久しぶりに横浜に降りた。
そして東武東横線を使って、あの東部東横線を使って、白楽へと降りた。
下町。
私は下町めぐりをしてみたい、ある程度の清潔感のある下町、先生と一緒にしてみたい。
次に先生に会える日を楽しみに、私は自分磨きに奮闘中である。
フェイシャルエステ、骨盤矯正、眉毛の脱色、新しい服の買い物....
なんのためにやってるの?といえば、自分磨きのためだが、果てはあなたに会った時、少しでも可愛いと思われたいから。
こんな健気にあなたに会える日を心待ちにしているのです。
そして、次会う時は、今までと違う。
なんたって、会う前に緊張故食欲が湧かなくなってしまう病に対して、手を打ったのですから。
この常備薬があれば、この心の疼きからくる病とおさらばできるかもしれない。
だからこそ、今か今かとあなたからのメッセージを待っていました。
私からメールをするのは、今回は封印しようと決めたのです。
あなたに貸している本があるから、(私も借りている本がありますが)いざ会おうとなったらどうとでも言えるはずなのです、あなたから。
それを、ずっと、待っていたのです。
「下町にいきたい」という旨をSNSで呟きました。
それまでにも、美術館に行きたい、逗子の海を見たいと呟いてはいましたが、あまり刺さらなかったようです。
今回は、いきなり、「下町」とだけLINEが来たのです。
たったそれだけです。
でも私は嬉しかった。
あなたの「下町」がどんな意味を含んでいるのか、私には五分五分でわかっていますが、確かめるためにニュアンスのある質問を投げかけました。
いまだに確実なお返事はもらっていませんが、ぜひ一緒に行きたいと思うのです、そして会う前に例の薬を飲んで、そうして思いっきりあなたと話がしたい。
気兼ねなく、また会いたい時に声かけますね、と言って、大崎に着いても気兼ねなく約束のスタバに出向いて、カフェ難民になんかならず、先生の本を出す夢をずっと追い続けながら、そんなことをしながら、先を生きる先生と繋がりを持っていたいのです。
埼玉の下町はどうだとか、東京の下町はどうだとか、そんなことを聞きたいわけじゃないのに。
2023 9/19
会社とは面白いな、と客観的傍観者として思う。
今まで、先生生徒、先生学生、友達、先輩、後輩でしか僕らの関係は定義されなかった。
そこに、仕事仲間という新たな定義が加わった。
仕事仲間。
プライベートとビジネスをきっぱり分ける人、あやふやにする人。
僕は100%後者に近いので、前者の人種とは交わりきれない。
僕の直属の先輩から漂う、前者の匂いを感じていた今日この頃。
本日、その匂いの訳が少し分かった気がした。
イヤな予感が的中したのだ。
10月で部署異動します、と先輩から発表された僕は、少しの笑みをこぼしてしまった。
先輩がいなくなるのが嬉しかったから?そんなことはない。
むしろ、どうやったら距離を縮められるのか考えていたくらいだ。
そうではなく、僕の親と同じことが起きたから、やっぱりか、という笑みが溢れてしまったのだ。
先輩は僕に、一番めんどくさいことにならない無難な対応をしていたのだろうか。
あと数ヶ月だし、という気持ちがどこかにあったのだろうか、それとも早く念願の部署に移動したいという気持ちが隠しきれなかったか。
いつか、この仕事での距離に慣れるのだろうか、海外はどんな距離感なんだろう、誰かが人間の悩みのほぼは人間関係によるものだと言った。
あながち間違いではないのかもしれない。
人事関係のことはやすやすと同期に話せたものではないので、一人もぞもぞしながら1日を過ごした。
帰り道、大崎のスタバに寄った。
2020年の6月にまた会う話を読んでみた。
入社して、先輩社員からおすすめされた本であった。
時代を変える者はいつだって若者だと説くその本は、読んでいて勇気のもらえるものだった。
もぞもぞとした気持ちを、「よし、新しい企画出そう」という晴々とした気持ちにしてくれた。
退勤後のカフェ読書タイムはコンスタントに死守したいものだ。
今と昔の自分と対話する時間、そして原点を思い返す時間。
アザラシがこちらを見ている。