nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

大変な19から22の間

その道をある程度の歳から歩んできた人と同じ土俵に自分を放り込み、4年間を過ごす決意をした。

 

度々苦しくなる。

 

世界はもっと広いということに気づかず、その小さな箱の中。

 

体積が小さいもんだから、すぐ隣の人の変化や栄光が目に入る。

 

しかもその人は自分と同じ分野で栄光を掴んでいるのだ。

 

自分と比べないわけがない。

 

これが音楽大学なのだ。

 

随分精神が鍛えられるんだと思うな。

 

へたりながらも、現実を突きつけられながらも、何にもへこたれない精神というより、悟る精神のようなものが形成される気がする。

 

いちいちまにうけていては、身が持たないのだ。

 

自分の練習の仕方か、練習時間か、音楽を始める時期の遅さか、音楽への意識の芽生える遅さか、音楽センスか、何がいけないのか、はたまた何もいけなくないのか、誰にも分からない。

 

そんな中でへこたれぬよう、毎日を様子を見つつ全力で頑張っているのだ。

 

きっと、この小さな箱の中ではずっと生きていられない、そんな気がする。

 

やはりそんな気がする。

 

だからと言って体積が広くなれば自分は幸せになれるのか?

 

また、高校の時と同じなのではないか?

 

勉強では上に立たないけど、音楽では立てる。

 

これがすぐに覆されたではないか。

 

自分の自信過剰、無知、意識の低さ、これらが答えだったじゃないか。

 

しかし、この大学でそれを覆す力を得た気がするのも事実ではある。

 

さて、自分のこれからはどうなるか。

 

一気に上に立つことも、また、努力が一つの実も結ばない、なんてことも無いことを、ここで実感した。

 

負けるなよ。

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めるような呟きだった。

 

いや、本当に目が覚めてしまった。

 

自分なんか相手にされてない、そう突きつけられたようで。

 

自分も自分の恋愛をしてください、と突き放されたようで。

 

素敵な男性を思い出したんだね。

 

そうか。

 

そうかい。

 

あなたはきっといつだってそうなんだ。

 

そうやって詩的な後悔を思い出しては、夜道を歩くだけ。

 

ずっと一人でいればいいんだ!

 

 

 

 

 

ああ、そんな、そんな思い方をしていました。

 

あなたが私の姿を一目見てくれてたら、それだけで私は嬉しかったのです。

 

そんな小さく可愛い思い方をしたのですよ。

 

 

 

 

 

私は、先生の前で喜ぶ顔を見せるのを良しとしませんでした。

 

先生との会話が終わり、一人になってから、私はやっと喜ぶのです。

 

やっと目をきらきら光らせ、先生との会話を反芻するのです。

 

 

 

 

 

ときどき愛おしさという海に溺れそうになる、というあの人は、直接的な何かが無い限りこんなことは書かないだろうと思う。

 

何を思っているのかな。

 

便宜上呼ぶその二文字の言葉は、一体何なのかな。

 

 

 

 

自分が変わった「諸"良"の根源」を、自己分析で考えなければいけなかった。

 

年表を作ったら意外と楽しいと思ったこと?

 

知識が整理されてすっきりした感覚?

 

違うと思う。

 

何故ならなんだかしっくり来ない。

 

あの時期、あの時、あの朝と夜のベローチェで、私は一体どうしてあんなにも熱心に活動していたのか。

 

どうしてあんなにも一生懸命になれた、のか。

 

本当の理由を考えようとすると堰き止める何か。

 

こんなチープな理由なわけが無い、と言い聞かせる自分。

 

本当の理由って、まさかそんなはず無いよな。

 

でも学ぶ楽しさの入り口がもしそれだとしたなら、やっぱり人生の恩人だ。

 

でも、面接で言えっこないよな。

 

TOEICで他の人の点数と比べて悔しがれる自分。

 

前だったら悔しさも感じませんでしたよ、私は。

 

何故なら旧自分でしたら、頑張ればその点数だって取れたはずだ、と思えるはずも無かったですから。

 

それもこれも、自分が努力して少しずつ自信をつけていった故。

 

その努力の源、なのです。