nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

20240401 新しい部

1年前の今日は研修の初日だった。

 

今年もそう。

きっと今年の新入社員も今日が研修初日、新しい人生の始まりだと同じようにドキドキしているに違いない、もしかしたら途中で帯状疱疹になるかもしれない。

 

社員と言うのに違和感がなくなり、明日会社いかなきゃと言うのが板についた。

そんな自分は今日から新しい部に所属になる。

大人の学び事業部の、音楽編集チーム。

 

4月3日になって、音楽チームで3日間が過ぎた。

この3日間で、色々な著者さんとの顔合わせや打ち合わせがどんどん決まっていった。

音楽チームの編集担当で、正社員は自分だけになるということで、引き継ぎも含め、

色々任されることになりそうだ。

大人向けの、美しく、尚且つ分かりやすい本を作りたいと熱望していたちびちび部門の頃。

しかし実際に、しっかりとした著者さんとの打ち合わせがバンバンと決まると、物怖じしてしまう。

今思えば、幼児雑誌編集は、ただただ子どもたちに楽しんでもらえる雑誌を作る、雑誌をあけるワクワク感を提供する、そんなかわいい夢のある仕事だったのだと、今更ながら。

隣の芝生は青い現象なのだろうか。

だからといって前の部署に戻り切るのは、惜しい気がしているが。

 

4/3は、音楽チームでの初めての定例会やら打ち合わせがあった。

エンタメにいた頃とは空気感が違った。

女性陣は普段はほわほわしているが、懐疑では鋭い声質の方々なのだと思った。

男性陣、といっても社員は一人だが、彼はやはり真っ直ぐな方で、間違ったことがあると声を張って問題を指摘する。

自分は「そんなに声を荒げなくても・・・」と思う箇所がいくつかあった。

果たして毎定例会がそうなのか、今回がたまたまなのか。

様子見をしていこうと思う。

 

そういえば、幼児雑誌での初めの頃でも、「みんな冷たい・・・?」と寂しさを覚えたものだった。

今思えば、みんな冷たいわけではなく、仕事に集中しているだけだったということもあった。

今では居心地の良い場所になったんだ、きっと今も大丈夫だろう。

 

今年はTOEICを受けたいし、音楽のスペシャリストになりたいし、ピティナステップに1回参加したい。

新しく始まる、この変わり目を大事にしなくては。

大学の頃みたいに、がむしゃらに、変に余裕ぶらずに、努力だぞ。

20240216 反逆者

自分は恐らく反逆者だ。

 

 

いや、これは研修のあのエグゼクティブと同じことに陥ろうとしているのでは無いか?

与えられていることはやっていると思っていたが、定期誌だけではなく、幼児向けの企画も期待されていることなのではないか。

そしてフットワークの重くなっている先輩の足になることも、自分に求められていることなのではないか。

こうなったら、ギャフンと言わせるとびきりの企画を作ろう。

色んなところに出向いて、自分だけにしか出せない何かを作ろう。

知らない環境にいるのなら、自分から知っていけばいいのだ、ずっと大学で思ってきたことでは無いか、自分から知ろう。

2024年1月

20240125 私はいつまでこうしているだろう

 

私の誕生日が終わろうとしている。

今日の朝、起きると小学校の先生からメッセージが来ていた。

毎年誕生日にはメッセージをくれる。

ありがたいことだ。

 

その次に来たのは、あの先生からだった。

きっと2年前に、先生から誕生日メッセージが来ただなんてことがあったら、それだけで自分は天にも昇る気持ちになっただろうと思う。

今は、次はどんなメッセージが来るだろう、どんな風に経路を敷けば望み通りのプロットになるだろう、つまりはどうやったら次に会う約束ができるだろうかと、画策している。

噛み付き得るメッセージをつけて、お礼を言った。

先生は何も噛み付くことなく、素敵な1日をと決まり文句で朝のメッセージを締めた。

そのメッセージを見たのはちょうど自分が電車に乗って出勤していた頃。

今日1日、どんな1日になるだろうか、あまり素敵な1日にはならなそうだとも思ってしまった。

 

会社に着くと、いつもは出ないあくびばかり出て、完全にテンションがダダ下がりだった。

そんな中、同期とのいつもの楽しみランチタイムが来た。

同期の一人が、「そういえば、今日、バースデーガールなんだねぇ!」と話してくれた。

そうなんだよ〜と、周りの同期もお祝いしてくれた。

なんだかんだ、人間は祝われると嬉しい生き物だから、今朝のことは少しだけ忘れられた。

 

楽しくお昼を食べて、同期と歯磨きをしたあと、自分だけ戻ろうとすると

「あ待って、これ!はい!」と自分の好きなマカロンを渡してくれた。

まさか、自分はトイレで誕生日プレゼントを渡されたことが無く爆笑してしまったが、

同期もトイレで誕生日プレゼントを渡したことが当たり前だが無く、同じように笑っていた。

 

喜びながらフロアに戻ると、先輩がニコニコしながらすれ違った。

「今日誕生日なの、なんで言わないの〜〜」

どうやら、自分が社用携帯を忘れた時交換したLINEで、誕生日が分かったようだった。

「今朝言いたそうな顔してたでしょ〜〜そんなことない〜〜?も〜言ってくれればお昼一緒に行ったのに〜、はいこれ〜」

スタバのチケットと、自分の世代のたまごっちがデザインされているじゃがりこをもらった。

いつもテンションが高い先輩だが、今日はとびきりテンションが高く、二人でゲラゲラ笑っていた。

周りの先輩たちも、おめでとうと声をかけてくれて、なんだ誕生日の会社も悪くないなぁと素直に思った。

 

自分の仕事に戻って、着々と仕事を終わらせる。

そろそろ帰ろうかなぁと思っていた頃、先輩が「今日は早く帰りな〜〜」とまた声をかけてくれて、遅く来た今日だがもう帰ることにした。

今日は帰りにカフェに寄ってゆっくり読書をして帰ろうと思っていたから、どこにしようかと考えていた。

まず、前先生が言っていた今日発売の哲学テキストを買おう。

報告はしないけど、いつか報告しよう、そのために買うことにした。

 

準備は万端。

どこのカフェにしよう。

大崎。

先生が好きだという大崎。

ダメ元でもなんでもないけど、何も期待することはないけど、大崎のスタバにしようと思った。

調べると、実は2店舗中1店舗が閉業ということが分かった。

言わなければと思い、いや、言えると思ったのかわからないが、とにかく伝えた。

特に期待したことはなかった。

誕生日のメッセージが来たのにそっけないだのと思ったり、ちょっとした話題があったらすぐ伝えようとしてどうにか経路を敷こうともくろんだり。

でも最近は全部うまく行っていない。

素直に誘える勇気があれば。

 

そんなことを思っていた、あと1時間で誕生日が終わろうとしていた時。

高校の時のある人から「おたおめ」とだけメッセージが来た。

たしか去年も、その前も、メッセージは無かった。

なぜ今なんだ。

すぐ蘇る高校の日々。

LINEの一つ一つのメッセージ。

あんな風に素直に誘えたらな。

昔の彼の努力と勇気を思う。

このメッセージに返事をした後を想像する。

想像するところまで想像して、それからメッセージを打つ。

と同時に、自分はこんな感覚をただ楽しんでいるだけなのだろうかという懐疑が起こった。

 

もうあと数ページで読み終わる、先生から借りた本の主人公の名は、「鐐平」だった。

 

 

20240202 満遍なく行き渡る質問ら

 

なんだろうこの感覚は。

自分はあるいは集団の会が苦手なのかもしれない。

 

知らない先輩とのご飯会。

みんな優しそう。

本当に、優しそうで、本音を隠してすらいそうである。

 

自己紹介タイムからしますか、と始まった。

覚えてもらいやすいように、いやむしろ覚えられるように、思い出すのに苦しさが伴わないように、キャッチーな自己紹介をした。

序盤はいじるようなコメントをしたり、場にスパイスを投げかけようとしたりしたが、おや、これは求められていないかもしれないと思って途中でやめた。

自分は完全に傍観者、聴衆になり、そしてたまに発言者となった。

スパイスから程遠い、それこそ「当たり障りのない」ことを並べる後半であった。

これは自分の本領ではない。

そう思いながらみんなの空気に合わせていった。

 

自分の先輩は近い仲間と話す時も、大衆がいる時も、どちらも変わらず盛り上がるし、馴染んでいくし、気がきく。

大衆に受ける話もある。

良いような質問をするスキルも、自然にか、努力してか、身についているようだった。

 

たまらなくなって、たまにスパイシーなことを言うと、否定せず受け入れようとしてくれる雰囲気を感じた。

柔和なのだ。

優しいから、一度ボールを受け取ってくれるから、鋭いことを言えなくなる、否定されるわけではないのに、漂う空気に共感が少ない様、やりづらく、絶妙に辛い、憂う。

先輩は、似たようなバイブスな人だと思っていた、しかしやっぱり違うのかもしれないと感じることがある。

自分はもっとマイノリティなのだ、これは完全に誇っているわけではなく、後ろめたさが香る控えめな誇らしさである。

 

恐らく自分はお見合いなんぞは向いていないだろうなと思った。

それぞれの奥底で密かに思っていることに目がいきすぎて、息が詰まってしまいそうだ。

良い顔ができないのだ。

 

気を遣って場を回す、あの明るい人もやりたくてやっているわけではないのだろうきっと。

満遍なく人に話題を振っている、自然な流れではなく、自然な流れに人工的にしようとしたそんな流れ。

でも自分がいざ回すとなったら。

そうしたらやっぱりみんなに質問が行き渡るように対応するだろう。

 

自分の評価に関係ない人となら、「この人に気を遣えない人と思われないように気を遣おう」という思考にならないはずなんだ、きっと。

評価される場とは、どうしてもこうなったしまうのだろうか、それとも島国故の風潮なのだろうか。

未来の自分には、こんな世界もあるよ、と今の自分に伝えられるように世界を飛び回ってほしい。

2023年10月

○2023年10月27日

 

退勤の電車で、先生から借りた小説を読むのが心地良いです。

スマホでドラマを見ている時より、窓の外を見ている時なんかより、

随分豊かな気持ちになれます。

自分で選んだ本では味わえない、特別なものを味わえるのです。

最近、いよいよ仕事に慣れてきました。

慣れてきた、と言う日がとうとう来ました。

「その日が来た」は、俯瞰した視点を持ち合わせないといけない合図です。

慣れてはきた、しかしきっとまだ知らないことばかりですけど。

ところで、先生はなんでこの本を私に勧めたのですか?

編集を考えてほしかったから?自分のバイブルだったから?

先生がおすすめする本は、どこかものがなしいです。

私の知らないことの方が、先生には多いに決まっていますね。

あれだけ暑い暑いと言っていたのに、世の中はもうすっかり肌寒くなってきました。

研究室のエアコンも、きっとこの気温では要りませんね。

この間、初めて行った神保町。

本嫌いの私が行くはずのないところです。

今の私にとって、神保町は居心地の良い場所となりました。

中国の本屋があったり、専門書の本屋があったり、古本屋なんてのはそこいらじゅうにあります。

先生とあのカフェに寄ってみたかった、神が阻みました。

初めて企画して創る、最初の一冊は、自分にとって特別なものになります。

それは、先生の前に出しても恥ずかしくない一冊でありたい。

こうやって浪漫を求めて、何を作ろうかと苦しむのです。

先生がいなかったら、私はきっとすぐ思いついた企画を出していたでしょう。

そうではいけないなと、その本に何かしらの意味を持たせたいのです。

勇気を出してもらった薬は、じわじわと底をついてきました。

いくらか試しに飲んでみたのです。

やっぱり効果はありました。

本番は来ませんが。

アザラシはいつもこちらを見ています。

しかし効力が弱くなっている。

もうすっかり自分のロッカーに馴染んできてしまったのです。

もっと異質でいなくてはいけないのに、自分も。

最近、2回ほど先生を誘うメッセージを送りました。

あまり色いい返事ではなかった。

たまたまですか?私の存在が薄くなっていますか?

私が貸したモモも、覚えていないですか。

あれだけ大切に読まずにいた、先生から貸してもらった小説を、

とうとう最近読み始めてしまいました。

モモの感想を聞くまで、読むまいと思っていたのに。

この本を返したら、最後になりますか?

 

忙しさが敵ですか?

他のものが敵ですか?

それとも、時間の経過とその他もろもろの諸事情によって、自然に薄れた結果がこれですか。

これが物事の自然の流れですか。

 

 

○20231031

 

先生から貸してもらった本を読んでいる時だけは、安らかでいられた。

 

そう思った今日の朝。

もう、これでいい、穏やかに、先生から借りた本を読む、次の本が現れなかった時は、先生が出した本を読めばいい、そうやって、細く先生の面影を感じる本たちを読んでいればいいと。

そう、清々しい朝に思っていました。

 

それは、忙しなく校正作業をして、お昼になる前だった。

「今日大崎行こうか考え中」

と、先生から急にメッセージが来たのだ。

メッセージを見た瞬間、会社で嬉しさが止まらずにやけてしまった。

 

「17:30には仕事終わらせようと思ってます」と素っ気なく返したが、僕は確実にそわそわしていた。

しかしそれは想定済み、お昼はいつもよりゆっくりとしながら、食べられた。

大丈夫、僕には薬がある、ついに、これを試す時がきたのだ。

17時くらいを回ると、そろそろお腹がそわそわしはじめ、変な汗が出たり、急に熱っぽくなった。

しかし僕は、薬を飲めばそれが和らぐことを知っている。

この薬による僕の守備範囲の広がりによって、今までの、長い闘いが終わろうとしている。

18時を少し過ぎたくらいに、会社を出た。

薬を飲んだからか、少し眠気がある、効いている証拠だ、安心する。

 

大崎のスタバにいく途中、僕は本当にこれから先生と会うんだろうかと疑う気さえしていた。

それくらい薬の効きは良く、まるで雲の上を歩いているかのようだった。

先にスタバに着くと僕はコーヒーを頼みにカウンターに行った。

いつも食べるワッフルがあった。

どうだろう、しかし今日は今までと違うと思い、ワッフルも頼んだ。

コーヒーをテーブルに置くと、そろそろ先生が来る時間だった。

見渡すと、先生らしき人がいた、僕の前を通ったのにきょろきょろしながら僕を探している。

僕はしばらくその様子を見ていた。

目を凝らす先生。

こちらを向いた時、僕は手招きをした、少しあざとかったか。

しかしそんなことも意図的に出来てしまうくらい、今日の僕はほぼ無敵だった。

席に着くと先生はラテらしきものを頼んだ。

僕はワッフルを食べながら、思いついた話をしていく。

先生は相変わらずあまり話さず、僕の話に首をつっこんできた。

今度出したい本の企画を話したり、どんな戦略にすれば良いのか考えたり、この間読んだ教育の論文をまとめた本の話をしたり。

そこで先生は当時の講義でやった哲学者の名前や理論を出しては、僕の話と紐付けて解説をした。

「覚えてますそれ!〜〜のやつですよね」「そう、あれはつまり…」『○○!』二人の声が重なった。

そこで僕はまた、自分すごすぎると自画自賛をして、先生はひいては自分がすごいということなんですと二人で笑い合った。

前より大分積極的に、平常心を保って先生と話ができた。

 

あの頃の感覚を思い出す。

いまかいまかと先生を待っていた4階。

空腹を感じないまま過ごしたあの時。

無音の研究室で静かな、しかし強烈な緊張感が身体を走った感覚。

小説棚を一緒に見たあの甘い瞬間。

 

今日の会合は、いつになく清々しかった、ただただ楽しい時間を過ごせた。

何の不快感もなく。

「あれ、3ヶ月も会ってなかったけ、もうちょっと会ってた気がしてた」と言う先生。

「夢の中で会ってたのかもしれないですね」

そんな返しもできるくらいには、気分が落ち着いていた。

「次は日本酒飲まないとですね」

先生は、前回僕が飲みたいと言っていた日本酒のことについて言及した。

「ふふ、そうですね」

こうやって急にLINEをしてくれればそれでいい。

気が向いたら、僕と勉強をするなり、なんなりしてくれればそれでいい。

今回は、それがあちらからあったからか、薬の効能を調べられたからか、今後への不安はあんまり残っていなかった。

僕は、surviveできたんですかね。

先生は僕をsurviveしてくれたのですか。

 

帰りますか?と僕が言うと、帰っちゃうんですか、寂しいじゃないですかーと言ってきた。

多分寂しいんだと思う、一人暮らしだし、先生は人間と会ったらきっと人懐っこく話すんだと思う。

全然、一人が好きなんてことないんだと思う。

 

そこから1時間、やはり色んな話をして、僕たちは帰った。

先生は山手線だからあっちですね。

僕を見る先生。

僕も頑張って先生を見る、そしてやっぱりたまらなくなって「なんですか」と笑ってしまった。

「まぁまたすぐ会えます」と僕は言って、「がんばってね」と先生は言った。

僕は今までお辞儀をして別れていたのに、今回は手を振って別れを告げた。

少しでも僕のことをかわいいところがあるなと思ってくれれば、弟子は嬉しいです。

あわよくば特別な存在として、あの卒業時に思っていた感覚と同じで。

 

電車の中。

僕は、さっき返した本を思い出す。

数ヶ月に一回のペースでも、会えたらそれでいい。

僕は、その本の、ある1ページを思い出す。

付かず離れずがきっと良い。

僕は、そのページの中の、ある一節を思い出す。

もっと先生と一緒にいたいと思ったとしても、いたずらに笑いながら僕は言うだろう。

「基本線を崩さないままで」

2023年 9月

久しぶりに横浜に降りた。

そして東武東横線を使って、あの東部東横線を使って、白楽へと降りた。

下町。

私は下町めぐりをしてみたい、ある程度の清潔感のある下町、先生と一緒にしてみたい。

次に先生に会える日を楽しみに、私は自分磨きに奮闘中である。

フェイシャルエステ、骨盤矯正、眉毛の脱色、新しい服の買い物....

なんのためにやってるの?といえば、自分磨きのためだが、果てはあなたに会った時、少しでも可愛いと思われたいから。

 

こんな健気にあなたに会える日を心待ちにしているのです。

そして、次会う時は、今までと違う。

なんたって、会う前に緊張故食欲が湧かなくなってしまう病に対して、手を打ったのですから。

この常備薬があれば、この心の疼きからくる病とおさらばできるかもしれない。

だからこそ、今か今かとあなたからのメッセージを待っていました。

私からメールをするのは、今回は封印しようと決めたのです。

あなたに貸している本があるから、(私も借りている本がありますが)いざ会おうとなったらどうとでも言えるはずなのです、あなたから。

それを、ずっと、待っていたのです。

「下町にいきたい」という旨をSNSで呟きました。

それまでにも、美術館に行きたい、逗子の海を見たいと呟いてはいましたが、あまり刺さらなかったようです。

今回は、いきなり、「下町」とだけLINEが来たのです。

たったそれだけです。

でも私は嬉しかった。

あなたの「下町」がどんな意味を含んでいるのか、私には五分五分でわかっていますが、確かめるためにニュアンスのある質問を投げかけました。

いまだに確実なお返事はもらっていませんが、ぜひ一緒に行きたいと思うのです、そして会う前に例の薬を飲んで、そうして思いっきりあなたと話がしたい。

気兼ねなく、また会いたい時に声かけますね、と言って、大崎に着いても気兼ねなく約束のスタバに出向いて、カフェ難民になんかならず、先生の本を出す夢をずっと追い続けながら、そんなことをしながら、先を生きる先生と繋がりを持っていたいのです。

埼玉の下町はどうだとか、東京の下町はどうだとか、そんなことを聞きたいわけじゃないのに。

 

 

2023 9/19

 

会社とは面白いな、と客観的傍観者として思う。

今まで、先生生徒、先生学生、友達、先輩、後輩でしか僕らの関係は定義されなかった。

そこに、仕事仲間という新たな定義が加わった。

仕事仲間。

プライベートとビジネスをきっぱり分ける人、あやふやにする人。

僕は100%後者に近いので、前者の人種とは交わりきれない。

僕の直属の先輩から漂う、前者の匂いを感じていた今日この頃。

本日、その匂いの訳が少し分かった気がした。

イヤな予感が的中したのだ。

10月で部署異動します、と先輩から発表された僕は、少しの笑みをこぼしてしまった。

先輩がいなくなるのが嬉しかったから?そんなことはない。

むしろ、どうやったら距離を縮められるのか考えていたくらいだ。

そうではなく、僕の親と同じことが起きたから、やっぱりか、という笑みが溢れてしまったのだ。

先輩は僕に、一番めんどくさいことにならない無難な対応をしていたのだろうか。

あと数ヶ月だし、という気持ちがどこかにあったのだろうか、それとも早く念願の部署に移動したいという気持ちが隠しきれなかったか。

いつか、この仕事での距離に慣れるのだろうか、海外はどんな距離感なんだろう、誰かが人間の悩みのほぼは人間関係によるものだと言った。

あながち間違いではないのかもしれない。

 

人事関係のことはやすやすと同期に話せたものではないので、一人もぞもぞしながら1日を過ごした。

帰り道、大崎のスタバに寄った。

2020年の6月にまた会う話を読んでみた。

入社して、先輩社員からおすすめされた本であった。

時代を変える者はいつだって若者だと説くその本は、読んでいて勇気のもらえるものだった。

もぞもぞとした気持ちを、「よし、新しい企画出そう」という晴々とした気持ちにしてくれた。

退勤後のカフェ読書タイムはコンスタントに死守したいものだ。

今と昔の自分と対話する時間、そして原点を思い返す時間。

アザラシがこちらを見ている。

新入社員歓迎会

初歓迎会について、明記しておこうと思う。

人生に一回しかない、正真正銘の初の歓迎会。

酔いが回り、意識も朦朧とする中、人間はこんなものなのかと思う自分の今の気持ちを綴っておこう。

 

 

7/26、このチームで初めての新入社員歓迎会だった。

実に3年ぶりというこの歓迎会は、なかなかのテンション感で催された。

一次会は穏やかに、僕がそれぞれの人生を聞いていくスタイルで進んだ。

それなりにそれぞれの人生を聞き、それなりに自分の話をした。

食事もワインも、ビールも、良い感じに飲んで良い感じに終わった。

所帯を持っている課長は帰った。

「あそこらへんの集団は二次会もいくと思うから、行きなぁ」と言われるがまま、あと1時間ほど飲めそうだったので飲んだ。

 

最初は穏やかに、一人の回し役を中心に始まった二次会であったが、そこでの話で僕のお気に入り、いやきっとチームの癒しキャラであろう人が一声あげた。

「世代で括るな、それは大変失礼だ」

彼は、回し役にしきりに主張していた。

チームの癒しキャラクターとして認識していた彼の存在。

そういう人は、本当の癒しキャラとして存在しているのではなく、往々にしてしっかりとした軸を持っている人が多い、僕の経験上だ。

その人も、その1人だった。

おそらくそうではないかと思ったが、やっぱりそうであった。

平たく言うと「世代で僕を語るな」ということだった。

全うな意見であったが、癒しキャラクターという認識であった人がそのような発言をすることに半ば驚いてしまった。

いかにも現代的であるし、おそらくひと昔前であったらつつかれたかわからないことかもしれないが、自分に軸をしっかりと持っている人からすると、意に反したことを言われたら主張したくなってしまうのかもしれない、想像に難くはない。

しかし、ここではそれを飲み込んで、思想のぶつけ合いは控えてほしかった。

思想のぶつけ合いを、酒を交えながらやるものではない。

僕は「なるほど」と、始まってしまったことを悟り、絶対にこの気持ちをあとで綴ろうと、どのような言葉を用いて書こうかすでに考えていた。

結局その論争は、周りの先輩が上手くまとめてくれた、おそらく最年長の先輩はささっと会計を済ませてくれた。

「前から君の態度はこうだと思ってた」だの、「話をずらすな」だの、いかにもな言葉が飛び交った。

この発言を許さない者はきっとある意味の過激派になるだろうし、逆にそれを助長させるのは正真正銘の過激派になるだろうから、僕は真ん中を頑張って確立しようとする、それを僕は、「人間だな」と心の中でまとめあげる、という方法でとるほか他なかった。

 

普段優しい人の沸点は、いつやってくるか分からない。

僕が、「有名キャラクターの○○に似てます!」と半分冗談半分本気で言ったその言葉も、もしかしたら心の底で不快に思っている可能性がある。

そんなことを意識しながら、話す他ない、話さないといけないことを改めて思った。

こうやって、きっと、あの先輩も反省しながら1人帰っているのだろう。

僕はこういった正しさや人間の考える価値観に関する論文をよく読んでいるわけではないし、古代から論じられていたものに詳しいわけではない、詳しくなりたいとは思うが。

だから今は、「人間だな」と思うほかないことに一種の悔しさを感じるとともに、諦めの念も抱くのだ。

 

1次会で帰った人たちはきっと懸命だった、たとえこんな惨事が初めてだったとしても、予想外だったにしても。

彼らはこの惨事を予想して帰宅したのではないか、そんな気もしてくる。

まあしかし、先輩に聞いたところこんな論争は初めてだと言うが。

 

帰りの電車では、いつも以上に飲んだ酒たちが僕を襲ってくる、Spotifyの音楽が、電車の騒音とまじって聞こえる。

完全に歩いて帰ることが確定した。

余裕です、と言う僕の言葉の裏に、歩くことが確定したことに対する落胆の気持ちがあることに気づくのは難しいだろう、一部の人を除いては。

 

 

だから僕は、肝心な部分は出さず、仮に出したとしても傷つかない程度に出し、会社生活を送っていくのだろう。

きっと、「2次会どうだった」と聞かれた際には、「楽しかったっすよ」と、当たり障りない言葉で返答するのだろう。

部署に入ってきた当初、「当たり障りない」は奇妙だと思った。

僕はわりかし全部を表出するタイプだし、みんなもそうであるときっと世界は平和になると思っていた。

しかし、そうではない場合がある。

「当たり障りない」は、一番めんどくさくないのだ、そう、気づいてしまった。

 

僕の父は「明日になれば飲み会の話をする人なんか一人もいない」と言う。

父のことだ、励まし?明日への景気付け?に言ったのだろうか。

本当に飲み会の話をする人なんかいないだろう、そうなのだろうと思う。

きっと、ここから仕事、ここからプライベート(飲み会)と割り切る人が多いのだろう。

父が言うように、きっと明日もそうなる。

しかし、僕はその表層的なものではなく、人間はどんな人でもこのような一面があることを心に留めておきたいと思った、「当たり障りない」に繋がる小さな心のあや、そしてそれを超えてしまった状態を記しておきたいと思った。

小さなことかもしれない。

誰もがはじめ不思議に思いそしてのちのち慣れていくものなのかもれない、しかし、当初僕はやはり、「当たり障りない」を超えて表出した「ビジネスマンの人間らしさ、人間臭さ」を良くも悪くも感じたということを心に留めておかなくてはならないと思ったのだ、たしかに。

人間臭さを回避できる行動をするのがデフォルトになる前に、この今の等身大の気持ちを記しておきたかった、こんなに酔っている状態でも。

きっと僕が「僕の思い出に、一枚ください!」と、穏やかな一次会終わりに撮った写真を、どこに提出するわけでなくても、誰一人困ることはないのだろう。

そう、困ることはない、欲しいと心の奥底で思うことはあっても、困ることは、決してないのだ。

 

新入社員として受けていた研修期間を思い出す。

同期との距離、世間で話されている仕事仲間との距離感を、僕は少し寂しいと思った。

しかし、幸い?僕の同期は距離感がとても近かった、みんながみんな。

それに僕は救われた。

今度は自分の部署内で同じようなことを感じている。

少なくとも今日の夜は感じている。

 

「当たり障りない」

この言葉をキーワードに、仕事仲間のプライベート事情も、結婚事情も、未来の話も、知ることなく過ごしていくのだろうか。損得勘定が働いて、自分に不利になりそうな情報は極力出さないという選択をするのだろうか。僕の会社は妙に頭の冴える人が多いらしいから、もしかしたらそれが顕著かもしれない。

カメラマンが「同じチームなのに新姓を知らないのびっくりしたよ」と言った昨日を思い出す。

それを少し寂しいと感じる僕と、今日のようなことがあるとやはり「当たり障りない」に依存してしまいそうになる僕とを両方抱えて。

死んだ本

要らない、と言われた本がこれだけあるのは、悲しいに違いなかった。

とてつもない量の本が沢山積まれている。

そしてそれを仕分けする人がいた。

死にゆく本たちはベルトコンベアーに運ばれ、随分と雑に扱われていた。

それらには、あしらいを加えて再利用される者もいれば、悲しく圧縮され運ばれる者もいた。

役に立たない、要らない者は、このように選別され、運ばれ、最後を迎えるのかと思うと人間世界と重ねないわけにはいかなかった。

 

再びあしらいを加えて生き返るという道に選ばれなかった完全に処分されることが決まった屍たち。

そこに並んでいたのは死んだ本であった。

それらを仕分ける人は、どんな気持ちで、どんなところにやりがいを見出しているのだろうか。

 

出来るだけ人の手元に届くようなものを作ろう。

辛い光景を減らそう。