nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

2023 7月

○20230715 身体の不具合と気持ちの掛け違い

 

「またぜひー」ときた先生のLINEを前に、自分の認識を改めないといけないと思った。

いや、改めた方が絶対に過ごしやすいと。

そしてそれを、自分は嫌がっているわけではない。

「ああこれこれ、この本あなたにあげたんだっけ、貸したんだっけ?」と聞く先生を見て、この本は、私に貸された本であるのだと認識されていないことが分かった。

それにより、あれはその程度の行為であったことが証明される。

寺を歩き、大学までいく間、「これ一口飲む?」と聞くあの質問も、あれもこれも特に意味のないことなのだという雰囲気が漂っているのだ。

それはいい意味でも、そうでない意味でも。

 

初めて今日、先生の新しい研究室に伺った。

珍しくスーツを着て、少し外までお出迎えに来てくれた。

寺を案内してくれる先生の説明に、少し笑みを浮かべながらハンディファンを持つ私は、聞き入っていた。

「なんですかこの謎の持ち物は」

先生は、このハンディファンが気に食わないらしい。

「力学的にはうちわの方がいいんです」だの、「こんな風の強い日にこれを持ってる人はバカですよ」と冗談ぽく笑いながら言った。

 

ある程度大学校内を案内してもらった後、研究室へと向かった。

レーズンサンドを小さな差し入れとしてあげた。

明日、エアコンの修理業者が来るらしい。

エアコンの効いていない研究室には冷暗所など存在しなかった。

 

先生と会う前、家を出る前からもう食欲が湧かなかった。

胃腸薬を飲んだがだめである。

レーズンサンドくらい大丈夫だろうと大きめの一口を入れたら、サンドは私に猛威をふるってきた。

呑気が少し来て、一瞬吐くんではないかと思った。

大丈夫だったが、一気に口に入れてはいけない。

まさかレーズンサンドにやられそうになるとは。

いよいよ、やっぱり病院に行きたいと思った瞬間であった。

これが無ければ、どんなに気楽に先生に会えるだろうか、どんなに気楽に会いたいと伝えられるだろうか、私の不具合よ。

 

先生とは何を話したか。

自分が話したいことはメモっていた、そこそこ話せたのではないかな、自分の近況だったり、先生の最近などを聞いたりした。

本の話も、これからやろうと思っている英語の勉強の話も。

火水木、いつでも大丈夫ですよと言う先生。

次はカントと英語かな、と先生から言ってきた。

あれはメタメッセージを含んでいるとは思えない言い方であった、さらっとした不純物のない言い方だと感じた。

 

帰りに、駅が近くなって、「3ヶ月後って感じなのかな」みたいなことを先生が言った。

これにはメタメッセージみを感じた。

「それは忘れてください」と笑う自分は、言葉を発した瞬間にもっと良いメタ返しをできたに違いないと思った。

 

先生と話していた時は、あんなにもただただ楽しい時間なのに、別れると本当に伝えたかったことはあれではないのに、というような自分が出てくる。

あんなに楽しく話した2人のフレーズを思い出しては、あそこではもっとこんな伝え方をすれば良かっただの考え直すのだ、暗に何かを伝えようとして。

夜のせいなのか分からないが、二つの面で先生と接しているようだ。

これが自分の気分と身体を蝕んでいるのではないか。

だから、認識を改めたい。

その方がきっと、絶対楽であるはずだ。

それができればいいのだが。

 

今日の夜は、人の思想を諭すように聞き、時に大胆な策を打ってきて、絶妙に自慢を入れてくる、恋愛観が真っ当な人と食事であった。先生と別れたすぐあとに、自分の食欲は戻ってきた。

音楽で食べるって難しいよねという彼。

自分は強がりでもなんでもなく、音楽は趣味ではないと断言した。

自分はそのような認識でやっていないと。

彼にとって、自分らのこれは、負け犬の遠吠えのように聞こえるのだろうか。

みんな音楽と違う職業についていて面白いね、と話す彼の言葉から、微量の何かを感じるのは、考えすぎ故なのだろうか。

モスコミュールを飲んでからはもっとくだけた話になった。

そのレストランは海沿いにあって、綺麗な夜景が見えた。ただの友人の私たちが食べるには勿体ない場所であるのにも関わらず花火なんかも上がってしまった。

美味しく食事をした私たちは、夜の横浜を何の下心もなく歩いた。

帰り際、花火の写真を、すぐ先生に送った。「ロマンてぃっく」と返す先生、なんとも思っていないロマンてぃっくであることが、手に取るように分かった。

メタメッセージなんて、最初から無かったのかもしれない。

この3ヶ月で考えたこと

3/31の入社式から約3ヶ月の研修が終わりを見せようとしている。

人生に一度しかない、新卒入社の最初の3ヶ月。この時の感覚をしたためておくのは、今後に良い影響を及ぼすに違いない。

 

 

初日から、偉い人が前で説明をするのを聞く2日間。

とにかく自分が思っているより、理念って大切なんだなぁと思った。

ずっと姿勢を良くしてなかなかにきつかった。

他の新入社員と、入社動機を話すタイミングがあり、みなもそれぞれのストーリーを持っているのだと痛感した。

今思えば、あそこで話した2人のうち1人が自分と同じAB型で、テンションも通ずるものがあると気づくのはまだ先のこと。

みんなが頭の良いように見えたし、完璧なように見えた。

休憩が終わるとすぐシュッとなる様に、TPOができた人だこと、と傍観者になってみたり、会社の役員たちに学生っぽさの微塵も感じさせない挨拶をする様に、何をそんなに気取っているのだ、と思ってみたりした。

ビルの外で自社への反対運動をしている人たちがいて、最初はびっくりした。

しかし、役員の方は丁寧にあの現象を説明してくれた。

長いこと手広く会社をやっていると妬まれることがあるらしい。

ホールディングスの方の社長が挨拶をされた。

ネットで見ていた人だ、と胸を高鳴らせた。

これからやっていくんだぞ、という意気もそこで改めて感じた。

この日は、帰りに妹の演奏会があったので、慣れない電車から慣れない電車に乗り換え、会場に向かった。

電車でたまに見るスーツ姿に、”不安だよね”と同情のような気持ちを抱いた。

先生に送ったメッセージに、変な期待と落胆を感じたっけ。

入社式のブログを見るとそのようなことが綴られている。

まぁともかくワクワクの初日であった。

 

演奏会を聞く土日を挟んで、この時期は音楽と仕事という二つの軸の周りをちょろちょろと回っていたように思う。

この週は福利厚生だとか、もろもろの話を聞いた後、4/5から本格的な研修がスタートした。4/5はまずビジネスマナー研修からであった。ここから1週間ほどは、私の社会への懐疑の目が注がれていった。なぜそのような言葉遣いや話し方が習得されているのかわからない立派に聞こえる同期の回答、求められたこと以上のものをやり遂げようとする覇気、前に言っていたことをすぐに取り出すさま。同期はなごやかにコミュニケーションをとっているようで、実は裏ではみんな全くの敵なのではないかと思った。

 

研修1ヶ月の間、僕のBGMは「冠水橋」一択となった。けだるさ、諦め、ゆらゆらと揺れる感覚、洒落っ気のある曲調が妙に合った。同期への懐疑感だろうか、音楽と揺れる自分の軸だろうか。この曲で、東京に一種の疑いの目を注いでいた。今でも、吊り革を持ち、スーツに身を纏い、朝から行かなくてはならないけだるさ、ビルに着き最上階からの朝の眺めを見渡しながら手を洗う感覚、今日はどんな研修なのだろうか何を言われるのだろうかとびくびくしていたことが思い出される。そんな曲となったのだ。

 

4/7からは、例のコンサル上がりによる研修が始まった。たしかここら辺で自分の帯状疱疹が現れた。ピリピリ初めての感覚、これが社会からのストレスなのかと思ったが、今思えばあれは環境があまりに変わりすぎた、かつ自分が繊細で全ての事象に問いが湧いていた故だったのだ。社会人と学生はこんなにも違うものなのかと終始思っていた。その思いの強さ故に、人生の恩師に疑問を投げかけた。学者とサラリーマンって効率化という点で違うものですか?というものだった。自分は、効率効率と散々言われてきた研修に嫌気がさしていたにちがいない。学者の姿に憧れを抱いていたことも理由にあるだろう。今まで自分は効率化とは反対の世界にいたから。音楽は効率では測られない、測りきれない、そんな世界でやってきたもんだから、効率効率と言われるだけでそれだけを求められているのではないかと思うようになってしまったのだろう。問いかける1週間であった。

 

4/8の休みの日。この日は、「自分らはできることが少ない、せめてできることは、挨拶や環境整備をすることくらいではないか、お金をもらっているのだから、と当たり前のように友人に言われたことが印象に残っている。そこで、今まで「なんで自分のことは自分でやれないんだ」と疑問に思っていたことに対して、一つの答えを得ることができたように思う。こうして少しずつ社会に自分を合わせていった。

 

4/11からは、先輩のトークセッションというものが始まった。日ごとに変わる、先輩社員をできるだけ覚えようと、少しの情報でも書き溜めておいた。話し方の特徴、身につけているものの特徴、自分はこの人とフィーリングが合いそうかという目安。この頃には、家で手作り名刺を溜めることも板についてきた。そして、この日は要約力ということで、いくらかのビジネス書を読んで、その要約をteamsに投稿するという研修を行なった。みんな読むのがさすがに早いな、などと思った。そして、自分には要約力が無いと落胆した日でもあった。ものごとをすぐに処理する能力、そしてそれをすぐ咀嚼して自分の言葉に直す力。自分はそれを時間をかけてしかできない。そして、ビジネス書を合計10冊ほど、要約を込みでさらっと読んだ自分は、つまるところビジネスはPDCAサイクルを回していれば、より良いやり方を見つけられるようになるのでは無いかという結論に至った。そして、10冊とも同じようなことを言っていることに気づいてしまったと思った自分は、その発見をチームに共有すると、「それはそうだと思う」というような調子で、自分の発見はどってことのない発見だということ、そしてその発見が目的に決まっているだろうこと、そしてまんまとその気づきにまるで自ら気づいたかのように思わされていることを自覚させられた。自分の妙なピュアさが、少し恥ずかしくなった瞬間であった。体当たりで取り組むのではなくて、俯瞰しながら余裕を持って取り組んでいるような様が妙に鼻についた。その子とは、今では仲がいいが、やはり研修期間であること、本配属がまだまだ決まらないことが人の見え方をそうさせていたのかもしれない。

 

4/12には、この研修の意義を説かれた。自律をすることが目的だということであった。そして、メタな見方を説かれたあと、サステナについての課題と講義が行われた。そのとき、このチームの海外留学経験女子のプレゼンのうまさ、パワポ作りのうまさに圧倒されることになった。あの子は、なんでもそつなくこなすよなぁと思う。この日の自分のB5ノートの欄外コメントを見ると、いかに影響を受けているかがよくわかる。そして、この日は、ビジネスとプライベートについて疑問を持っていたみたいだ。ビジネスの感覚が染み込むにつれて、プライベートにもその感覚が流れ込む様。それを少し感じ始めたみたいだった。今は、それほど感じないが、たしかに何か生き方が変わる違和感や不安を、この日は感じた。研修の時は特別厳しかったよなぁという印象は持っているが、一日一日、とにかく体当たりしていた。

 

4/14からは、国際協力の関係会社による研修を3Daysで受けていた。ここの社員は、自分と馬が合うみたいだった。さすが、海外に関わりを持つ人だ、と思った。テンションが自分に近いと思った。本当に自分はこの会社で良かったのか少しだけ、不安になった。発表の時に大胆にできる度合いが、明らかにこちらの方が高い。のびのび発表できるのには違いなかった。突飛な意見もよく出てきた。そのような研修を混ぜ込んだ人事側の意図もあるに違いないと思うが、そんなようなことを感じた。

 

そして4/18には、最後の大きなグループワーク課題が課せられた。これについては、とても苦しめられた。どうしてこの議題に絞ったか、定量化はできているか、いろんなことを考えた。同時に自分の今の役割は何か、チームのためになっているか、意識しながら動いたものだ。チームメイトの動きを見ながら、周りのチームの進捗具合を見ながら、時に疲弊しながら、絶妙な緊張感の中活動していた。

 

4/19には、また国際協力の関係会社の研修に戻った。ここで、フィリピンのZOOMインタビューをパッションで乗り切ろうと結成されたチームと巡り合う。このチームでは、とても活動がやりやすかった。みんなあまり尖った言葉で、他者を批判しようとしない。みんなが丸みを帯びた意見を、しっかりと表明するというような具合であった。のちに、定期的開催をしようと飲みにいく仲間となる。そして、他の帰国子女や英語を専門にしていた者がリーダーであるチームからは、自分がそう言っていたのだが、本当にパッションしかないチームだとレッテルを貼られていた。私は心の中で、みなが気づいた時に「あれこんなにできてたっけ?」と思われるように言語のスキルアップを必ずすると決めた日でもあった。

 

4/24には、面白い人の先輩トークセッションを聞けた。ビジョンを考える会に携わった人だったが、この人もいろんなものを見て、そして考え、伝わりやすくそして面白く表現できる人なのだと思った。あの方とは、一度お話がしてみたい。うちの会社には、いい人、すごい人が本当にたくさんいるのだなと思った日であった。

 

4/25には、UXということで、ウェブページを作ろうという研修を行なった。ここで、一人で作ってみる時間を設けられ、良かった人に投票、その後その人が発表というワークがあった。私は、怒られること覚悟で他社のキャラクターを使い、怪談レストランという名のレストランのWebページを作る。同期や担当の方にいい反応をもらったことで、少しいい気になった日であった。そして、チームで部屋に鮨詰めになって考えても良いアイデアは出ないんすよ、という言葉をに強く同感を覚えた。自分は妙に、今のグループワークでは本領を発揮できない。そんなことを薄々感じていた。突飛な意見を出しづらい雰囲気、一人なら何でもできるのに、という気持ちが少しあったことをしたためておこう。

 

そして5/1、この日は例のコンサル上がりの人の最後の言葉ということで、今までの言葉が綺麗にまとめられて締めとなった。

 

そして5/2は最後の大きなプロジェクトワークの発表があり、総仕上げとなった。自分のパートはまぁつっかえるは、言い間違えるはで、用意周到な他のチームメンバーとは見劣る結果となった。そりゃそうだ、ほぼアドリヴでいけるだろうとか、書いていては自分の言葉にならないだの言ってあまり練習しなかったのだから。しかし、大きなワークが終わって、この日はどっと疲れが出たのを覚えている。驚くことに、発表の後は、人事の人とお菓子を食べながら喋るという会が催された。ここで話していて、コンサル上がりのあの人は、研修用の演技をしているのかもしれないと感じた。仕事とプライベートをぱきっと分ける人なのかもしれない、研修での役割を全うしているだけなのかもしれないと思ったのだ。簡単に言うと、この人も人間なのだと率直に思った。そのあとは、いつもの店で、同期と飲み会をしてパァーッと終わった。

 

仮配属では、一つ一つに新鮮な感覚を覚えた。経費で落とすという感覚。世の中に産み落とされているコンテンツは全て本当に人間の手で1から作られているのだということを目の当たりにした感覚。今まで持ったことのない感覚を持つということは新鮮に映った。

 

本配属当日、自分はまんがチームかなとか、音楽チームかな、とか思っていた。

和やかな発表会では、まさかのエンタメチームという発表をいただいた。

予想外であったが、のちに理由を聞けば致し方なかった。

すぐに恩人に報告をした。

学びにいたらそこにしかいないと思われたのだろうと言われ、すんなりその言葉を受けとった。

丁度その時、モモを読んでいたからかもしれない。

子どもの頃を思い出せば、エンタメ要素は必要になるに違いなかった。

携えられる武器は多種多様な方が良い。

 

それからぴよぴよなりに仕事を覚えていく毎日が始まった。

休日に行ったジブリの美術館で、アニメーションのラフへの色の指示が書き入れられているポストカードが売っていた。

僕はそれを、「まさにコンテンツの裏側、編集じゃないか!」とすぐさま購入した。

このようにキラキラ、今は業務に挑んでいる。

 

どうやら自分が同期の中で一番実務に近い業務をしているらしかった。

日々の業務で、自分の現在位置、そして目指すところを見失いそうになる。

俯瞰するのだ。

メタな視点を持つのだ。

そのためにも、この3ヶ月を、激動の3ヶ月をここに綴った。

原点はいつもここにある、自らが綴った言葉たちに宿っているのだから。

あの小学5年生の時からずっと。

2023 6月

2023 6/2 私と先生が並んで

 

6月に入った。

入社して2ヶ月が過ぎ、だいぶ会社に慣れてきた。

今はOJT中。

帯状疱疹が出た1週間が嘘かのように、今では我が社の社員が大好き。

優しくて良い人ばかりだ。

 

今日は教育関係のEXPOを見学するという研修だった。

お昼に会社に戻ってくると、台風のため帰社して良いと言われた。

しかし私は夜に横浜でライブがあったので、それまで暇を弄ぶことになった。

 

インスタで、帰社して良いらしいライブまでなにしよ!とるんるんで投稿した。

そのテンションで、昨日の返信がまだだった先生にメッセージを送った。

「暇を弄んでる私です」

 

すると先生は「あらら珈琲でも飲みますか笑」と返信してきた。

これはきっとあなた1人で、だろうと思ってそれっぽく返信してみたが、「○○駅でならあと少しで動けます」と自ら今の状況を説明してくれた。

なんと。

そんなことがあるのか。

ただの報告で送ったメッセージから、一緒に珈琲を飲むことになった。

突然の予定に心拍数が分かりやすく速くなる。

胸に手を当てると本当に速かった。

 

下町の駅で待ち合わせることにした。

南口を出たら、本当に先生がいた。

一緒に歩いて先生がメッセージで送ってくれた珈琲屋に向かった。

 

静かなところだった。

人間の多いところは嫌だから。

私はアイスコーヒーを、先生はケーキセットを頼んだ。

「ありがとうございます来てくれて」

「いや丁度珈琲屋行こうと思ってたからいいんだよ」

ケーキと珈琲たちがきた、こだわりのお豆さんらしい。

「この珈琲とケーキ一口良いよ」

え?

私は「やったー」と口では言ったが、え?という言葉が頭の中をくるくるした。

良いの先生?気にしない人?心を許してくれたってこと?

しっかりフォークを使ってケーキを食べて、珈琲も飲んだ。

「私のも良いですよ!」

ストローの刺さっているアイスコーヒーを差し出したら、「あいいんですね」と先生は全然飲んだ。

どうとも思ってないからできるのか、私はある異性の友達はどうとも思ってないから同じことをする。

他の教え子にもやるんだろうか、色んな疑問を頭にぐるぐるさせて話を進めた。

 

あの4月から話せていないことを沢山、ゆっくり話した。

たまに、体感十秒目が合って「ん?ん?」となると、私が耐えきれなくなって「なんですか!」と照れたように笑ってしまった。

「いや確かに髪切ったなぁって」

そんな一言でも私の心臓は速度を上げていた。

 

「ここは静かでいいですね、いいお店です!」

「人多いけど○○駅だったら、お気に入りのスタバにしようとしてたんだよね」

「へー、今度行ってみようっと」

「うん、行きましょう」

「....!そうですね、行きましょう!」

語尾と雰囲気で判断し、また次を楽しみにすることができた。

 

「それと、あれ、いつ、来るんですか」

目を見つめられて言われた。

「ん?」と疑問をなげかけながら、目を覗き込むと微笑した。

「あ研究室にいくってやつですか?」と聞くと「そうです!」と先生。

楽しみにしてくれてるのだろうか、なんだかいつ来るのか聞かれるだけで嬉しかった。

 

「この前私家族旅行で新潟泊まりに行って!ここです」

「たっけ!いいところでは?」

「奮発でした」

「いいなぁ、いい景色ですね。じゃあ課長くらいになったら奢りだね」

課長への道のりは長いですよと笑いながら言われた。

私はいつかの小説を思い出した。

 

先生がお手洗いに行った時、私は会計を済ませた。前回、先生が豪華アクアパッツァを勝手に頼んで全部奢ってくれたワイン会を思い出す。

私も交代でお手洗いから帰ってきたら「お会計ありがとうございました」と言われた。

「いやいや、私が呼び寄せたんで良いんですよ」

「あとで返します」

「いいですよ、次に、ね」

次の確約をした。

 

「そろそろライブに向かいますか」

台風は私たちに気を遣って、少し待ったら雨足を弱めてくれた。

一緒に改札に入り、「何番線ですか?」。

まさかの一緒の電車に乗った。

吊り革に掴まり、先生が一番好きだというローカル電車が動く。

駅のサラリーピープルも気を使い、電車に乗り込む人数を抑えてくれて人がそれほど多くは無かった。

トンネルに入ると、隣に並ぶ私たちが映った。

窓の反射で見る先生の顔は初めてだった。

肩が当たる、電車も気を遣って運転を少し荒くしてくれているようだ。

 

駅に着いて、次の乗り換え場所まで送ってもらった。

「ありがとうございました」

 

ライブの帰りは台風の風で信じられないほど荒天だった。

傘の意味をなさないような天気だ。

しかし、あの台風が直撃する日、先生との時間だけは確かに穏やかだった。

ぽつぽつと落ちる雨、揺れるローカル線、人の少ない街。

全てが私たちを見守っているようだった。

 

 

 

2023 6/8 統合の大切さを暗に示す上司

 

昨日から喉が痛くて、咳が出る。

4月からの溜まりに溜まった疲れが絶対的に出ている。

たまにチクチクと突き刺す痛みがくると、咳が止まらずに吐き気に繋がって、空気を余計に吸ってしまって呑気がする。

とまぁコンディションの悪い木曜だが、今日担当のあの2人は良いコンビ以外の何ものでもなかった。

メガネの約50歳から出てくる話は、私のアンテナをあの頃のようにピンと張らせた。

この会社にはこんな人が多い、しかしこの人は特にしっかりと会社との距離を心得ている。

会社にずっといて心地が良くなってきたということは、染まってきているということだと。

部門外、会社外、日本外との接点を持って、常にここがおかしいんじゃないか、もっとこうできるのではないかという視点を持つべきだと説く。

その違和感を大切にして欲しいと。

全くそう思う。

自分が入社した時感じたこと、音大で感じてきたこと、自分しか感じない違和感を大切にすること。

2年目の方とも、とても相性が良いみたいだった。

あの2人はウッディとバズみたいなタッグ感があった。

いつか飲みに行きたい、僕の先生との体験について話してみたい。

きっと見えないものが見えた感覚を、共有できるに違いない。

 

 

2023 6/12 人生に付随する音楽を

 

風邪明けの会社だ。

今日の人たちも優しくて、温かい人たちだった。

今イヤホンからはAlmost like being in loveが流れる。

手元には270ページ目のモモ。

人生はいつも音楽と共にあることを、まるで村上春樹のように綴っていこうじゃないか。

 

 

2023 6/30

今日は大学の友達と飲みに行く日。

会社帰りに小田急線へと向かう。

あぁ、この青よ、懐かしの青よ。

あぁ、この地下よ、あの人を待っていたこの地下。

東京でのレッスンを終えて乗り込んだこの車両、地下の風が異様に強いこの駅、全ての場所に自分の生きた証が染み付いている。

かつて、こんなにも、場所に対して哀愁を覚えたことがあっただろうか。

これは歳のせいでもあるだろうし、思いの強さ故でもあると思う。

良い4年間を過ごしたな。

あの頃のように、これから友達とショッピングをする。

ピアノの練習に疲弊して、おやつタイムと釘打ち外へ出かけたあの夕方、何時に4階でと申し合わせてそれを楽しみに頑張った練習時間、北校舎にいくのか南校舎で練習をするのか随時確認しあったあの時、おやつタイムを挟んだところでやっぱりやり切れなくなってそのまま帰った道、とまたその道であの人が現れないかそわそわしていた気持ち。

自分の原点であり、軸であり、故郷であり、戻るべき場所なのだ。

そんな場所と思い出に、日本酒で乾杯をする。

4年間夢見た時間は

4年間夢見た時間だった。

僕は大学卒業後、やっと先生と二人で食事をするという機会を作った。

やっと、だった。

 

ここからは僕の心身の問題、そしてその他複合的な諸問題が綴られる、今の僕そのものであるから。

まず、とにかく、今日はお腹の調子が悪かった、僕はいつもそういう日が近くなるとそうだ。

僕は半分、今日は満足に食べられないだろうこと、胸が詰まるような感覚が起きるであろうと覚悟した、だって今日のお昼はパン一つでやり過ごしてしまった、やり過ごすしかなかったから、健康的な食欲が出ないのである。

今日の研修のグループワークでは、身も心もやられてしまった。

そして、早めに着くといつもそわそわしてまた身体を悪くしてしまうので、ぎりぎりで横浜に着くよう考えた。

すると先生は大分早く着いてしまったらしく、横浜をぶらぶらしておくと言った。

着いた僕は「○○橋にいます」と連絡すると、先生は「ぶらぶらしたら迷いました」と言って少し遅れて来た、迷ったんですね面白い。

 

先生の登場シーンはどんなだっただろうか、やぁやぁ遅れました、といったように手刀を切っていた。あ、きたきた と思って見ていた。

いつものボーダーのスウェットみたいなのに、紺色のジャケットを羽織っていて、斜めがけのバッグを片側の肩にかけていた。

僕らは横浜で待ち合わされた。

 

僕を見るなり、「お、なんか大人って感じですね」と言ってきた。

「ふふそうですか?でも中身はぴよぴよですよ」と、いつも通りに話せたことを密かに喜んでいると、「知ってます」といつも通りに返された、嬉しかった、急に遠く遠くに行ったわけではない、僕が先生と過ごした日々は事実として確かに存在するのだ、本当にいつも通りだった。

 

最初はなにを話せばいいのか、とにかく使い勝手の良い「疲れた」を歩きながら連呼していた気がする、エレベーターに乗って、席に案内された。

 

テーブルに着くと、僕的にはそれは戦闘開始の合図になる、こんな心待ちで食事をしたくはないんだが、異性との食事はそうなってしまう、幾分良くなったはずだが基本の心持ちはあの高校から変わっていなかった。

 

「何飲みますか?」

僕は今先生とそんな言葉を交わしている、そんな状況がいよいよ現実になったことに驚きを感じていた。

先生は最初にスパークリングワインを、僕は赤ワインを頼んだ、「じゃあとりあえずお疲れ様です」とグラスが鳴った。

とりあえずサラダ頼みますか、と僕はとにかくそんなものを頼んだ。

先生は「お腹すいてるんでね、頼みますよー」と、小麦は今控えてるんだとか、今は生の魚が食べたいだとか話しながらメニューを見ていた。

この時点で分かる、僕は緊張している、なにも入らない気がする、それでももう既に、来られて良かったという気持ちだけはある。

 

僕は、「なんか酔わないと話せないですね」と明らかに緊張している自分に言い聞かせるように話した。

「鍵が外れないと話せませんか」と先生は笑っていた。

「そういえば、なんて呼べば良いですか、先生ですか?」と僕は気を利かせて話した。

すると、「ああそうだね。まぁ○○でいいよ」と僕がいつも愛称として呼んでいるもので良いと返って来たので、遠慮なく使わせてもらった、くすぐったい気がした。

そのあと、僕はとにかくこの2週間について3/31から話し始めた。

こんなことがあって、こんなことを言われて、こんな雰囲気で....とにかく話した。

先生はピクルスが結構酸っぱいだの言いながら話を聞いていた。

その流れで、「今まで研修で、効率効率って言われてて、それに対して違和感を覚えていたって話したじゃないですか。でもあれって、学生目線でのただの反発だったんじゃないかと思ったんですよ。すぐ慣れるんじゃないかなと思ったりしたんです。でもそれに100%染まっちゃいけない気がするとも思ってるんですけど」というような旨のことを話した。

すると先生は、「エリート的と非エリート的」という話をした。

「エリートの条件って、待てることなんですよ」と続ける先生は、エリートなら雑務でも、たとえコピーでも待って自分で作業する。

しかし非エリートは雑務を下っ端に全て任せると。そして先生はそれを奴隷的だと言った。

繰り返す歴史のように、お金を使って全てを奴隷に任せれば良いんじゃないですか、というわけだった。

上に登る人になるには、前者のエリートでないといけない。

しかし研修だから、社会人の基本的なところを教えろときっと上層部から言われているはずだ適当にやれと言われた。

 

今まで自分は如何に一つの物事に時間がかかるかを学んできたから、この効率化の波に違和感を覚えるのはある意味当然であったということですね、と話したら先生は頷いた。

 

それから、「友達と教え子はサバイバル」だということについて話した。

今残る先生の友達は互いにサバイブされてきた人たちなのだと、そして教え子もそうで今でも東京来る時に連絡をしてくれる人が2人くらいはいると。

僕は教え子であるという事実は変わらないが、そのほかに自分で規定することを望む。

 

「あなた全然食べてないでしょう」

「なんか今日は...」

僕には理由がある。

 

それから、「恋人は逆にサバイブ出来るようにこちらから働きかけること」、自分は結婚についてどう思ってるか聞かれた時、結婚って諦めだって恩師から聞きました僕もそう思いますと言うと「制度とか整って契約を結ばなくていいことになると結婚っていよいよ意味をなさなくなるよね」という話、世界には今の好きな人より好きになるだろう人がきっと多分いるのに契約を結ぶなんて出来ませんと話すと、「先生が大学の時、付き合っている人がいるのに他の人に目移りをして結局告白して振られたから寄りを戻した」といったおもろい話も聞いた。

 

 

「なんか良いなと思う人とデートとか食事行くとなんかいっぱいいっぱいになりません??」

「いや僕はなりませんけど」

「えぇ。だから、そういう人とは数ヶ月にいっぺんくらいで丁度良いんです」

「フットワーク軽そうに見えるけどね、中学の恩師誘ったり、この会なんかもまさにね」

「いやそれは....その....だからこの、先生との会は3ヶ月に一回が丁度良いんですよ、わかりますか?」

「......?え?ん?分からないです笑笑どういうことですか笑笑」

そう困ったように笑った先生。

この時、自分はもしかしてやってしまったのかと思った、きっとやってしまったんだと今思い返しても思う。

「そう...なんですよ、そうなんですよねぇ」

過ちかけたことに気づいた僕は、懸命に軽く流した。

 

「先生は友達とお笑い見に行ったことないんですか?お笑い好きなのに」

「ないね」と笑う、せんせい。

色んなことを話した、良い時間であったことに疑いはない。

ラストオーダーですが、と言われて、目の前に横たわる食べかけのピザを見て店を出た。

 

割と綺麗めな方の横浜駅に設置されているサイネージの前で、二人は止まった。

「お笑いでもなんでも良いんでまたどうぞ」そう言った先生。ニコニコで返答したと思う。

「3ヶ月に一回くらいじゃないと、いっぱいいっぱいになるんだったよね?」絶対に意味を含んだ笑みを浮かべながら、先生は聞いて来た。僕はなんと言ったら良いのか、「んーーー」と体感30秒悩んだ。「今このサイネージ広告の人と同じような顔してましたよ」やめてください、と明らかにいじられた。

 

サイネージから離れ、改札まで一緒ですねと共に歩いた。

別れる前に、事前に用意しておいた手紙を渡した。あんまり酔っていないのでこのことはしっかり覚えていた、けどさも今思い出したかのように「あそうそう」といってポケットから手紙取り出した。

「今見ちゃいけないんですね」

「んー今見ると私が困ります」

「なるほど笑じゃあまた3ヶ月後かに...」

「いや、1時間後かもしれません。」

そう言って別れた。

頑張るんだよと諭されているような「頑張ってね」をもらい、僕はお礼を言った。

 

別れた後、電車に乗ろうとしたらLINEの追加通知が来て、スタンプが送られた。

それを見た瞬間、「1時間後というより、数分後だった」と笑みを浮かべ、それを今日の締めとした。

4月の殴り書き

2023 4/12

学生は所詮学生だったのだな

社会人の意識、ビジネス敬語、ビジネスマナー...色々なものを教え込まれながら、染まっちゃいやしないだろうかと懸念する反面、そんなもので消える個性など個性ではないと思う、そして大学でお世話になった先生にもこんなことをしなきゃならんのだろうかと思ったり、そうでなくても頭をこうやって切り替えなきゃいけないのかと思ったりした。

誰か、新社会人はこんなもんだよ、と言ってくれ。

 

 

2023 4/12

今日も、あの方に自分たちが如何に意識できていないかを知らしめられた。

まあ、この前、今日は頭がいっぱいだろうから、と言って最後の10分は自由な雑談タイムにしてくれたくらいだから、きっと本当は優しいのではなかろうかと思ってるが。

それは今日はいい。

今日は、私の班で、発表時のホワイトボードのフォーマットをもう決めようと意見が出た。

これがただ単に嬉しかった。

こうやってインプットを活かして自分で考える力を付けて、形を変えてアウトプットをして、仲間同士切磋琢磨して、発展して、「良い仕事」というものをするのではないだろうか、それが出来たらたしかに楽しいかもしれない。

会社が終わった後も、今日は個人的な会議があった。

同期と夕飯を食べながら貸し会議室でミーティングをした。

そこでは特に役割などは決めなかったが、1時間30分ほどで最終的には良さそうな意見が出た、ただ今のところ考えたら良さそう、だが実際良いのだと今も思っている。

そこである同期が、「なんかここ数日でどうやって考えるのか分かってきたかもね」と笑いながら話した。

うん、そうかもしれない、ちょっと楽しいかもね。

その考え方に慣れると音楽がなくなるようで悲しいが。

 

高校の友達が、「わかる、社会人になるための洗脳って感じ。作り変えられてるって感じ」と言った。

インプットを一生懸命にやっているが、それで良いのかな、これはただの学生の抗いなだけなのだろうか、あの中学生時代みたいに。

基本ができていないと個性だの言えないよな。

 

 

 

4/16 ゆたかさ

 

彼は「ゆたかさ」という言葉を何回か口に出した。

あれは4/14のこと、つい最近のことだった。

研修が始まって2週間が過ぎようとした時、あの14日は講師がいつもと違う人で、雰囲気が一気に変わった。

自分は、「これこれ」といった風に、フィーリングが合うことを確かめた。

休み時間の時、その講師と話している彼の方へ行き、話に入った。

「え!違和感持ちながら今までの研修受けてたの!?素直に聞いてやってると思ってた!めちゃめちゃ手挙げてたし」

自分はそう思われていたようだった、いや自分はマナー研修や上司の効率化の話から違和感を持っていたよ。

彼もどうやら同じらしかった。

「一回話聞いてみたかったんだよね」

そう言う彼は、4年間音楽を追求した自分の話を聞きたがっていて、本当のゆたかさってこうじゃないよね、と話していた。

彼も学部時代、院生時代に同じように追求をしたらしい。

今度絶対に呑もう、と話して休憩時間が終わった。

 

村上春樹羊をめぐる冒険を読んでいると、よくドーナッツ・ショップが出てくることに気づいた。

大学の時、たまたま見つけた先生のブログを思い出す。

先生、ドーナッツ・ショップってもしかして村上春樹からですか?

今度聞いてみたいな。

そうやって、その人がいない時にいつも聞きたいことが沢山出てくる。

その人を目の前にすると途端に忘れてしまう。

メモにとっておいて聞こうとは思わない、「そうそう、そう言えば」と話したいのにその時には思い出せない。

自分は、聞きたいことを一生聞けないんだろうか。

 

今日は大学時代の友達のジャズコンサートを聴きに行った。

友達とお昼を食べて、今思っている違和感を話した、異性とお昼を二人で食べるのは酒無しでは久しぶりすぎてちょっと暑くなった、もっと話したいことがあったんだがゆたかさについてだけは話した。

彼は、「そしたらそもそも人間が生きていること自体効率的じゃないと思うんだよね、だから効率的ではいられないんじゃないかと思うんだ」と言った。

言っていることが分かるような気がした。

その後、友達と、友達のジャズコンサートを聴いた。

久しぶりにキャリアセンターのお世話になった人にも会った、「あれ二人どういう関係よ」とおじさんの茶化しが始まったが残念ながら自分らはそうではない、相変わらずで安心した、ちょっと前のあの頃を感じた。

演奏を聴いた後はジャズがやりたくなった。

会社のサークルであったら入りたい。

ゆたかさ、について近々会社の彼と話してみたい。

新百合ヶ丘駅のいつもの位置で、電車を待った。

明日からまた研修が始まるけど、自分の軸は必ずこちらだと思った。

ニュートラルではなく、表向きはそちらでも、裏を見ると実はこちらに属しているような、そんな者。

社会人と学者と芸術家でありたいのです。

新しい門出

ついに来たか、東京五反田。

 

僕は久しぶりに早朝5:30に起き、慣れないJRに乗り、慣れない景色を見て流した。

品川駅で乗り換えのため階段を上がった時、トイレの前には長蛇の列ができていて、東京のトイレはこんなに少ないのかと思った。

山手線に乗って、意外とここは人が居ないなと思いながら2駅が過ぎると五反田に着いた。

会社が見えた時、ついに来たかと思った。

 

今日は入社式だった。

新入社員代表挨拶は一体誰だろうと思ったら、同じ会社の同期にその代表の一人が居た、京都の大学院を出ている人で、もう闘いは始まっているようだった。

同期はみな同じような、穏やかな雰囲気を有していた、社員も役員もえらぶることなく皆同じくらいには穏やかであった。

色々な部門の説明があり、経営理念が如何に大切かを説かれた、本当に大切だなと素直に思った。

zoomで参加する新入社員が小さな画面でうとうとしている様子が映し出されているのを見ながら、僕は役員の説明を聞いていた。

聞きながら、僕はこれから何をしようかと頭の中で作戦を練っていた。

どんな過ごし方をしたら、簡単に言ってしまえば僕は偉くなれるだろうか。

そんなこんなで長いと思っていた研修は17:00をすぐに回って、解散になった。

今日1日をやった結果これからなんとかやっていけそうだと思った、新しい門出はポジティブに彩られた。

マナーモードにしていた携帯を解除すると、あの人からメッセージが来ていた。

 

写真と共に送られていた、新しい研究室はよい感じだというメッセージ。

新しい環境を写真付きで送ってくれた!嬉しい、と思ったあとすぐに、なんだか急に遠くへいってしまったような気がした。

自分の大学より一回り大きな研究室、何人か学生が入っていけそうな広さ、沢山の本棚、准教授と書かれたプレート。

なんだか急に、とメッセージを送ったあと指が止まった、ちょっとしてから、遠く遠くへ行った気がしますね、と送った。

急にそう思った。

あれだけ晴れやかな気持ちで別れたのがついこの間なのに、僕はまた先生を遠くから眺めている。

また近寄ったら変わるだろうか、わからない。

 

いざ環境が変わると、今まで感じなかったことを感じるようになることって、あるのだろうか。

あのいつでも会えた環境で行われた会話や、漂っていた雰囲気や、笑いを共有したトピックは、もし能動的に会ったとしても同じものは二度と行われない、いくら友達と関係が変わらなくても思いが変わらなくても、あの場で起きていたことは同じようには起こらない、そう思ったらあの大学で起きていた全てがまるで奇跡のように感じるのだ。

新しい僕らの形、なるものを二人で探していくしかないのだな。

「いくら環境が変わっても双方が何かしらの楽しい気持ちを感じていればどこへ行っても大丈夫だろう」と漠然と、一種の願いのように思っていた。

しかし、環境が繋ぎ止めるものもきっとあるだろうなと思い直した。

あの広い研究室で、研究に没頭できる素晴らしい環境で、熱いゼミが開けそうな場所で、僕の存在は掠れていくのだろうか。

高校で経験したようにやっぱり淘汰されていくのだろうか、僕が淘汰されるのもそうだが、左様ならばこちらも淘汰する道を選びます、というようになっていってしまうんだろうか、これが新しい門出なのか?

僕はどんな存在になりたいんだろう、また分からなくなってしまった。

それでも僕は、繋ぎ止める何かを求めて、いやそれはただのおまけだ、9割9分は自分から湧く純粋な欲から、学びに勤しむのだろう、それは紛れもなくあなたのお陰だという事実だけは変わらず。

これで次会うのが気まずくなったら嫌だな、自分がそうさせているだけなのに。

もっとこう、軽い気持ちで会えないのか、どうしてそれが出来ないんだ。

どうせ卒業したら双方が忘れますすぐ、と綴ったいつかのブログ。

案外そうなのかもしれない。

色々を飲み込んで明るくメッセージに返信した。

寂しく新しい景色を流した。

3月は暇かと思ったら忙しかった

大学1年の3月は、コロナ禍で如何に学べるかを意識して学び直そうとした。

大学2年の3月は、教員採用試験の勉強と就活を同時進行で始めた。

大学3年の3月は、ESをせっせせっせと書き溜めて提出していた。

そして大学4年の3月、今年は会いたい人に会って、自分がやりたいと思うことをした。大学で初めて、ただただ自分の私的な欲求に正直になった3月かもしれない。

 

 

おさななじみと手近なテーマパークに行った。みんながみんな全て終わった状態でのレジャーはなんと楽しかったことか。

会社の同期になる人とカフェ巡りもした、不安や楽しみな気持ちを共有した、タメ語で話そうよという流れも出てきた。

中学の時の担任と体育の先生とも飲んだ、自分が会いたいと言っていろんな話をした、本当にいろんな話、中学の頃には出来なかった話を沢山した、先生が不安にならない程度に適度に、節目節目の時には会っていきたい、おごってくれてありがとうございます。

大学の友達と久しぶりの美術館に行った、ギロッポンの女になる彼女、これからもきっと会うことだろう、オシャレな不知火のパスタ。

後輩とも飲みに行った、面白い後輩ちゃん、まだ大学に一年いるから卒業の時にはもう一度誘おうかな。

大学の友達と歌舞伎を見に行ったりもした、芸術と音楽について話した、正直にやけくそになりながら話したあのファミリーレストラン

初めての門下発表会も参加した、思い出深い先生の発表会、色々な思いはありつつも弾き切った。

大学2年の時、英語のクラスで一緒になった友達二人とも飲みに行った。二人とも飲めないから自分だけビールを飲んでいた、あの二人は一緒になると面白いんだよな、ジャズを聴きに行くよ。

大学の友達に、自分のおさななじみと会ってもらったりした。自分の友達は優しい人が多くて嬉しい、コミュ力もあるのでみんなで楽しく話した、沖縄行くから待っていてくれ。

家族と就職祝いの飲み会を開催した、個室でゆったり、自分は社会人になるのだな、学校というフィールドからまず出るのだなとそこで思ったりしたな。

卒業演奏会の声楽伴奏もやり遂げた、複雑な思いを抱きながらも友人や先生から良かったよと声をかけられ、やっぱり二人じゃないとねと言われた時、自分らはバディだったのだと思った。

卒業演奏会の夜には、小学校の時の担任との同窓会があった、数年前はこんな場があることなど想像していなかったし、それが行われていることに「こうやって人間は成長、歳を重ねるのだな」と思ったものだ、僕らは確実に日数を経ているのだ。

そして卒業式がやって来た、音楽がずっとどこかで鳴っていた環境からの卒業、人生の恩人とも写真が撮れ、面白いお土産までもらってしまった、僕はきっと辛くなった時これを見るに違いない、夜には同じコースの仲間たちとの初めての飲み会があった、友達は4年間の眠気と戦っているようだった。

その二日後はまさかの東京でレッスンであった、切り替えをしっかり、僕は夢に向かって頑張るのだから。

その次の日は、人生の恩師の新たな門出のため、ダンボールに荷物をつめる作業を手伝った、僕はこの日から先生を人間だと思うようになったのだ。

大学の友達と、これまた大学の友達が出る演奏会を見に行った、村上春樹も好きになりそうだった。

高校でのバイトの最終日はその次の日だった、僕は週1の面を下げて別れを惜しんだ、その日はまた先生のダンボールつめつめ作業であった、この日に僕は打ち上がりたいですねと意を決して言ったのだ。

大学の友達とカードゲームバーにも行った、ここは大学2年生になる前に来たところ、もう一度来たかった、おじさん構文ゲームが面白かった。

おばさんとも会いたかったので、ランチがてら会うことにした、僕はこの人とどうも馬が合うみたいなのだ。

最後のダンボールつめつめデーになった、実に晴れやかな気持ちでその日を迎えた、次があることを、その次もきっとあることを願って。

おさななじみと、まだ日が遠いと思っていた決起会が早くも行われた、自然を見て、日本酒を入れ、カラオケでハメを外した、3月を駆け抜けたのだ。

これだけ懐かしむ思い出があることは良いことだ。

これからは、小学生、中学生、と一斉に区切られることが無くなる。

するとこの昔を懐古する感覚は無くなるのかと思う。

しかし、これからはそれを自分で作り出せば良いだけのことだ、環境を変えればそういった色とりどりの思い出で飾られるはずだ、とポジティブな考えがよぎる。

 

ついに僕は明日、入社式を迎える。

あれほどわくわく心待ちにしていたこの日。

明日を皮切りに全てが始まる、僕が就活中1年間夢見たことを実現するための日々が始まるのだ。

三兎を追う。

さて、未来の自分はこれを見て何を思う?