nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

4年間を糧にする君へ

4年間を糧にする君へ。

未来の僕に向けて残せるものを出来る限り残そうと思う。

物事を絶えず研究し続けられない、糧を見失ってやりきれないと思った時、これを読んでほしい。

 

大学に入学して、自分の担当の先生は誰なのかとそわそわしていた。そんな不安な足取りの中、レッスン室を覗くと居たのがOMR先生。あの時の安心感は本当に計り知れないものだった。右も左もわからなかった1年生の時も、上手くいかない時も、大きく成長した時も、ユーモアを持ってアメリカンに寄り添ってくれた。この4年間を続けてこられたのは先生のおかげです。本当にありがとうございます。

 

EGC先生は2年間とちょっと、お世話になった。これは音楽ではない、と厳しいことを言われたものだった。高校の時からお世話になって、すごい方に少しでも教われたのだと思うと嬉しい。自分の受け皿がもう少し大きい頃に受けていたら、また感じ方は違ったのかもしれないが、あの時にあのレッスンを受けたから今があると思えば、なんら惜しいことはない。音楽、を続けてみせます、先生。

 

副科ながらも、サックスを3年間しっかりとみてもらったNHR先生もいる。年度が上がるにつれ、教えてくれる内容や含蓄のある言葉も増えていき、真摯に向き合ってくれているなと感じたものだった。忙しくて副科に練習時間を割けない時には、何かを感じて、今日はこの辺にしましょうと頃合いを見てくれた。色んな過去がある先生だった、複雑なことを知っているからこそ教えられることもあるのだな。ずっと格好良い先生です、ありがとうございました。これからも可愛いワンちゃんと元気に暮らしてください。

 

 

1年の時のISD先生は将官であった。ざっくばらんなレッスンをしてくれた。3年になっても声楽試験伴奏の時は声をかけてくれたものだったな。必殺うぉうぉ。あの副科声楽は楽しい時間でした。ありがとうございました。

 

 

教育心理学や特別支援関係では、KTMR先生によくお世話になった。とても仲良くなりたいと思ったが、そんなテンションでは無さそうだったのでそっとしておいた、4階で会釈するのもまごまごするくらいだから。でもそんな、駅で見かけたら学生じゃないかと間違えるくらいの人でも、やっぱり偉大な先生だった。自分達に寄り添ってくれる心理学な先生だったな。学生へのフィードバックを当日の朝までやる先生、温かく、みんなに慕われる先生でした。卒業の時にあげたシールはなんやかんや嬉しそうに受け取っていた。喜んでくれているようで良かったです。教育で、社会で、気づきがあった時は先生のもとに行きますね。

 

 

 

MTBR先生は、みつばち。前校長先生をしていたんだとか。優しい声の理由は...声楽出身者らしい。シルエットがかわいらしいよなぁ。頼りたくなる、優しいお父さんみたいな存在だった。卒業演奏会を見にきてくれて、良い伴奏だったと言ってくれた後、明日研究室に顔出してねとニコニコ笑顔で言った。すると卒業式当日、なんと僕が渡したシールをデータ化して作ったタオルを渡してくれた、先生が発案者だったらしい。なんとユーモアのある先生だっただろう。教職みんなのお父さん、私は先生の物真似を出来ますよ、優しい笑顔忘れません。

 

 

KMN先生は、めんどくさがられる先生だったが、いや私は尊敬をしている。色んな本を読んで、色んな音楽に触れて、色んな生徒と向き合ってきたんだろうなと思わせる雰囲気。教育実習を経てからは、本当に頭が上がらない。金言が多く出てくる先生の一人でもある。教育を沢山考えるための問題提起をしてくれた。先生を恩人だと言う先輩先生たちも多かった。高校での1年間の職にも推薦してくれた。飛ぶ鳥跡を濁さず、というような先生。僕の頑張りを認めてくれてありがとうございます。

 

 

MTMR先生のレッスンに通い始めたのは2年生の夏。この先生は自分がなりたい像を体現したかのような先生だ。最初は恐れていた、それはそれは恐れていた。でも本当に1年を過ぎたあたりから大分大胆な部分も垣間見えて楽しく話すようになった。人生で大切なことを教えてくれる先生、しかし、教えるってのは本当はだめなのよね、と教える先をゆく先生。一生ついていきたい、と思える先生なのだ、これからも。末長くよろしくお願いします、私のロールモデル先生。

 

 

OZK先生は3年の実習授業でよくお世話になった。寡黙で面白く無さそうな先生だと思っていたが、よく話すし、ブラックユーモアもあるし、なんだか面白い先生だった。でもなんかいつも1〜2mm浮いてるよな。実習授業の時は、自分のペアだけ特別レッスンが必要になるくらい大変であった。呼び出しを食らうなんて...と思っていたけど、それがなければこんな面は見えなかったのだ。最後は円満に、積極的に動いてくれてありがとうと感謝されたし、良い経験であった。大きな接点を持てた2021年12月、大変で楽しかった。自分がもっと大きくなって、影で応援されたい人ランキング上位。またぱたっと出会って、数秒遅れて挨拶し返してください。

 

 

UEN先生は実習授業で出会い、外部でピアノを弾く機会でたまたま出会したことがある。実習授業の時はクールでつんけんしているのかと思ったが、いや、ちょっと不思議な雰囲気を纏っているだけだった。それと少し皮肉が効いているだけ、である。本当は、講評に「頑張ってね」と知人故のメッセージを残してくれる温かい先生だ。SNSで繋がれて嬉しかった人ランキング上位。コンクールでお会いするかもしれません、精進を続けますね。

 

 

MYZK先生は美術史の先生であった。この先生は綺麗にルネサンスから現代までの美術を網羅してくれた。あの先生からするとほんの一握りの知識を教えただけなんだろうが、私はそこから自作の美術史を作るほどになった。先生の言葉で好きなのは、「写実的だとか、そういうのが美術ではなくて、現代美術は....」たしか現代美術はもっと作者の中にあるとか、自分の中にあるとか、そういった言葉であったに違いない、僕が下書きの途中で執筆を止めたのがいけない。しかしMY先生、僕はきっと沢山の美術と向き合います。

 

KUN先生は2年生の時の室内楽でお世話になった。優しいお母さんみたいな先生だった。しっかりしていて、学生を見守ってくれて、しかしもっと音楽を、芸術を、と音質にこだわる先生だった。先生のレッスンを受けたのは、オンラインが初めてだった。コロナ故だ。初めてレッスンを受けた時は、「悔しい」という気持ちが湧いてきた。作曲家についてこんなにも知らない自分に気付かされたのが悔しかったのだと思う。卒業時のストーリーにも、おめでとうと、印象深い生徒さんだとメッセージをくれた。ありがたい。あの頃、愛が溢れて、先生の特製シールを作って渡せてよかった。あなたなら大丈夫よと言われた言葉を胸に、堂々と顔見せ出来るように、頑張りますね。

 

ART先生は、音楽美学の先生だった。僕はこの先生の講義を定期的に受けたい、本当にそう思っている。講義が美しい、一つの詩的な作品であった。厳しいことをざっくばらんに指摘して、そんな意識では君らはついにやっていけないのだということを暗に説いていたと感じる。学問はこんなものじゃない、と主張をしていた先生、僕もその言葉を解像度を上げて、説得力を持って言えるようになりたいです。頑張ります。

 

SNG先生からは4年の室内楽で教わった。この先生は、毎週金言が出るような先生で、僕にはコンデンスミルクすぎて、週1のペースではなかなかに厳しいものがあった。自分が知らないことを聞かれるとゾクゾクする先生で、まさに無知の知ソクラテスであった。無論、学生にも如何に君たちが音楽を知らないかを説く人で、しかし同時に音楽をするって何だろう、音楽って何だろうと理論では説明出来ない人間の感性も重んじる先生であった。僕はこのレッスンで泣いた泣いた、苦しいほどに泣いた。この先生にはそんな力があった。室内楽のパートナーと相まって、たまにおや?と思うことはあったが、しかし、僕は先生に胸を張ってこんな生き様をしているんですと言えるようになりたい。頑張ります。

 

楽式論は二人の先生に教わった。

一人はTKHS先生。僕は色々とこの先生にちょっかいを出していた。ちょっかいを出すと面白い先生だった。へらへらしている。でも、初めての講義を手探りながらもやり遂げてくれた、ありがとうございます。先生が好きな本読み、僕も続けて、美術と音楽と文学を行ったり来たりしたいです。

もう一人はKND先生。少ししか教わらなかったが、僕が聴講をお願いした先生だ。KND先生は「それぞれの楽器の移調くらい出来ないとだめですよ」と笑顔で言った。私は巨匠先生と呼んでいる。本当巨匠みたいに凄い先生だった、オーラが違う。いつもニコニコしている、まるで世界の色々を見てきてそこら辺で起こることはどってことないのだということを知っているかのように。

 

そうしてKSMT先生。あなたは僕を変えてくれた1番の先生です。あなたに出会わなければ、私はあのままでした、教育を志すこともなかったでしょう。「哲学者になりたい音大生」で内定をもらえたのも、元を辿ればあなたのおかげです。この職業を選んだのも、もしかするとあなた故かもしれない。いつか、自分が立派になって、あなたの携わる本を刊行できたら。そうでなくても、業務上、教育について勉強するにあたって、再びあなたの講義を受けられたら。そんな微かな希望があるのです。僕は、これからもよろしくお願いしますという気持ちでいます。

 

この大学で出会った全ての仲間、先生、人々に感謝をしたい。

これほどまで僕が色々な要素を吸収して形成されていった時期がかつてあっただろうか。

辛い時は思い出したい、4年間を積み重ねていったものが確かに紛れもなく自分の中に存在しているのだと。

自分が今まで出会った先生に、今の生き様を見られて恥ずかしくないかを常に意識してほしい。

顔向け出来ないような、期待を裏切るような、そんな怠惰な生活はしていませんか。

きっと出来るはずだ、この4年間があれば、僕にはストーリーがあるのだから。

そうやって、次々と出てくる夢にチャレンジして欲しい、頼むぞ。