nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

新しい門出

ついに来たか、東京五反田。

 

僕は久しぶりに早朝5:30に起き、慣れないJRに乗り、慣れない景色を見て流した。

品川駅で乗り換えのため階段を上がった時、トイレの前には長蛇の列ができていて、東京のトイレはこんなに少ないのかと思った。

山手線に乗って、意外とここは人が居ないなと思いながら2駅が過ぎると五反田に着いた。

会社が見えた時、ついに来たかと思った。

 

今日は入社式だった。

新入社員代表挨拶は一体誰だろうと思ったら、同じ会社の同期にその代表の一人が居た、京都の大学院を出ている人で、もう闘いは始まっているようだった。

同期はみな同じような、穏やかな雰囲気を有していた、社員も役員もえらぶることなく皆同じくらいには穏やかであった。

色々な部門の説明があり、経営理念が如何に大切かを説かれた、本当に大切だなと素直に思った。

zoomで参加する新入社員が小さな画面でうとうとしている様子が映し出されているのを見ながら、僕は役員の説明を聞いていた。

聞きながら、僕はこれから何をしようかと頭の中で作戦を練っていた。

どんな過ごし方をしたら、簡単に言ってしまえば僕は偉くなれるだろうか。

そんなこんなで長いと思っていた研修は17:00をすぐに回って、解散になった。

今日1日をやった結果これからなんとかやっていけそうだと思った、新しい門出はポジティブに彩られた。

マナーモードにしていた携帯を解除すると、あの人からメッセージが来ていた。

 

写真と共に送られていた、新しい研究室はよい感じだというメッセージ。

新しい環境を写真付きで送ってくれた!嬉しい、と思ったあとすぐに、なんだか急に遠くへいってしまったような気がした。

自分の大学より一回り大きな研究室、何人か学生が入っていけそうな広さ、沢山の本棚、准教授と書かれたプレート。

なんだか急に、とメッセージを送ったあと指が止まった、ちょっとしてから、遠く遠くへ行った気がしますね、と送った。

急にそう思った。

あれだけ晴れやかな気持ちで別れたのがついこの間なのに、僕はまた先生を遠くから眺めている。

また近寄ったら変わるだろうか、わからない。

 

いざ環境が変わると、今まで感じなかったことを感じるようになることって、あるのだろうか。

あのいつでも会えた環境で行われた会話や、漂っていた雰囲気や、笑いを共有したトピックは、もし能動的に会ったとしても同じものは二度と行われない、いくら友達と関係が変わらなくても思いが変わらなくても、あの場で起きていたことは同じようには起こらない、そう思ったらあの大学で起きていた全てがまるで奇跡のように感じるのだ。

新しい僕らの形、なるものを二人で探していくしかないのだな。

「いくら環境が変わっても双方が何かしらの楽しい気持ちを感じていればどこへ行っても大丈夫だろう」と漠然と、一種の願いのように思っていた。

しかし、環境が繋ぎ止めるものもきっとあるだろうなと思い直した。

あの広い研究室で、研究に没頭できる素晴らしい環境で、熱いゼミが開けそうな場所で、僕の存在は掠れていくのだろうか。

高校で経験したようにやっぱり淘汰されていくのだろうか、僕が淘汰されるのもそうだが、左様ならばこちらも淘汰する道を選びます、というようになっていってしまうんだろうか、これが新しい門出なのか?

僕はどんな存在になりたいんだろう、また分からなくなってしまった。

それでも僕は、繋ぎ止める何かを求めて、いやそれはただのおまけだ、9割9分は自分から湧く純粋な欲から、学びに勤しむのだろう、それは紛れもなくあなたのお陰だという事実だけは変わらず。

これで次会うのが気まずくなったら嫌だな、自分がそうさせているだけなのに。

もっとこう、軽い気持ちで会えないのか、どうしてそれが出来ないんだ。

どうせ卒業したら双方が忘れますすぐ、と綴ったいつかのブログ。

案外そうなのかもしれない。

色々を飲み込んで明るくメッセージに返信した。

寂しく新しい景色を流した。