nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

2022年

○2022 08/01

 

せんせい

 

先生はそうやって逃げ道感覚を飼い慣らしてきたのですよね。

これで良かったのかなと思うことがあるんですよね。

私も似たようにそうやってきました。

でも今回はそれを少し手放してみようと思ったんです。

というより、手放さなければいけない、そんな存在だったということです。

これで良かったのかなと思うことがないようにしたいと思ったんです。

でもそれは社会的に?世間的に?立場的に?タブーに近いと思われます。

だから、ただ一つの確信を手に入れて、そうしてから卒業したいと思ったんです。

先生は今まで教え子と二人で飲みに行ったり、話したり、してきたことはありますか?私が卒業しても、何かしらの関係を持っていられるでしょうか。そうではなくても、せめて、先生の中に私は何か色濃く残っていられましたか。あわよくば特別な存在として。

 

○2022 09/06 

 

写真を整理していた。写真を見ながら思った。よくある青春・恋愛映画で、照らし合わせられる過去があるだけでもう十二分なのかもしれない。懐かしい、と感じる。会いたいと思ったら、言っていいのかな。年を重ねると素直に言えなくなるのはこういうことなのだろうか。元気にしてるか聞きたいだけなんだけどな。

 

 

○2022 9/22 僕は多分違う

 

今日、久しぶりに会った友人と立ち話をした。彼女は今度のコンチェルト演奏会に出る優秀な子だ。彼女は1年生の時から意欲的だった。音楽大学に入学した当初僕は、1年違うところで音楽を勉強してこちらに入学してきた一個年上の彼女の考えや経験に驚いたのを覚えている。幼少期から音楽を志して来た人は違うなと思った。人脈作りに意欲的で、既にコンクールにも出ていて、頭の中は音楽で一杯らしかった。そんな彼女、大学4年になって、将来についてどう考えているんだろう。そんな話をしていた。彼女は「音楽をやっていないと生きている感じがしないんだ、ずっと楽器のことを考えている」と話した。僕にはそこまでの気持ちは無かった。彼女は続けて、「自分の表現する音楽をみんなに伝えたい」と強く訴えた。僕はと考えると、「まだ見ぬ世界を見たい」という気持ちが先に出て来た。僕はそうなんだ。彼女は社会に向けて音楽をしたいんだ、僕は違う。僕は、自分の世界を広げるために音楽をしていきたい、それが誰かに伝われば良いなと思う。出発点が違う。社会で生きていく術をどうしようと考える時、社会に音楽を伝えて貢献したいと強く思う人が演奏の道に進み、そうでない人・違うことで社会に貢献したいと思う人は違う術で生きていくのだろうと思った。ただそれだけなのだ。音楽を生業にしたいか・するか、というものと、音楽が好きだというものは違う次元のものなのかもしれない。もちろん好きから出発するのだろうけど、生業にするにはそれなりのエネルギーが必要だと思った。

 

 

 

○2022 09/24 不確実な学問

 

ここ最近はなんだか音楽ってどんなものだっけ、という感覚で生きている。だから師のレクチャーコンサートに行った。元気が出た。音楽やっぱり素敵だと思った。コンサートひとつで自分の専攻への勢いが出たり出なかったりするんだから、こんなに不安定な学問は無い。難しいことを専攻していたのだなと思った。こんなにも不確実で、不安定なものを学んできていたのだと。身体を目一杯動かして疲れたわけでもなく、人間関係に疲れたわけでもなく、そもそも疲れているわけでも無いかもしれない。何かに大きく打ちひしがられたわけではなく、誰かと比較してがっくりきているわけでもなく、なんなんだろう、前の自分ならもっとこんな音出せたはず、もっと何かこう音楽を出来ていたのに。なんだかよく分からないけど、炎が消えそうです、今。そう心の中でつぶやいた。こんな時は言っていた通り再燃するのを待てば良いんですかね。原因も分からない学問ですよ。

 

 

 

○2022 09/27 逃げない

 

「そうか、ピアノを弾いても楽しく無いんだぁ...。

頭がぱんぱんな時はね、どうぞ休んで下さい、是非。休んでる?

年間10回は休めるんですよ、自分の時間を使わなきゃ、この休みは具合が悪くなった時に休む休みだけじゃないですよ。今のあなたみたいに何か得体のしれないものにもがいている時、そんな時に使うんですよ。

休むというのは、やるというのと同じくらい大事なんですよ。

ドイツでは、バカンス中に風邪を引いて1週間寝込んでたら、バカンス後に1週間休みをくれますよ。

なぜなら、その人はバカンスという時間を1週間分過ごしてないから。

良いですか、休むからやれるんです、やるからまた休むんです。

現代人は変に忙しくすることが好きだから、明日はこれがある、今日はこれをしなきゃいけないって、よっぽど庭の花を見ていた方が豊かになる。

かきたてられることが無くて、ピアノを弾いてて楽しいと思わない、なら弾かなければ良い。

そういう時に弾いても何も生まれないよ。

そんな時に弾いても、レッスンに来ても、良い演奏は出来ない、意味が無い。

自分の心と音楽は密接に繋がっているからね。

ピアノを弾かなきゃと思ってピアノを弾くってことは、逃げてると言えるんですよ。

何故なら指は何も考えずに動くから、何も考えなくて済むから。

自分と向き合うのが怖いんだよね、きっと。

乾いている自分と向き合うのが怖い。

もっと瑞々しくて緑が生い茂るような自分でいたいのに、インスピレーションが湧かない、豊かでない自分を見るのが嫌なんだよね。

音楽は時に残酷ですよ、何も無い自分に気付かされる。

でももっとピアノから離れて、考えなきゃ。

ベートーヴェンが、散歩をしないで曲を書いたと思う?

音楽のインスピレーションは、楽器と向き合っていない時間から生まれるんだよ。

すぐそこのコンビニに行く路でぱっと思いついたりする、読書している時に思いついたりするんだよ。

今主科はラプソディ・イン・ブルーやってるの??そんな気持ちじゃ弾けないでしょう。

そんな時はもう本当、弾かなくて良いよ。

でもこうやって悩んだ後に出てくる言葉は、きっと誰かを救うんだろうなと今思ったな。

正しいことを言える人とか先生は沢山いるんですよ、みんな正しいことを言う、でもそれは人の心に訴えかけないことがある。

同じ言葉でも、色々な壁に当たって、砕けて、苦しくて、って経験をした人から出る言葉は、人の心にスッと入ってくるんだよね。

今の経験はそこにつながる気がするよ、これでは何も解決にはなってないけどね。

自分の悩みを人に話したりすると言ってるけど、もしかしたら自分と話した方がいいのかもしれないね。

僕はね、あなたについて一つ心配なことがあるんだよ、違う場合は流してくれて良いよ。

深刻なことに、自分が辛いことに、笑って蓋をするような気がする。

辛くないの?シリアスなことでも、そうやって笑って話している。

それだけ心配。

でもなんだかこれには時間が必要かもしれないね、次のレッスンも、その次のレッスンもどうぞ好きに休んで下さい、大いにね。」

 

 

このままじゃいけないと思って、師のコンサートに行ったり、友達や先生と話してみたりしたけど中々突破口が見えなくて、コンクールもあるし、合わせもあるし、レッスンもあるし。

そんな状態だった。

知識を入れても知った気になるだけ、音と自分が向き合った時に感じるもの、それが全て。

それが出来るような気持ちではないなら、今は出来ないってこと、なんだよな。

先生の最後の話は当たっているからここに記した。

色々試したのはえらかった、でも自分を大事に、自分と向き合って、逃げずに向き合っていきたいと強く思った。

 

 

 

○2022 09/28 脱却のトリガー

 

今日は先生の言う通り、ピアノに触れなかった。多分明日も触れない。

他にやらねばならないこともあるし、今はピアノに触らない。

しかし授業は受けられる気分なのでしっかりと受ける。

西洋音楽史、音大だからな。

授業内で、今行き詰まっている曲の作曲家が出てきた。

プーランク

スターバト・マテルという宗教曲を勉強した。

宗教曲、あんまり聴かないなぁ。

授業内で聴いてみたら、あまり聴かない響きがした、良いかも。

その日の帰り。

クラリネットソナタは再来週にでも再びやり始めようかな・・・と思いながら、今日やった色々な宗教曲を聴き漁っていた。

すると、「♪♫〜」クラリネットソナタのモチーフの破片が聴こえる。

なんと、ある宗教曲のモチーフが酷似していたのだ。

”行き詰まりからの脱却のトリガーは鍵盤だけにあるんじゃない。”

レッスンでの、先生のあの言葉を思い出す。

電車内で飛んでいく景色を見ながら、想いに耽った。

開かれているものにこちらから触れる感覚がした。

 

 

 

○2022 09/29 ただ幸せを感じるプライベートゼミ

 

今日もピアノに触れない、いや昨日のことで少し触れたくなったかもしれない。

でもイタリア語のスピーチ、就活振り返りの話についての仕事の方が、今は楽しい。

学校で終わらせてから家に帰ろう、今日は先生がいる日だから。

なかなか仕事の進みは遅かった、でもこんな日も必要だろうと思ったから無理にペースを上げない。

この通りはよく友達が通っていくので、そのたびに一緒に話をする、その途中でやっぱり先生が行ったり来たりするので、挨拶したりしなかったりした。

戦友と隣同士で座り、作業を一緒にしていって、おやつタイムを挟んで、さて彼女は夜まで在る授業に出かけていった。

私はというと、コーヒーを買って、それらしく仕事をしようとゆったりしていた。

外はもう暗くなってきた、研究室の横のハイテーブルに移動する。

会えるんじゃないかな、となんとなく思う私。

すると、エレベーターから研究室へ向かう先生の気配を感じた、高鳴る鼓動と裏腹にあまりそちらを見ないように努力する。(冷静になるといつもこの行動は矛盾していると思う、でもこれが人間による自然の矛盾だ)

その気配そのものが、私の方を見て止まった。

あちらからそういったサインがあると、私は初めて、今気づいたかのように目を合わせる。

おずおずと、寄ってくる。

「...これを、借りて、来ました。知ってますかこのzy....」

「...は...はい??大丈夫ですか、こんな小さい声で...笑あれですよね、除籍の本をもらったんですね」

最初はいつだって声が小さい、この人は...。

昼は五月蝿いのに、夜になると途端に静まり返るこの4階で、一人で作業をしていると先生はたまにやってくることがある、いや私が狙いを定めてきているのかもしれないが。

とにかくこんな時には、決まって少しの話だけでは終わらない。

私はずっと溜めていた質問をするし、先生はそれに関連して公私色んな話をしていくし、その間に私はいつも思っていることを伝えながらこの時間を楽しんでいくし、先生はというとあるいは面白がっているのかもしれない。

関西弁に戻りそうな話、横浜らへんに引っ越したい話、プラトン的な芸術の考え方というと難しいねという話、キケロは記憶は場所だと言った話、おすすめした京都の本をわざわざ電子で買って確認してからメッセージを送ったのだという驚いた話、いつまでも話せる気がした いつも、そう思っている。

大抵、話がひと段落すると、第2ラウンドがあったりなかったりする。

今日はというと、それがあった。

話が終わって、お手洗いに行って幸せを噛み締める、今日は上々だ、と。

出ようとした時、先生が同僚にお疲れ様ですと挨拶をして研究室へ戻る過程を見た。

惜しい、もう数秒早ければ、と一瞬にしてチャンスを逃したことを解した。

すると私のカタカタとしたサンダルの音を聴いてか、姿の見えなくなる直前にこちらに気づいた。

数メートル先。

手招きをしている。

この状況、嬉しすぎて解せない、簡単な人間だ。

どうやら、私が話したソクラテスの弁明について、オリジナルのオーソドックスな本を貸してくれるみたいだ。

「おあぁっ、ありがとうございます...!」

この間借りた、違う訳のものと見比べて読んでみようっと。

また楽しそうに私は話す、先生は楽しいですか、私という人間が面白いから話してくれているんですか、私に勉学の意欲が欠けていたらこんなにも良くしてくれることはないのでしょうか。

本当のところはまだわからない、だから今はただ楽しく先生と、話すだけ。

第2ラウンド、”頃合い”という名の無音のゴングが鳴る。静かな終了。

帰りに貸してもらった本を読みながら思う。

あ、今度、これを返すんだ。

またその時に。

 

 

 

○2022 10/06 時が解決する

 

一昨日まで夏だったが昨日から冬になった。

あぁ昨日の定時制高校の見学、学生たちとあの人がたまたま共にラーメンを食べたらしい。友達から話された、「ストーリー見た?」には、あぁ見てないやと応えておいた。今日は寒い。コーヒーを飲もう、スタバだ、褒美である。これでゆったりと、イタリア語の宿題をしてから、ピアノを、やろうよ。といって練習室に行った。おや、身体が使えている気がする、音もコントロールが出来ているような気がする。時が...解決してくれた?トリガーは一体何だったんだろう。昨日のラーメンについてのモヤモヤが芸術に昇華された?それとも先生からのソクラテス?

分からないが、良かった、兆しが見えたね。

 

 

 

○2022 10/11 演劇とお笑いと音楽

 

今回は、主科の先生の話をしたためたい。今度のコンクール本選で弾く曲は、もう2.3年弾いている曲だ。前回、予選ではあまり成績が振わなかった。うまくなっているはずなのになぁ。今日のレッスンで、いけないところを指摘してもらおう。2曲弾いた。先生は、上手いけどエネルギーが無い?そつなく弾いてる感じだね。あの頃の方が荒かったけど、覇気があった。と。そんなぁと、思った。レッスン中に、演劇の話になった。「ミュージカルとかの役者さんって、凄いんだよ。何がすごいって、千秋楽まで毎日公演があっても、毎回初めて聞いたかのように驚いて、初めて感じたかのように喜びを噛み締める。お客さんは役者さんが何回目だろうと、初めてだからね。役者さんがもしお客さんより早く驚いてしまったら、反応をしてしまったら、お客さんは取り残されちゃうんだよ。そうやって演劇の友達が言ってたの」なるほど、と思った。慣れすぎているのか、この曲に。最初の頃のように、一つひとつの和音に驚いて、一つひとつのフレーズに感動しなければいけないのだ、聞く人と同じ熱量でタイミングで。曲に慣れてしまうと小さくまとまった演奏になってしまう。その対策の一つとしては、やりすぎるくらいやって丁度いいということになるかと思う。良い話を聞いた。お笑いもそうだと話す先生。大切なことに気付きました。

P.S.?

丁度後日、あの人から面白い話を聞いた。「人間の学びは2つあると思ってて、分析と統合なんですよ。例えば演奏を聞いても僕は同じに聞こえるけど、あなたがたは違いがわかる、一つのものごとを見ても違いが分かるんですよ。でも、創造しようとするときは統合をしなくてはいけない。複数の物事を繋げてみないと新しいものは創造できないんです。」この言葉の意味を、実感として持てているのは恵まれているとしか言いようがない。この話と主科の先生の話を受けて、主科の先生も統合をしているのだと思った。

あの人が教育を志したのは、人に興味を持ったからで、自分にとって大きな成長になったのは大学以降だと言っていた。ジェイムズの本を読んだとき、雷に打たれたかのような衝撃を受け、ああこういうことなのかと思った、と言う。そんな話を聞いて心底思った。やはりこういう出会いがあるのだと、私もそうであるように。そんな強い思いを目に宿らせながら、「やっぱり先生にも、あるんですね」と言った。先生は「そうだよね、あなたもそうでしょう」と目の奥の何かを見透かした。先生は一体、それを何だと思っているんだろう。私の成長に一役買ってくれているだけなのか、先生の一言に意味を見出す帰路だった。

 

 

○2022 10/16 6:31

 

とんでもない夢を見た。面白かったので記しておく。どうやら私は教育実習をしていたみたいだった、当時のメンバーと一緒に最後の授業をしていた。忙しい授業が終わり、なぜか大学の友達がお疲れ様といって駆け寄ってくる。お疲れ様会しよう!と彼らが言うと外はもう暗くなりかけていた。次のシーンは何故か一人で居酒屋にいた、とても寂しそうに一人でいた。大学の友達らがあとで合流するようだ。「先生もたまたま合流したから連れてくね!」そんなメッセージが来ていた、それを見て自分はどれほどびびったか。現実にはありえないが、これはこれで面白い。そして自分はどきどきしながらメニューを見ていた。チリンチリンと入ってきたのは、おや、先生一人だった。ぽかんとする自分。「いやぁ、あぁ、まぁ、どうも、どうも」ぎこちなく座ってくる先生。何故か私はそこで全てを解した。友達が気を利かせてくれたのか!と。(何故)「に、日本酒飲みますか」「えぇ、もちろん呑みますよー」にやにやが止まらずに自分はお通しを少しずつ食べていた。何故か二人はあまり会話をしない。ただそこには全てを解しているような雰囲気があった。あちらも全てを知っているような気がしていた。頼んだ日本酒を何の遠慮をなく我先に一杯ふくみ、厚焼き卵を小さく一口。思わず、ふふ、と笑みがこぼれてしまった。何ですかと訊く先生。「いや、尊敬する先生とお食事が出来てよかったなと思って」ぽやっとしたおぼろげな映像はそこで途絶えた。こうやって文字化している6:49。夢とは面白いもので、文字化しているとその時の興奮や感覚が薄まっていく。おぼろげな中での幸せだったのだと、改めて感じることになった。

 

 

○2022 10/18 自分が学ぶべきこと

 

今日は2週間ぶりに室内楽のレッスンに行く。昨日はコンクールの本選だった。2週間前、「そんな時はレッスンなんて休んじゃえばいいんですよ」と言う先生に甘え、レッスンを休み、時間が解決するのを、又は自分が自分と向き合えるのを2週間待った。そんな久しぶりのレッスンまであと1時間、というところで昨日のコンクールの結果が出た。全国大会出場の切符を、掴んだ。初めての全国大会、目を疑った。そうか、自分は最後のステージまで行けたのか。思考を張り巡らせているとすぐレッスンの時間になった。プーランククラリネットソナタだった。とにかく先生が弾くピアノからは沢山の色彩が溢れた。ため息が出るくらい溢れ出た。レッスン後、自分のレッスンを見ていたペアの奴からこんなことを言われた。「いやぁ、結構がっついてて、大変そうだなぁと思いました。フランスものはもっと感覚、っていうイメージなんだよね」そいつは、いつも鼻につく奴だった。今日もそんな話をされるんだろうと思ったが、今回は違った。「フランスの演奏者の曲を聴いたら良いと思うけどね。そしたらなんか分かるんじゃないかな。俺はとにかく模倣してた。聴きまくったら曲の感じ捉えられるんじゃないかな。先生の出す音真似る時は良かったからさ」最後にいきなり、自分の真似た音を客観的に誉められたから何故か救われた気がした。そんな話をされたから、あぁ自分が今足りないのはこれなんじゃないかと思う話をした。「2年前に奏法のレッスンに通い始めたんだけどさ、そこで良い音とか音の出し方は体得出来てきたんだ。前までは先生の弾く音をどうやって出せば良いのか分からなかったけど、今は似た音を出せるまでになった。でも、今自分に足りないのはそれをどう曲で使うか、なのかなと、話を聞いて思ったわ」色々なものを聞いてそれを吸収しなければ。「多分出来ると思うよ、さっきのやつ。理解力あるし、勉強好きそうだし。俺はしっかり実にしてくれる奴にしか言わないから。教え損になる人には、その淋しい気持ち分給与としてお金をもらわないと話さない。」奴らしい、しかしその気持ちも分かる理論を入れながら、いつもツンケンしている奴に褒められるとまんざらでもなくなってしまう。すると奴は私に、「しっかりと実にしてくれる人だ」ということを裏付ける話をしてきた。「なんかあの先生肌を感じるんだよね」そう、あの先生は私の師である、人生の師、恩人であるのだ。「え、その人自分を変えてくれた人だよ」「うん、なんか1年の原理の時くらいじゃない?そこからなんか食いつきが変わっていった感じだよね」いつもつるむ仲間ではないのに、側から見ただけで変化を感じ取った奴は、やはり共感覚の持ち主、何かを持っている。話を聞くと奴も、幼少期という早い段階で色々な出会い・気付き・「雷に打たれたかのような」経験をしていたらしい。そして奴はピアニストの将来についても話した。「まぁ音楽で食ってくには譜読みのスピードが速くないとだめだよな。」自分は譜読みが遅い。「いや俺も訓練したんだよ。譜面見ながら音源を聴きまくった。どんな音が鳴るか一発でわかるじゃん」「それ、、、聴音能力無いとだよね」「うん、だからソルフェージュが大事って繋がってると思ってた」そうだなと思った。「今から譜読みを早くするには多分遅い。」そう、自分は音楽で生きていこうとしていない。何故ならそういったものの訓練を疎かにしてきたから。そして、生業にするために音楽をやっているわけではないというのもある。「音楽でだめだったら、他にやりたいことあるし。音楽やってきたことは無駄じゃ無いと思ってる。音楽でだめだったら他のところにその能力を回せば良いと思ってる」と、好きな時に中学数学の問題を解くという彼は言う。彼も、音楽で培った能力は違うところでも活きることを知っているのだ。「今はさ、1週間後に譜読みが出来ないといけないノルマがあるから脳の勉強が出来ないんだけどさ。社会人になったら、ノルマが無くなるから、そういう勉強をしていきたいんだよ。沢山聴いて、勉強して、古典派もやり直して、感覚でフランスを捉えられるように。」「うん、間違ってないと思います」

とにかく、全国への切符を勝ち取った後に、自分はこんなにも「引き出しにある音を自力で上手く当てはめられない」のだと実感するのはやや複雑であったが、原因は分かっている。音楽の中でどう音の違いを出すのか先生に導いてもらわないと出来ない、というのが現状なのだ。「先生からの導きが無くとも、それを構築していきたい。」今後の自分の目標はそれである。大事な気付き、これからの指標になることは、非日常ではなく日常にあるのではないか、と思ったりする。コンクールの結果に傾倒するのではなくて、こういった日常から次への芽を見つけ出し、それを元に育んでいきたい。自分はやはり「まだ見ぬ世界を見るため」、そのために音楽をやっているのだ。

 

○2022 10/24 感覚的に、見えないものを見るため

 

昨日、よく行く某所で開催されるフェスティバルに行った。上等なコーヒーを飲んで、ごちゃまぜな音楽フェスも同時に見た。コロナでこういうものも少なかったため、本当に楽しかった。夜には良いビールとワインを飲んで、珍しい牛肉のカルパッチョとやらも食べた。食事をしながら、さっき聴いた地域の民謡を用いたポピュラー音楽、お笑いと音楽を融合したバンドたちの愉快な曲を思い出した。バイブスいと上がりけり。そして家に帰って、久しぶりに高校時代によく聴いていた曲を思い出した。それは、無難で何もない自分を少しやけくそに歌うポピュラー。当時の自分と少し合わせて聴いていた。キラっとしたものが無くて、無難で、毎日何か大きな発見があるわけでもない、そんな自分とその感覚とを合わせて聴いていた。久しぶりにMV付きで聴くと、懐かしいし、何よりこれは良い曲である。ふと、友人がフェスを聴きながら言った言葉を思い出す。「座って聴くクラシックも良いけど、こういうゆるいのも良いよね」本当だ。本当にそうだと思った、久しぶりにゆるい音楽と触れて思った。とそのとき、将来、音楽との向き合い方をどうしようという思考になった。たまに思う。それがまた自分の前を通過しようとした。そんなときは、決まって自分はとりあえず今いる位置からそれをキャッチしようと試みる。クラシックを学んできた音大という環境を離れたら、思い切ってジャズとか、ポピュラーのバンドを組んだりなんたり、してみても良いかもしれない。クラシックで培った申し訳程度の譜読み力を駆使すれば、他のメンバーより早く弾ける。もっとゆるく、メンバーと楽しく演奏するんだ。そんな未来を想像した。すると、なんだか昔の自分の感覚も捨てるべきではない気がしてきた。前に音楽を聴いて思っていた、まるでファストフードな感覚。大学入学してからの自分は、もしかすると真面目すぎるのかもしれない、もしかすると深く読み過ぎているのかもしれない。そう思った。

次の日の月曜。自分の好きな音楽美学の授業がある日。その日の授業で自分は、芸術に「私たちをおざなりにはしないで」と言われた気がした。「今まで芸術に向き合ってきた時間を無駄にするな」、「これからも芸術に向き合う時間を0にはするな」、と言われた気がしたのだ。先生は、芸術は万人のためにあるものではない、ときっぱり言った。自分が薄々感じていたこと。だから音楽の模擬授業でどうやって伝えたらいいのか、何をゴールに授業をしたら良いのか悩んでいたのだ。芸術を理解するには一生かかると言っても過言ではないから。真の芸術を、耳には聴こえないけれどたしかにそこに存在するその芸術を理解する者にだけ神様がそっと差し出すもの。それを見たいんだろ、自分。授業中に強く思った。まだ見ぬ世界を見るために芸術活動を続ける、それはあながち間違った感覚ではなかったのだ。授業で出てきた「音画」的な視点も、譜面を見るときに意識してみようと思った。それと、授業中に出てきた見慣れた言葉、アルカディアキリンジを気に入っている理由は、彼らにはなにか見えないものが、アルカディアが見えているからなのではないかと思ったり。ちなみに、ポピュラーという言葉をぐぐってみると、「広く知られている、または親しまれているさま。大衆的なさま。」と出てくる。手に取るように分かる音楽、大衆的な音楽。それとは違う世界を捨てるなんて、もったいないよな。そうだったな。

バンドやイベント音楽・ポピュラー音楽をどうのこうのということではなく、芸術のため魂の修行をしたアーティストもいるかもしれない。ただピアノは辞めずに続けようと、この上なく強い理由で思ったのだ。ファストに出来るゆるい音楽もそれはそれで大事な文化。しかし、もっと長い年月鎮座してきた、歴史があり、一部の人にしか触れることの出来ない崇高な音楽も同時に存在する。それは鍛えられた者しか触れられない。そんな世界を求めることを辞めるなんて、勿体ないと思わないか?芸術と向き合うということは、それくらい根気のいる、それくらい覚悟のいることなのだと思い、戒めた。

 

○2022 10/25 自分の表現媒体

 

今日も、あの実りある、しかし背筋の伸びる室内楽レッスンである。昨日はとてつもないだるさと眠さに襲われながら、1時半までイタリア語弁論原稿と格闘、お風呂は明日の朝で良いや、と明日の授業を休むことを心に決め、メイクも落とさずに寝た、初めてだった。何をやっているんだ、明日はコンクールの伴奏だし、室内楽のレッスンではないか、と情けなかった。室内楽レッスンはお話で終わった、がこれがまた生産性のある会話だった。結論は、色々なことをしてごらん、旅に出てごらんということだった。副科サックスで同じ内容を言われたことを思い出した。自分の色々な経験で感じたことを元に表現をするのだと。ベートーヴェンだって僕らと同じように朝ごはんを食べて、寝て、作曲をしたんだ。そういうところから音楽が生まれたのだ、と。自分にはまだそういった経験による引き出しが少ないのかもしれない、もしくはそれを表現に結びつけられていないのかもしれないと思った。そして、もしかするとその表現媒体は自分の場合ピアノではないのだろうかという考えが頭の中をぽっと浮かんできた。そこですぐ思いついたのは「小説」だった。自分は感じたものを文にして日常的に表現しているのではないだろうか。文を作る中では、もっとさわやかに終わる感じ...や、もっとここで空気感を変えたい、など確かに色々なことを考えている、レッスンでよく言われる指摘に似たように。それがピアノでも出来れば良いのではないか、表現媒体が増えた、というように、同じ感覚でやりたいものだと思った。

 

○2022 11/1 嫌いな自分〜恋愛は人生を破綻させる〜

 

今日の室内楽は、「即興」と「音楽を理解するとは」と「理論で説明出来ることと感覚的なもの」についての話をした。ド、と弾いても即興。みんな「私は即興なんて出来ない」と決めつけている。世の中には勝手に決めつけていることが多い。自分が持ってるその殻をやぶらないとこのプーランクも到底出来ない、と。そして、音楽には論理で説明出来る良さと、ことばにすると途端に薄っぺらくなってしまう感じることで分かる良さがあるという話をしてもらった。理解しようと知識を入れたり、勉強することは大切。しかし、その一方で理解しようしようとするほど遠ざかってしまうこともあるということを留意しておかないといけないと思う、と。その中に、「音楽を理解するとは」という話もあった。ベートーヴェンは「これは月光じゃない」と言った。彼らが作った音楽を理解するって、誰が出来るの?誰もベートーヴェンと会ったことがないんだよ?、そう問いかけられた。その上で自分は、「音楽は自由というのなら、僕たちは今まで何を学んできたんだ」という質問をなげかけた。すると先生は、「先生が表現したものに至るまでのプロセスを学んでいるんだよ。その表現が正解っていうわけではない。どんな弾き方をしてもいいけど、自分がどれだけその作品と向き合ったかで演奏に納得感が出るかどうかが変わる」そんなような話をしたと思う。自分はこれから、「いろいろな人のプロセスを学んで、自分だったらどうしよう、を考えていけば良いのだな」ということを強く思った。

そして、3時間30分にも及びぶ2つのレッスンたちを経て、自分の人生の師に本を返そうと、自分が先生のためにMARUZENで買ってきた鳥獣戯画のブックカバーをかけた本を返そうと、るんるんで4階で勉強をしていた。先生が足を大胆に組んでスマホを見ている、どうせツイッターだろう。コンコンコンと3回ノックをする。おぉという声と共に話が始まった。途中から座って話すことになった。コーヒーを飲んで、友達からもらったチョコを分けて、一生続けばいいなと思いながらいろんな話を、した。引っ越し先どこが良いと思う?の話。その中だったら○○が良いと思いますよ、と返す自分。なんで?と聞かれて、私の会社の定期圏内なので、と答えた自分の勇気。下北のカフェの話。小川珈琲ラボラトリー是非行ってくださいよ!の話。ソクラテスの解説の話。いつも思ってる、無限に話せる。髭つきの先生を見ながら、歳の差をしっかりと感じながら、いろんな思いを溜めながら話した。話し始めてから1時間が経っただろうか。先生がお手洗いから帰ると、友達も一緒に入ってきた。私がパソコンを置きっぱにしていたのを見かねて、持ってきてくれたのだった。”彼女のしっかり者らしさが妙に自分のどこかを、その時、突いた。”そこからどうぞどうぞと椅子をすすめられて彼女が話し出す。将来に悩んでいる話、この前もしていた。私は全てを解し、今は彼女のターンだとすぐ大人しくした。その間、彼女の登場を思い返し、自分の行動が戒められるような気持ちがした。神様から間接的に「君の魂胆はお見通しだよ」と言われているかのように感じたのだ。自分の醜さは神様に知られているのだ、というように。恋愛に関して、あの人との時間を作れるなら、あの人に少しでも関われるのなら、何でもおかまいなしな自分を恥じた。実際、私は一度東急ハンズで買ったブックカバーより良いものが見つかったからといってMARUZENでそこそこのブックカバーを買い直したし、今日もある友達に「もう帰る?」と聞かれたときにはせめてもの大まかな理由も言わず「やることがあるからまだ帰らない」とけむにまいたし、先生のところに行こうとした中で、ある友達が練習室にいくのをしぶって自分のところに話しに来た時には何気なく練習室に追いやったし、先生がいると分かってノックをする段では机のパソコンは開きっぱで危機管理能力は著しく落ちていたし、先生と話している最中に来た「まだ学校いる?」の友達からのLINEには気づいたがちょっと用事があるからと返すと変に思われるし、先生と話しているといったらこっちに来てしまうかもしれないし、と色々考えた末に無視をしていたし、そういえば高校の時だって好意を持ってくれていた人達と遊び呆けて、友達からあまり良く思われていなかったではないか。このどうしてか、一点を見て考え込んでしまう深夜2時の理由はそれなのかもしれない。メタ倫理学なんかを読んでいる自分の酷いエゴイズムに落胆し、高校生の時から恋愛になると他のことや友達を捨てる選択を取ってしまう自分に腹が立っているのではないか。それを再認識させられてしまったのではないだろうか。このあの人への気持ちは絶対的純粋、絶対的に崇高なものだと思っていたのに、こんな醜い思考回路を辿って友達に対応をしていたなど。ここ数年、自分は大きく成長をしてきた。たまに思うことがあった。「性格も良いと思う、色々頑張っても来た、それに結果も段々とついてきた、自分最高なのではないだろうか」。そう思うことが確かにあったことを認める。しかしそれは、恋愛に離れていたこの数年間だった。自分の嫌な部分を出さなくて済んでいただけだったのではないだろうか。ただそれだけだったのだ。自分の醜い部分は恋愛を介すると表出してしまうのだ。もうさすがにここに綴るのをやめて寝る。とにかく、自分の財産を、恋愛以外の大切な財産を失うことだけはやってはならない。再び愚か者になることは許されない。

 

○2022 11/2 審美眼

今日は音大の先生たちの演奏会だ。楽しみにしていた。いつも学生と近く話してくれる先生たち、今日演奏を聴いて「こんなすごい人たちだったのだ」と再認識することになった。ドイツ、フランス、日本、スペインとそれぞれ4組が演奏をした。僕は終始涙を流していた。何の涙だったのだろう。自然な音楽にすることがどんなに難しいかを知っているから、音楽に表情を乗せる大変さを知っているから、音質や音の表情を変える技術を体得するのには苦しい訓練が必要なことを知っているから、そんな経験からくる感動もあった。そして、演奏された音楽から先生たちの演奏する瞬間までのプロセス、ないし半生を感じられたから、それらがそれぞれカラーのある音楽に乗って伝わってきたから、そんな感覚からくる感動もあった。とにかくそれはもう複合的な理由で涙をしていた。それぞれの国の、作曲家の演奏になるとその通りの風が吹いた。生きた音楽であった。僕は、やはり彼らが今見ている世界を、今まで見てきた世界を、そしてこんなにも無限に音の引き出しがあったらさぞ楽しいだろうなと思うそれを目標に、頑張っていきたい。演奏者は、ほぼ全員が色んな経験をした大人の人だったのだが、一人若い演奏者がいた。やはり心に訴えるには歳を経ることも大切なのかも知れないと思ってしまった。友人の言った、うまいで終わる演奏、それは本当にそうだ。心に訴えかけるものがもっと必要なのだ。僕もいつかの試験で、「もっと心の綾を感じられるとさらに良い。それは年令を重ねて得られるものかも知れない。」とフィードバックされたことがある。年令と経験が必要なことかもしれない、と今回の演奏会を経てまた思った。4年間で、この審美眼を少しでも身に付けることが出来て良かった。折角得られた審美眼。長い時間をかけて得た、審美眼。次は新たな世界を得るために。

 

○2022 11/11「元気にしていると良いですね」

 

逃げ恥は言った。

「どんなに奇妙な関係でも、意志があれば続いていく、どちらかが変えたいと願わない限り、バランスを壊さない限り、いつまでもこのまま続けていける。」

そう言った。

バイト先の高校で先生が、「あの子元気にしてるかなぁと思ったりしますね。元気にしてると良いんですけどねぇ」と言った。

そう言った。

あの人は、私とあの人が奇しくも同じ年に卒業する2023年に、同じことを思うのだろうか。

元気にしていたらそれだけで良い、なんてちょっと寂しすぎやしないだろうか。

 

 

○2022 11/19 ただ格好良いを求めていた時分

 

空が鳴っている

何故かそれを久し振りに聞きたいと思った。何故だろう。そうか、今の服が黒のセーター、ジーパン、ネックレス、トレンチコートだからか、あのMVの彼女の雰囲気に似ている。イヤホンから流れてくる高校生の時分。ああ、そういえばあの時はただただこのような格好良さを求めていた。なんか生き方が格好良いとか、綺麗な雰囲気とかそういったなんとなくな理由で。今はどうだろう、格好良くなれているだろうか。あの時、なんとなくではあったものの、やっぱり特別な何か、自分を誇れるものを求めていたよな、理想に近づけている?今の自分はわりかし誇りを持っているに違いない。それくらい沢山壁にぶつかってきた。よくやったな。たまには高校の時の、漠然とした格好良さへの渇望を思い出そう、あの時の曲を聴きながら。

 

○2022 11/22 4年間かかった

 

最近になって。

最近になってである。

所謂クラシックと呼ばれる音楽を聴いて、例えようもない満足感を覚えるようになったのは。

最近の音楽では得られない、うまく言い表せられないこの満足感。

これがクラシックが残る所以か。

芸術に、この4年間でやっと少し触れられるようになったのだと思う。

私は芸術にアクセスする難しさと苦しさとを知っている。

修行のあとに見える世界はこうも広い、否まだまだ捉えきれていないはずだ。

あとは自分で目と耳と経験を通して、世界を広げること、やれるな?

 

○2022 12/1 「鐘が鳴ったら帰りますか」

 

12月に入った。今年の12月は3つ大きなイベントがあって、それで大忙しだ。本当はこんなものを綴っている余裕はない、自分は教職のレポートを終わらせなければならないし、数日後のコンサートの練習をしないといけないし、来週のイタリア語弁論大会の練習もしなくてはならない、それにコンクールまで。しかし、それを上回る綴りたいという気持ち、そして出来事である。

 

今日はイタリア語の授業を終えたらあとはフリー。ピアノを練習して、友人とお気に入りの小さなカフェに行った。良い時間だった。しかし良い時間はすぐ過ぎる。彼女は授業に行った。私はイタリア語の宿題をして、おっと教職のレポートがまだではないか、と思い出したのでレポートについてうんうん唸りながら考えていた。ネットではあまり良い情報が出ず、本の海、図書館へ助けを求めに行った。私はまだ、「本の方からそれ私に書いてあるよ!と言われる」レベルに達していないので、自力で探す他ない。キャリアセンターのお世話になっていた人にも聞いてみた。とにかく他力を使いまくるのだ。そうだ、4階の教職の研究室に行こう。あそこなら。音楽の教職の先生に聞けば分かるはず。すると外ではあの人が立ち話をしていた。知らんふりをして、あなたに用があるから来たわけじゃないのだ、と言うかのような立ち振る舞いで研究室をトントントンとした。すると鍵は空いているが、誰もいない。どうやらあの人だけがここにいたみたいだ。まぁ良いだろう、と音楽教育関係の本を勝手に漁った。意外とあまり題材に適したものがない。ここですぐ出て行っても良かったのだが、あの人が帰ってくるまでしばし待とうと思った。あの人は結構立ち話をしてから入ってきた。2回くらい、もう帰ってしまおうかと思っていたが、粘り勝ちだった。

「おぉ、どうしたんですか」

 

「ああぁ、レポートについての本を、見ていて」

そこから始まった、ライトな会話。

 

「それはそうと、まだそこで作業するでしょ?もう少ししたら〇〇先生が戻ってきてきっとすぐ帰ると思うので、それまでここで仕事を進めますね。先生が帰ったらそこに話しにいきます」

おぉ、帰ったら話しに来るんだ、と驚いたが、私はるんるんで作業をしていた、しかしここの空間は防音室かのようにお腹の音がしっかり響きそうで嫌なのだが。

 

まんまと〇〇先生は戻ってきて、すぐ帰った。

あの時と同じように、正真正銘の二人になった。

コーヒーどうぞ、と淹れてくれた。

そこから2時間半話すことになるのだが、お腹が空いていること、自分たち以外の音がしない変な緊張感の2点を除けば、私は本当に何時間でも話していられた。

知への愛はマネタイズの壁を越えられるのか、という自分が温めてきた質問、僕らはそういう層を育てる・啓蒙することをしなければならないのだ、という回答。

先生はずっとメタ的な授業をしてきたのだ、と私が昨日気づいたのだという話、それをたった今先生が偶然にも話してくれたのだという話。

この前もらったこのブックカバーは勿体ないのでここにあります、と言われたこと、「需要がない...」と悲しんでいると「いやそんなことはない、文庫本を読む時に使いますよ」と言った後の好きな小説の話、二人でしゃがんで先生の文庫本本棚を見て話すあの刹那。

「あなたのような境地に立って、学んでいれば幸せだとという風になったら、もう一生学んでいく他、道は無いんですよふふふ」と素敵なことを言ってくれたこと。

「美学はどうですか」と色々を含んで聞くと「あ、後期に美学読みましょうってやつですか、あれはね」と、やはりあれは共に読みましょうの意だったのだなと確認できたこと。

今度出す本の話、自分が理解できる本はつまり自分の範囲内で読めてしまう本だという話。

今日はbelongngsを研究室にちゃんと持ってきたから気兼ねなく話せる、そして友達から来た「もう帰宅した?」のLINEには返事をしなかった。

時計はもう21時を指していた。

「お腹が空きましたね、今日はこの辺で、鐘が鳴ったら帰りますか。」

先生はそう言った、たしかに言った。

その時一緒に帰って良いんだ、先に帰らせないんだ、と妙な笑みがこぼれた。

「ですね!お手洗い行ってきます」

鏡を見ると自分の顔は赤く、また、火照っていた。

あそこの設定温度はおかしいんじゃなかろうか、いつも思う。

お手洗いから戻ると先生が本を持っていた。「いやぁ、これ、いいんですよ。美学を読む前にね、これを読んでみたら完璧なんじゃないかなぁと思って。木曜のこの時間が空いてるならこの時間でも。一章を一回でやると、4回で出来ますよ。ね、どうすか」と言ってきた。やる気だ。良いですね、と言った。私はきっと来週くらいの木曜に顔を出すだろう、しっかりと覚えているかな先生は。本当に文字通りプライベートゼミに、なる時が来るのか。

 

先生は灰色のコートを羽織った。

「いやぁ今日15時まで寝ててさ。16時から会議で、走ってきたからマフラー忘れちゃったんですよ」

先生、焦ることあるんだ、走ることあるんだ。

私はまだ何も知らない。

そんなことを言って電気を消して、暗くなる瞬間の研究室を見て、鍵を閉めて、二人で、エレベーターに乗ったのだ。

 

大学を出ようとすると丁度先生たちが帰る時間だけあって、先生の同僚がさよならと会釈してきていた。

私は大学の外扉で合流したのち、一緒に帰った。

「先生、歩くの早いですね」

「○○先生から逃げてるんです、ちょっとね見つかるとねちょっとね」

ならなぜ共に帰ろうとなど、と笑いそうになってしまったが、やっぱりそんな様子の先生は滑稽だった。

隣で歩く、背の高い先生。

灰色のコートが似合う先生。

人の流れを、くっついたり離れたりしながら避ける二人。

先生の顔を真面目に見られない私。

何度この瞬間を望んだだろう。

駅に着くと先生はさっと会釈をして5番線へと向かった。

「じゃあ」

「ありがとうございます...!」

するとその瞬間、私の名前を呼ぶ声が。

友達が駆け寄ってくる、彼女はいつ私のことを見つけたのか。

「隣にいる背の高い人誰だろうって思ったら先生だったー!」

元気に話してくる彼女は、前も私たちが話しているところを目撃したあの彼女であった。

これでほば完全に何かしらがばれたと思ったが、特にやましいこともなく、ただただ学びを乞う学生であるので何も問題はない。

しかし、彼女の嗅覚だか勘だかを恐ろしいと思うそんな別れ際だった。

 

電車では大分お腹が鳴ったが、最寄りに着くまでが一瞬だった、本当にぼーっと夜空を見ているだけですぐ着いた。

 

家に着いて夕飯を爆速で食べ、お風呂に入ってはぁとしていると先生からメッセージが来ていた。

ヌスバウムについて聞かれて喜ぶ音大生である。

先生の言ったとおり、一生学ぶしかない、そんな運命になった私たちは知への愛を持つ者である。

喜ばしいことだ。

 

 

○2022 12/10 コロナに勝る内発的動機

 

今週水曜、コロナ認定された。

僕の弁論大会はなくなった。

人生こんなこともあるとも思えたが、とてもお世話になった先生たちがいるので申し訳なかった。

きっとあの打ち上げがダメだったのだ、と思うのと同時にいやそんなことを言ったらここ数年で経てきた同じような会でもう既に罹患しているはずだ、と半分運が悪かったと思うようにした。

今日で4日経ったことになる。

だいぶ楽になって本も読めるようになった。

今はワーグナーと世紀末の画家についての本を読んでいる。

そのベックリーンに差し掛かった時。

彼の「死の島」は知っていた、恐ろしい絵だなと思ったし、絶対に死の暗さを表しているに違いないと思った。

しかし読んでいくうちに、彼は死に魅了されているという話が出てきた。

愛と死と生、死は通過地点だとか。

その絵に触発されたラフマニノフ交響詩「死の島」。

そんな希望的な場面は果たして感じられるのか、と聴いていたが確かに暗い中にもそのようなものを感じる部分がある。

それを感じた時、自分はこれが学びだと思った。

かつての自分を思い出す。

長調の曲を聴いて、短絡的に「明るい曲」とだけ思っていた時分。

これが一種の成長、学び、一つのものごとを多面的に捉え考える一歩か。

例えば「死」一つを考えても、悲しい一つではなく、一面的ではなく、色々なことを思えるように。

とまぁこんな調子でいつも考えるようなことを思えるくらいには頭が冴えてきたのであった。

 

 

 

○2022 12/11 きっともっと見える世界が広がっているはずだと目を輝かせていた当時

 

コロナだから今までの授業の復習をしている。

当時のプリントを見返すと、あの時の自分が客観的な映像として浮かんでくる。

あの人の授業を目を輝かせて聞いていたに違いない。

一生懸命頭を上下に動かしてノートを取っていたに違いない。

そういやStudent pretending to workと書かれたテーブルマークを置いて授業を受けていたな、何をやっているんだ。

まぁ今も大して変わっていない、そういうことをやってのけられる勇気とユーモアがまだまだある。

そしてあの教育原理の時には既に、友人は私の変化に気づいていたというわけか。あの教育原理あたりだべ?あそこら辺からなんか雰囲気変わっていった感じするよな、と言った彼の言葉を思い出す。

授業の後には先生に質問しに行って、その質問がだんだんとプライベートの話になっていった。

今日の服蛇柄なんですよとか、この前免許取ったんですよとか、あ先生無免許なんですかとか。

その後の鍵盤音楽史は大体寝ていた、つまり当時は本当に先生の授業しかしっかりと受けていなかった、逆にその授業だけはしっかり受けられた。

そういえば高校でも、あの先生の英語の授業だけは受けられたなという授業があった。

しかしそれはそこまでで留まり、この上ない影響を受けたというわけではなかった、やはり先生は特別なのだ。

今思えば本当に自分は分かりやすかったし、いや今も十分分かりやすくてやっぱり自分は変わっていないんだなと思うが、それでも昔の自分が恥ずかしく思えてきてしまった、つまりそれほど年月が経った。

今では知的好奇心というものを盾に(?)先生とコンタクトを取っている、あの時からしたら考えられるだろうか。

まず3年もこんな勢いが続いていることに驚くかもしれない。

新しいことを得ることも必要だが、なによりも今まで学んだことの復習は大きな意味を持つことを改めて感じた今日。

「十九年が私に大いなる光を与えた」