nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

この3ヶ月で考えたこと

3/31の入社式から約3ヶ月の研修が終わりを見せようとしている。

人生に一度しかない、新卒入社の最初の3ヶ月。この時の感覚をしたためておくのは、今後に良い影響を及ぼすに違いない。

 

 

初日から、偉い人が前で説明をするのを聞く2日間。

とにかく自分が思っているより、理念って大切なんだなぁと思った。

ずっと姿勢を良くしてなかなかにきつかった。

他の新入社員と、入社動機を話すタイミングがあり、みなもそれぞれのストーリーを持っているのだと痛感した。

今思えば、あそこで話した2人のうち1人が自分と同じAB型で、テンションも通ずるものがあると気づくのはまだ先のこと。

みんなが頭の良いように見えたし、完璧なように見えた。

休憩が終わるとすぐシュッとなる様に、TPOができた人だこと、と傍観者になってみたり、会社の役員たちに学生っぽさの微塵も感じさせない挨拶をする様に、何をそんなに気取っているのだ、と思ってみたりした。

ビルの外で自社への反対運動をしている人たちがいて、最初はびっくりした。

しかし、役員の方は丁寧にあの現象を説明してくれた。

長いこと手広く会社をやっていると妬まれることがあるらしい。

ホールディングスの方の社長が挨拶をされた。

ネットで見ていた人だ、と胸を高鳴らせた。

これからやっていくんだぞ、という意気もそこで改めて感じた。

この日は、帰りに妹の演奏会があったので、慣れない電車から慣れない電車に乗り換え、会場に向かった。

電車でたまに見るスーツ姿に、”不安だよね”と同情のような気持ちを抱いた。

先生に送ったメッセージに、変な期待と落胆を感じたっけ。

入社式のブログを見るとそのようなことが綴られている。

まぁともかくワクワクの初日であった。

 

演奏会を聞く土日を挟んで、この時期は音楽と仕事という二つの軸の周りをちょろちょろと回っていたように思う。

この週は福利厚生だとか、もろもろの話を聞いた後、4/5から本格的な研修がスタートした。4/5はまずビジネスマナー研修からであった。ここから1週間ほどは、私の社会への懐疑の目が注がれていった。なぜそのような言葉遣いや話し方が習得されているのかわからない立派に聞こえる同期の回答、求められたこと以上のものをやり遂げようとする覇気、前に言っていたことをすぐに取り出すさま。同期はなごやかにコミュニケーションをとっているようで、実は裏ではみんな全くの敵なのではないかと思った。

 

研修1ヶ月の間、僕のBGMは「冠水橋」一択となった。けだるさ、諦め、ゆらゆらと揺れる感覚、洒落っ気のある曲調が妙に合った。同期への懐疑感だろうか、音楽と揺れる自分の軸だろうか。この曲で、東京に一種の疑いの目を注いでいた。今でも、吊り革を持ち、スーツに身を纏い、朝から行かなくてはならないけだるさ、ビルに着き最上階からの朝の眺めを見渡しながら手を洗う感覚、今日はどんな研修なのだろうか何を言われるのだろうかとびくびくしていたことが思い出される。そんな曲となったのだ。

 

4/7からは、例のコンサル上がりによる研修が始まった。たしかここら辺で自分の帯状疱疹が現れた。ピリピリ初めての感覚、これが社会からのストレスなのかと思ったが、今思えばあれは環境があまりに変わりすぎた、かつ自分が繊細で全ての事象に問いが湧いていた故だったのだ。社会人と学生はこんなにも違うものなのかと終始思っていた。その思いの強さ故に、人生の恩師に疑問を投げかけた。学者とサラリーマンって効率化という点で違うものですか?というものだった。自分は、効率効率と散々言われてきた研修に嫌気がさしていたにちがいない。学者の姿に憧れを抱いていたことも理由にあるだろう。今まで自分は効率化とは反対の世界にいたから。音楽は効率では測られない、測りきれない、そんな世界でやってきたもんだから、効率効率と言われるだけでそれだけを求められているのではないかと思うようになってしまったのだろう。問いかける1週間であった。

 

4/8の休みの日。この日は、「自分らはできることが少ない、せめてできることは、挨拶や環境整備をすることくらいではないか、お金をもらっているのだから、と当たり前のように友人に言われたことが印象に残っている。そこで、今まで「なんで自分のことは自分でやれないんだ」と疑問に思っていたことに対して、一つの答えを得ることができたように思う。こうして少しずつ社会に自分を合わせていった。

 

4/11からは、先輩のトークセッションというものが始まった。日ごとに変わる、先輩社員をできるだけ覚えようと、少しの情報でも書き溜めておいた。話し方の特徴、身につけているものの特徴、自分はこの人とフィーリングが合いそうかという目安。この頃には、家で手作り名刺を溜めることも板についてきた。そして、この日は要約力ということで、いくらかのビジネス書を読んで、その要約をteamsに投稿するという研修を行なった。みんな読むのがさすがに早いな、などと思った。そして、自分には要約力が無いと落胆した日でもあった。ものごとをすぐに処理する能力、そしてそれをすぐ咀嚼して自分の言葉に直す力。自分はそれを時間をかけてしかできない。そして、ビジネス書を合計10冊ほど、要約を込みでさらっと読んだ自分は、つまるところビジネスはPDCAサイクルを回していれば、より良いやり方を見つけられるようになるのでは無いかという結論に至った。そして、10冊とも同じようなことを言っていることに気づいてしまったと思った自分は、その発見をチームに共有すると、「それはそうだと思う」というような調子で、自分の発見はどってことのない発見だということ、そしてその発見が目的に決まっているだろうこと、そしてまんまとその気づきにまるで自ら気づいたかのように思わされていることを自覚させられた。自分の妙なピュアさが、少し恥ずかしくなった瞬間であった。体当たりで取り組むのではなくて、俯瞰しながら余裕を持って取り組んでいるような様が妙に鼻についた。その子とは、今では仲がいいが、やはり研修期間であること、本配属がまだまだ決まらないことが人の見え方をそうさせていたのかもしれない。

 

4/12には、この研修の意義を説かれた。自律をすることが目的だということであった。そして、メタな見方を説かれたあと、サステナについての課題と講義が行われた。そのとき、このチームの海外留学経験女子のプレゼンのうまさ、パワポ作りのうまさに圧倒されることになった。あの子は、なんでもそつなくこなすよなぁと思う。この日の自分のB5ノートの欄外コメントを見ると、いかに影響を受けているかがよくわかる。そして、この日は、ビジネスとプライベートについて疑問を持っていたみたいだ。ビジネスの感覚が染み込むにつれて、プライベートにもその感覚が流れ込む様。それを少し感じ始めたみたいだった。今は、それほど感じないが、たしかに何か生き方が変わる違和感や不安を、この日は感じた。研修の時は特別厳しかったよなぁという印象は持っているが、一日一日、とにかく体当たりしていた。

 

4/14からは、国際協力の関係会社による研修を3Daysで受けていた。ここの社員は、自分と馬が合うみたいだった。さすが、海外に関わりを持つ人だ、と思った。テンションが自分に近いと思った。本当に自分はこの会社で良かったのか少しだけ、不安になった。発表の時に大胆にできる度合いが、明らかにこちらの方が高い。のびのび発表できるのには違いなかった。突飛な意見もよく出てきた。そのような研修を混ぜ込んだ人事側の意図もあるに違いないと思うが、そんなようなことを感じた。

 

そして4/18には、最後の大きなグループワーク課題が課せられた。これについては、とても苦しめられた。どうしてこの議題に絞ったか、定量化はできているか、いろんなことを考えた。同時に自分の今の役割は何か、チームのためになっているか、意識しながら動いたものだ。チームメイトの動きを見ながら、周りのチームの進捗具合を見ながら、時に疲弊しながら、絶妙な緊張感の中活動していた。

 

4/19には、また国際協力の関係会社の研修に戻った。ここで、フィリピンのZOOMインタビューをパッションで乗り切ろうと結成されたチームと巡り合う。このチームでは、とても活動がやりやすかった。みんなあまり尖った言葉で、他者を批判しようとしない。みんなが丸みを帯びた意見を、しっかりと表明するというような具合であった。のちに、定期的開催をしようと飲みにいく仲間となる。そして、他の帰国子女や英語を専門にしていた者がリーダーであるチームからは、自分がそう言っていたのだが、本当にパッションしかないチームだとレッテルを貼られていた。私は心の中で、みなが気づいた時に「あれこんなにできてたっけ?」と思われるように言語のスキルアップを必ずすると決めた日でもあった。

 

4/24には、面白い人の先輩トークセッションを聞けた。ビジョンを考える会に携わった人だったが、この人もいろんなものを見て、そして考え、伝わりやすくそして面白く表現できる人なのだと思った。あの方とは、一度お話がしてみたい。うちの会社には、いい人、すごい人が本当にたくさんいるのだなと思った日であった。

 

4/25には、UXということで、ウェブページを作ろうという研修を行なった。ここで、一人で作ってみる時間を設けられ、良かった人に投票、その後その人が発表というワークがあった。私は、怒られること覚悟で他社のキャラクターを使い、怪談レストランという名のレストランのWebページを作る。同期や担当の方にいい反応をもらったことで、少しいい気になった日であった。そして、チームで部屋に鮨詰めになって考えても良いアイデアは出ないんすよ、という言葉をに強く同感を覚えた。自分は妙に、今のグループワークでは本領を発揮できない。そんなことを薄々感じていた。突飛な意見を出しづらい雰囲気、一人なら何でもできるのに、という気持ちが少しあったことをしたためておこう。

 

そして5/1、この日は例のコンサル上がりの人の最後の言葉ということで、今までの言葉が綺麗にまとめられて締めとなった。

 

そして5/2は最後の大きなプロジェクトワークの発表があり、総仕上げとなった。自分のパートはまぁつっかえるは、言い間違えるはで、用意周到な他のチームメンバーとは見劣る結果となった。そりゃそうだ、ほぼアドリヴでいけるだろうとか、書いていては自分の言葉にならないだの言ってあまり練習しなかったのだから。しかし、大きなワークが終わって、この日はどっと疲れが出たのを覚えている。驚くことに、発表の後は、人事の人とお菓子を食べながら喋るという会が催された。ここで話していて、コンサル上がりのあの人は、研修用の演技をしているのかもしれないと感じた。仕事とプライベートをぱきっと分ける人なのかもしれない、研修での役割を全うしているだけなのかもしれないと思ったのだ。簡単に言うと、この人も人間なのだと率直に思った。そのあとは、いつもの店で、同期と飲み会をしてパァーッと終わった。

 

仮配属では、一つ一つに新鮮な感覚を覚えた。経費で落とすという感覚。世の中に産み落とされているコンテンツは全て本当に人間の手で1から作られているのだということを目の当たりにした感覚。今まで持ったことのない感覚を持つということは新鮮に映った。

 

本配属当日、自分はまんがチームかなとか、音楽チームかな、とか思っていた。

和やかな発表会では、まさかのエンタメチームという発表をいただいた。

予想外であったが、のちに理由を聞けば致し方なかった。

すぐに恩人に報告をした。

学びにいたらそこにしかいないと思われたのだろうと言われ、すんなりその言葉を受けとった。

丁度その時、モモを読んでいたからかもしれない。

子どもの頃を思い出せば、エンタメ要素は必要になるに違いなかった。

携えられる武器は多種多様な方が良い。

 

それからぴよぴよなりに仕事を覚えていく毎日が始まった。

休日に行ったジブリの美術館で、アニメーションのラフへの色の指示が書き入れられているポストカードが売っていた。

僕はそれを、「まさにコンテンツの裏側、編集じゃないか!」とすぐさま購入した。

このようにキラキラ、今は業務に挑んでいる。

 

どうやら自分が同期の中で一番実務に近い業務をしているらしかった。

日々の業務で、自分の現在位置、そして目指すところを見失いそうになる。

俯瞰するのだ。

メタな視点を持つのだ。

そのためにも、この3ヶ月を、激動の3ヶ月をここに綴った。

原点はいつもここにある、自らが綴った言葉たちに宿っているのだから。

あの小学5年生の時からずっと。