはないし又、たったそれっぽっちの存在にしたくはない。それを超える何か大きなものとして位置付けたいんだ。」
もしかすると、過去の自分は賢明だったのかもしれない。
「あの人は自分の一時代を築いてくれた人だった。」
今、大きな衝撃と静かな喪失感を包み込んでくれるのはやっぱりこの揺るぎない事実、ただ一つだけだった。
それから数日経って、大学の友達と電話した時。
「先生が、トプ画の画家、有名だからきっと探せますよって言ってたじゃん、あれ、分かったよ!」と言ってきた。
「リポスト見たら奥さんのアカウントが出てきてさ」
「へぇ〜!」
知ってる。
「そこからインスタ飛んだらトプ画の絵が出てきてさ!奥さんが描いたものなんだよあれー!」
「え」
知らなかった。
もう出会った時から行方は決まっていたのだ。
美術が好きになった私、調べていったらこの元画に出会えるはずですよと言われて夢中で美術にのめり込んだ。
その画家と出会えたのは本当に最後の最後だった。
私は奥さんの作った先生のアイコンを愛で、二人の共作の本を勿体無いと読まずに大切にしていたのだ。
どこかの誰かの斜陽のように、5年間の答え合わせを、究極の形で今、行ったのだ。
これから自分は、あとから分かることが多かったからあの5年間があったのだと感謝し、先生が残したものを自分は確かに栄養にしながら生きていくに違いない。
数日後、先生の誕生日がきた。
スーッと気持ちがフェードアウトしていくのと同時に企画の打診ができる気がしてきたので、誕生日メッセージと共に企画のお誘いメッセージをしようと決めていた。
すると、返事が返ってきた。
先生は色々なものと共に「結婚しました(似合わないと怒られそう」とメッセージを送った。
先生は、怒るんじゃないかと予想していたんだな、やっぱりそうやって見えたのだな。
自分はそんなことするわけないと思いながら、「似合わない怒祝」とだけ送った。
それだけであったら自分は少し諦めた様子でいただろうが、違った。
次のメッセージには、自分の思い出深い場所が引越し先であることが書かれていた。
それは先生によく「ここの珈琲屋がいいんです」とメッセージを送っていた珈琲屋がある町だった。
言ってくれた珈琲屋に入り浸る日々だと言った先生の元気な文を見て、「あぁここから新しい、進化した自分が紡ぐ日常が始まるのか」となぜだか思った。
自分が送った構図と似た、同じ場所の先生の写真。
それだけで、もう豊かであった。
たしかに、昔も今も、豊かであった。
あの色々な思考を張り巡らした珈琲屋の思い出を明るい未来と繋ぎ合わせ、これからの心の持ちようを示してくれた。
たしかに自分と先生は、良質な時間を共に過ごしたのだという実感とともに、会社で一人、なんとも言えない幸せなため息をついた。
心地よく過去の思い出を振り返る昼下がりのデスクだった。
20240711 シゴトって何ですか
2024年7月。
本配属が決まり、自分の場所を与えられてから1年が経ったらしい。
まぁこの間の4月に自分は爆速異動をしたため、実際気持ちは1年生だが、とにかく1年が経ったらしいのだ。
最近色んな変化があったのはもちろんだが、違う部署を経たから気づくこともあった。
子供と大人のムックの勝手は違うこと。
チームの年齢層が違うと話しかけやすさも大きく変わること。
今のチームは赤字の入れ方がとってもデジタルなこと。
言葉への厳しさが違うこと。
チーム体制もサポート体制も場所によって違うこと。
幼児雑誌の頃は、雑誌を作ることにほぼ専念していたため、自分の企画はそれほど進めることができなかった。
しかも、あの頃自分は反逆者だったので大人向けの企画ばかり出していた。
チーム内の温度感を気にすることにも神経を使っていた。
あの時は、まずは子どもものを1冊出して売れたら大人向けを作れるようになるかもしれない、など考えていたっけ。
実際企画は一つも形にならなかった。
色々企画は出すものの、壁が高くて当たっても砕けるだけだった。
何か1つは形にしなきゃ、と焦りを感じていた。
そんな前の部署で、唯一形になりそうなものがあった。
先輩との雑談レベルで出てきた企画だったが、上手くすれば売れそうなものだった。
しかし自分はそんなに対象物について知っているわけではなかった。
先輩がいるなら、と徐々に走らせた企画だったが、運悪く自分が部署異動をしてしまい、先輩という後ろ盾がいなくなった。
しかし先輩が意気込んでいた企画だったので、自分一人でも頑張ってみようと最初は思っていたのだ。
最近、それが少しずつ動いてきた。
動いてきたならしょうがないと思い、自分を鼓舞して分からないながらも情報収集や資料作成をしていた。
すると、明日の午前に企画会議がなされると言われ、早く進めないといけないと思っていた自分は「出します」と伝えてしまった。
運悪くその日の夜は飲みで11時近くまで東京にいて、家に帰り、早めに起きて朝6時から在宅で資料を作り込んでから、出社した。
台本も作り込み、よくやったと思い会議に臨んだ。
会議が終わると反応は上々ではなかった。
これで売れるのか、誰も判断材料を持ち合わせていないようだった。
自分の企画をチェックしてくれた先輩も、あまり頭を縦に振ることはなく微妙な反応であった。
これを用意したらいいんじゃないか、これもあるといいんじゃないか、と案は色んな編集者が沢山出してくれたが、決定打にかけるような空気感だった。
しまいには、部長から利益シートの必要事項を入れていないことを指摘され、なんだそんなことも必要なのかと聞いていないことを沢山浴びた30分間になった。
部長から利益関係のシートが送られた。
分かんない。
見方が分からないよ。
自分でなんとかしようとしてもやはり分からなくて、でも丁度みんながみんな忙しそうで、自分はいつまでたっても企画を通せず、本の作り方も最初から通しで一人でやることができず、1年経っても利益シミュレーションの見方さえ分からないやつになっているのではないかと思って呆然とした。
頑張ろうにも先が見えずに会社で初めて目が潤んだ。
パソコンの前で力なく倒れ、もうなんだかやりきれなくなってきた。
「全然相談しに来てください」と言ってくれたチームリーダーを思い出した。
意を決してメッセージを送ったら、すぐ時間をくれた。
とにかく色んなことを知っているから、色んなことを教えてくれた。
裏側をたくさん教えてくれた。
「突撃したら顰蹙を買うでしょうね〜」とほんの少しだけ笑いながら話すリーダーは、最初の印象とは全然違う。
気難しい人だと思っていたし、相談は出来るだけ乗りたくないタイプだと思っていた。
めんどくさいことには出来るだけ触れたくないような。
真逆だった。
世話をよく焼いてくれるし、度々「何かあったらすぐ相談してください」と伝えてくれるし、話は的確だし、洒落も効いているし、言わなければいけないこともしっかり言ってくれる。
自分は今悩んでいることを打ち明かし、「興味のないこともやらなければいけないだろう」という部分を強く伝えて、訊いてみた。
すると「それは良い考え」とさらっと言って、つらつらとアドバイスや世の中の回り方などを伝えてくれた。
今の企画には壁があることを忠告してくれる中で、「ふ、まだこの本やってんだ」とか「○○って○○だよね」というような箸休めを何回か挟んできた。
これはリーダーの大きな特徴だ。
そこで今まで真剣にアドバイスを聞いてた自分は「ふ」と笑いながら話を反芻することができた。
そして最後は「まぁ本当に大変だったら辞める勇気も必要ですよ」と伝えた。
雑誌チームの仲が良い先輩と目が合った。
いつも目が合うと雑談をしだす。
自分は相談じみた格好で色々話し出した。
好きではないと自信が待てない、そうなると企画も通らない、というプロットらしい。
確かにそうかもしれないのだ。
話の流れで、企画への熱がすごいと絶賛する先輩の資料を見せてくれた。
自分の好きなことだけをする、で良いんだろうか。
確かにそうやってずっと編集をする人もいるが。
そしたら好きなことしかできなくならないだろうか。
もしやそれはそれで良いんだろうか。
幸せなことだ、で良いんだろうか。
自分はただ情報を集めることを怠っているだけなんじゃないか。
コアなファンは沢山いるはずだから調べても無駄だと思って、放棄しているだけなんじゃないだろうか。
こんなことで企画をやめてしまったら自分にはグリット力が無いという結果になってしまうんじゃないか。
一体「好きなこと」って何なんだろうか、どこまで知っていたら「好き」ということなんだろうか、企画書を作り込んで根回しもして企画を通し抜くことが出来るまでの「好き」だなんてそんなに何個もあるものなのだろうか。
チームリーダーは自分をよく気にかけてくれていること。
自分の顔もよく知らないのに同情してくれて「一生懸命サポートする」と伝えてくれる優しい人がいること。
やっぱりあの若い先輩は過去の担当者の尻拭いをよく頼まれてしまうこと。
自分の好きなことを高い熱量で伝えて、周りの人がその熱に負けて企画を許可し、その人は結果まで出してしまうこと。
色々を含めて自分はどうしたいのか、それだけではなくどうした方が良いのか、選択したことをどう正解に仕立て上げるのか、果たしてそんな方法はあるのか。
20240611 朝6:52、ふっと感覚がよぎった
朝6:52。
そんなに早朝でもない朝活を始めようと起きた。最近、ベッドのスマホ目覚ましだけじゃなくて、机にもう1つ目覚ましを置くとすっと起きられることに気づいた。
妹に前そんなアドバイスをされていたが、疑心暗鬼で実践していなかった、やっぱり人からアドバイスされたことは1度やってみるのが吉だ。
今朝はすっと起きられたものの、リビングに降りる気力が沸かなかったからTwitterを眺めた、今でも自分の中ではTwitterというSNSアプリだ。
久しぶりに先生のつぶやきを見た。
この間、夜風に吹かれながら歩いていたら、無性にいきなり電話をしたくなった、してしまおうかと思った。
でも先生はこの間つぶやきで、プライベートの時間も新たな原稿執筆の時間もない、と喘いでいたからやっぱりやめた。
というかそのファイトメッセージを送ろうと思っていたんだけど、少し元気が出るか迷惑か一か八かだったからやめた。
たまに先生のことを思う。
まだ、思う。
そうやって、いつまで思い出すんだろうと嫌になることがあった。
前、先生を思い出すことを抑制しようとしたことがあった。
結果的に、そんな無理にやめようとすること自体をやめようとした。
人生の恩人を無理に忘れる必要はない。
ここ数日は少しその無理に忘れる、もしくはあの時の感覚が離れていくような日々だったかもしれない。
忙しいからではない、思い出すのがいやだからではない、日々の仕事には優先順位があって、ノルマ的なものもあって、それを遂行することに意識が向いているからかもしれない。
そんな日々だった今朝、先生のつぶやきを遡っていくと、ふとあの頃の感覚がよぎった。
大学でピアノの練習をして、おやつにエネルギーチャージとしてコンビニのチキンを食べて(これは今の腹囲にしっかりと反映されてしまっている)、帰りの電車で先生のつぶやきを漁る、自分も先生の感じたものを追体験して、昔の世界と今の世界を俯瞰して思いに耽って内省して気づきを得る。少し変態的だったかもしれないけど先生の日々の気づきや、先生が紡ぐ文が自分を確かに救った。
たまに先生が自分のことについてつぶやいてくれると、嬉しくてたまらなくて、それがまた次の学びの意欲へと結びついた。
先生のつぶやきは、自分の活力であった、しかし今もそうなのだと気づいた。
自分についてつぶやいていなくても、ただただ先生が日々思うこと、気づき、専門をpursuingして物事とものごとをintegrateする様が、自分の憧れる姿なのだ。
そんなふうに清々しく思っていたら、つぶやきに、「モモ」が出てきた。6月1日、この間だった。先生から未だ返されていない自分のモモ。
そうだ、今の自分にはあの頃のように、ある種研究に没頭できる環境がある。
幸いなことに、仕事をしながら追求することができる環境がある。
絶対に逃さないで、ものが出来たらやっぱり先生に献本するんだ。
「これから作る全ての作品は、先生のおかげで作れたもの」だと。
このことは忘れてはいけないし、忘れたかと思うと必ず頭の片隅にあることに気づいて、スネオヘアーを流しながらこんな文を綴り出して、文章への感度が少し高くなったんじゃないかと嬉しくなるのだ。
元を辿れば全て先生とあの日々のおかげで。
20240524 置き土産はインシデント
2024年5月23日(木)。
編集事故を起こした。
しっかりとインシデント報告するようなミスは、今回が初めて。
しかも表紙だ。
しかも、自分が関わる最後の作品だった。
色々とお世話になった先輩の恩を、仇で返すような終わり方。
本誌で修正をした部分が、表紙に反映されていなかった。
「連動して変わる部分」を探すのは結構難しい。
どうにかシステム化しないと日々の忙しさでやり切れない気がした。
とにかく、なぜ気づかなかったんだ、と何度も悔やんだ。
昨日はお詫び等の対応で忙しくて、お昼もお腹が空かず、夜は一件を忘れたかのように友達と夕飯を食べ、しかしふとした時に悔しさや申し訳なさが襲ってきた。
いたたまれなくなって、今朝、音楽チームのパートナー的な先輩にオンライン会議冒頭40分くらい相談をした。
いつまでたってもミスが減らない話、美しい構成を考えられない話、情報の提示の仕方が下手な話....。
先輩おじは、「よくやってるよ」とはげますため色々な例を挙げてくれたり、声をかけてくれたりして相談に乗ってくれた。
あの人はお酒を入れるとセクおじになるが、普通にしてたらとっても頼れる良い人だった。
「まだまだこれからだよ」という言葉に、自分は成長を急ぎすぎなのかもしれない、かもしれない、と思った。
少しだけ、ほんの少しだけ、心が軽くなってフロアに戻った。
雑誌の先輩は、誤植対応に頭を悩ませていた。
やっぱり申し訳ない。
自分ができるところはできるだけ対応して一旦お昼に行った。
お昼に行くと、なんだか力が抜けてしまって、午後は何にも手に付かない予感がした。
予想は当たった。
何をするにもパフォーマンスが下がっていて、時間がかかるわミスが出るわでもう帰った方が生産的だった。
折角だからと思って、どこか近くのカフェに行こうと思った。
今は本にアレルギー反応が出そうなのに、何故か神保町に来た。
本がある。
たくさんある。
全部表紙は正しいんだろうか。
この沢山の本の中に誤植は必ずあるだろう。
人間だもの。
古本屋で嬉しそうに本を漁るサラリーマンがいる。
古い文庫。
自分のミスが広く知れ渡る。
実用書であったら、教科書であったら、自分のミスで間違った知識が広がっていくのだ。
その恐ろしさの一片を感じたのだ。
そんな恐ろしさに一人やられそうになっていた時。
通知が来た。
「....!ここでもやってしまった....」
誤植対応で、友達と美術館に行く予定をキャンセルしたのだ。
それに連動して、レストランのキャンセルをしなくてはいけない。
「連動して変わる部分」