○2022 12/20 ---パイデイア---狭間でもがくことが大切
ついに今日から始まった。
このプライベートゼミは一体どれくらいの期間続くのだろうか、先のことは誰にも分からない。
だからこそゼミ録をここに残す、ソシュールの弟子のように。
この会合がいつか終わる日のために、来るか来ないか分からないその日のために、書き残す、あるいは生きる目的を無くした自分のために。
自分はたしかに今、こんなにも活き活きと学んでいるのだよと。
今日は「はじめに」を読んだ。
「はじめに」だけで1時間半使えるのだ、素晴らしい。
先生は、基本的に私は教えない主義なので、といって私がはじめにをどう読んだかを話していった。
しかしやはり先生が教え始めた。
はじめにを読んだだけでカントの大人の像から教育への想像が出来るかどうかが大事なのだ、と言っていた。
そこから、「個人と社会」の関係における大人についての話、理性の光の話、結局色々を語る偉い先生も4つのイドラを背負って話しているのだという話、カントはベーコンやデカルトよりも厳しいのかもしれないねという話。
久しぶりに先生の饒舌な講義を聞いた。
しっかりと理解をするため自分は一点を見つめ、耳と頭に神経を集中させていた。
懐かしい、この感覚、これが好きだった。
ページをめくり話を進める先生に合わせ、ペンを走らせ、うん、うん、はい、にゃるほど、と自分が理解したタイミングで相槌を打っていった。
相槌を打たない時に先生はすぐ気づき、「つまり、」と話を加えてくれた。
話し切った先生は、ふぅと言いながら白湯を入れた。
「質問は無いんですかって顔してます?」と聞いたら「いや一通り喋って疲れたなぁという顔をしてます」と笑った。
何という時間だ。
自分はしゃべるより人の話を聞く方が好きなのだという先生を前に、だったら、と一つ会社の新規企画研修についての話をした。
「なんか自分、会社に入ったらビジネスで求められる学びと、自分がやりたい学びの間でもがいていそうです、なんだかそんな気がします」とつぶやいた。
先生は「それで良いんですよ」と言った。
その真の教養、パイデイアを求める気持ちを忘れなければ良い。
もっと言うと、今求められるものだけを考えているのでは課長クラスに留まるのだ、と。
今の市場だけを考えていては会社はつぶれる、求められるその先を作り出す会社が生き残るのだ、と。
そこから本を出しても著者は儲からないという話、しかし僕ら研究者は儲かることが第一目的ではないという話、本にすることに意味があるのだという話になった。
ネット上で研究者が本の内容を一話1000円で出したら、そこら辺の一般人より遥かに質も高いし、買う人はいるだろう。しかし、お金にならなくても権威あるところからpublishされることに意味があるのだ、少なくとも僕はそう考えると。
そこで私は「薔薇の名前」という映画の話をした、まさにそれだと思って。
広い広い図書館の中、先人たちの知が燃えていくのを長老が阻止しようとするシーンがある。
学者は、そういった本を、後にまで残る先人の知として残したいんじゃなかろうか。
先生は新規企画について言った。
「薔薇の名前を見て、あのシーンに感動できる感性があるなら、近代に囚われず中世とかのシステムからアイデアを得れば良いんですよ」
なるほど、そうかそうだよな、色んなことを思った。
すると、「こうやって後輩とかに色々アイデアを話しちゃうから儲からないんだよなぁ、後輩にいつも奢っちゃうし」と話してきた。
そうか、先生はただ後輩思いなのか、学びたい者に優しいのだ。
そう思うと何か楽な気もして、ただの優しい先輩に見えてきた、特別なものが日常に近づく感覚何かを思い出す。
読書会の間で、色んな本を紹介された。
これは良い本です、これは○○先生の本、あーこれ読みたいんですよねぇ、まぁ、もし興味があったらと誘ってるわけですが、一緒に読みたいですねぇ。
そんな感じにつらつら話す中に大事なことを入れ込んできた、憎い。
是非読みましょう、楽しみです。
教養とはつまり、「いつかやる」だから。
今日のテーマの本をパラパラ見ながら「どうします?まだやります?」と言って来たので、「もう帰りましょう!」と共に帰ることを勧めた。
マフラーをして準備をしている、一緒に帰ってくれるみたいだ、まさかまさかの本当にこんなことになっているのだな。
今日はゆっくり歩きたいですね、と他に先生が居ないことを確認してから先生が歩き出した。
帰りに「どんな人間になりたいんですか」と聞かれた。
その時はなんとなく答えたが、今のところ、直近は、先生に見せても恥ずかしくない知のコンテンツを作りたい。先生に恥じない、学びへのアプローチの掛け方を心がけたいです。
先生は私の会社を応援してると言った。
あなたのところは悪になり切れない善の心があるんですよ、学びを金儲けのツールとして使うのではなくて良質なコンテンツをしっかり作ってそう、良いじゃないですか合ってますよ、と笑う。
胸を張ってこんな学びをしているんです、と言える働き方がしたい。
ただただそれだけを強く思った。
○2022 12/28 ----世界市民---楽しければ良いのだ
昨日おとといと学校にいるのか都度連絡をしたが、既読は付くものの返信なし、ようやく夜になって今日は行かないが明日は行くかもしれないと連絡が来たり、当日の昼に連絡したものの何のリアクションも無く、とここ2日は自分の気持ちがやられそうになった。
年末も是非、と言っていたのに、何か悪いことでもしただろうか、嫌われただろうか、メッセージを送りすぎたのだろうかと色々と考えた。
忙しいなら言ってくれ、距離を取ったほうが良いと誰かに忠告されたのならそう言ってくれ、一体何があったのか、自分はメッセージから感じられる微量の素っ気なさにため息をつく。
ただ私は一緒に勉強が出来ればそれで良かった。
楽しく勉強が出来れば良かった。
そう思いながら、友達と原点回帰をした後、無理やり自主練と名を打った登校をした。
先生から返事が無ければ、自主練をして帰ればいいのだ、ただ惨めな学生になるだけだ。
すると、夜に行きますと連絡が来た、今やっと来た。
やった!と思う自分は18時丁度に4階へ行ったが、先生はなかなか来ない。
20分ほど待って、本当に先生は来るんだろうかと思い、半分諦めて練習室で待っていよう、と上に上がる。
すると、遅くなりましたがつきました、と連絡が来た。
数分多く待っていたら危うく惨めな学生に映るところだった、ずっと待ってたんですかなんて言われたくない、それは先生には重すぎる。
先生に嫌われることを恐れる自分は、この数日間で、これからも微妙な距離を保っていようと決めた、今回はただの気まぐれだったのかもしれないけど。その証拠にここ数日間はずっと寝てたという話を後で聞いた、ちょっと寝起きみたいな様子をしていた。
研究室で準備をする先生はまんまと、練習してたんですか?と聞いてきた、はい!と自主練ついでにここに来たのだということを印象付けた。
先生は色んな本を紙袋いっぱいに持ってきていた、チョコをあげたら はいこれ とずっと待ってた先生の著書をもらった、待ってました、これは私の宝になるのだろう。
ということで、1時間半くらい1章を読んだ。
シンボル事典なるものが存在すること、それを隣で二人で同じところを見ながら読んだ幸せ、リスボンの地震はヨーロッパの大きな出来事だということ、世界市民は国際連合の考えの元だということ、世界音楽なるものもこの時代に出てきたのではないかと言われ自分の専門領域の出番が来たのにすぐ答えられなかったので家に帰ってメッセージしようと決めたあの時、次は自分はこの章をこう読んだときっぱり言えるようにしようと決意し先生を見つめた眼差し、「69年が私に大いなる光を与えたカント、09年が私に大いなる光を与えた先生、19年が私に大いなる光を与えた自分」という話を共にした時に先生は当然のような顔で私の「19年」を受け入れたこと。1時間半で、やっぱり待ってて良かったと思わされました。
先生は例え話で私をちょくちょく出してくる。
そういえば前回も今回も下の名前+さんで呼んでくれている、人の名前をあまり覚えない先生、素直に嬉しい、いやこれだけ執拗に話しかけていたら覚えざるを得ないかもしれないけど。
今日は冒頭に何時に帰ると伝えていた、先生とは帰らない。
終盤、私は腕時計をさっと見て「あと10分くらいですね」と言った。
「さびしいですねぇ」先生は脊髄反射みたいなスピードで言った。
そのさらっと言った先生の言葉は、私にとっては大きな意味を持つ、しかし先生のあるか分からない意図がもしこちらに正しく伝わっていないとしたら修辞学的に失敗である、虚しい失敗である。
先生が話の流れで次のチャプターに行きそうになったところで はい! と手を挙げて、続きは次です!と強制的に止めた。
良いところで終わりました良いです、と言う先生を横目にゆっくりと帰る支度をする。
そこで私は今日の不安がよぎり、下を向きながら言った。
「あの、忙しい時は大丈夫ですからね、これは本当に、仕事じゃないし」
すると先生は、大丈夫ですよ楽しいですし趣味でやってますからと言った。
そうか、と少し笑って、話題を変え今度友達と遊びに行く東京のスポットの話をしようとした。
「あ、そういえば今度あそこ行くんですよ!」
「えーいいじゃないっすかー!」
まだ「あそこ」としか言っていないのにそんな茶番みたいな態度で話す先生が可笑しくて笑っていた、こんな反応もしてくれるようになった、なんだ我が家に慣れてきたペットをかわいがる感覚か?何なのか?
写真を見せながら、ここに行くんですよーと話した、先生が寄り添う形で横からスマホを覗き込んでくる、側から見たらどんな風に見えるだろうか、自分は楽しそうに本当に楽しそうにすぐ隣にいる先生を見つめて笑顔でいるんだろう。
それだけで十二分なのだ、これで良いのだ。
○2023 1/17 ---最高善---あなたは何をしている時が幸せですか?
あの惨めな1月12日を経て、約束の火曜日になった。
今日は持続可能な会を目指して、運営の仕方を考えたいという旨を話そうと意気込んでいた。
夕飯は学校で食べようと思ったがプライベートゼミが待っていると思うと夕飯っぽいものは食べられなかった、我ながら可愛らしい女の子みたいな感じで19時を待っていた。
連絡して下さいって忘れてるかもしれないな、とDMを開いたらその瞬間に「お待たせしましたーー」とメッセージが来た、即既読になってしまって私は練習室の中一人悶えた。
そんなこんなで3回目のゼミが始まった。
ちょっと前から聞きたかった質問。
次の〇〇大学で、ゼミ持たないんですか?
今のところ持たないけど何年かしたら持ちたいよね。
ふーん、と言って私はその様子を想像する。
ゼミ生で遊び行ったりするんだろうな、そんなことをしていたら私のことなど忘れてしまいそう。
楽しそうにチームで読書をする様子を想像しては複雑な気持ちになった。
いつか聞きたい、「先生にとって自分は何ですか」、でも答えが怖くて聞けやしない、きっと「教え子です」という言葉にこの4年間全てが吸収されてしまうに決まってる。
今回のプライベートゼミは、自分が読んできて理解した内容を紙に書いてきたから流れがスムーズだった。
今日のキーワードは最高善だった。
最高善の話をしていたら、「じゃあ例えばあなたは何をしている時が幸せですか?」と聞かれた。
私はすぐ「ふふふ」と頭を抱えた、だって言いたいに決まってる、今この時が幸せですねと言いたいに決まってるのにそれを頭が阻止したので抱える他無かった。
うーん難しいですが、友達と話している時、にしときましょうか。となんとなしに話を進めた。先生はやっぱり研究者との学会とかが幸せなのかな、私的なものに幸せを感じることはあるんだろうか。
家に帰るとまたあれを話し忘れたとか、これを話したかったとか出てくるのだが、それでも色々話せた。
あなたの歩き方面白いよねと言われた話、なんですかそれ!と二人で笑いながら話した笑顔、カントが飲んだワインの水割りって美味しいんですか?から蒸留酒と非蒸留酒の話、あなたはウイスキーが好きそうな顔をしていると言われたこと、この服新しく買ったんです良いですか?とよく聞くお決まりの私の質問、なんかガムみたいに甘い匂いしません?あなたの香水?とめちゃめちゃ言われたこと、ガルボ。ガルボ下さい。とガルボを懇願してきてこんな様子はどんな学生も知らないだろうと嬉しくなったこと、私があの難解音楽美学をなんとか読み切れたのは先生のあの言葉のお陰なのですと言ったが先生は忘れていたこと、しかもそれはカント的な"学びはとにかく最高善なのだ"という立場よりアリちゃん的な読書を何かより良いものへの道具として捉えたら読む苦しさから解放されるのでは?と思ったんだろうなと回想したこと、私はキリンジが好きなんですよと言うと先生は懐かしいなぁと言ったこと、「先生はキリンジのオシャレさをワンランクダウンしたキリンジが似合います」と言ったら笑ってたこと。
深夜2時になっても、楽しかった内容をこうやって綴ってる、これも幸せな時間です。
次の範囲であるアプリオリなどについて話していると、「そうですねぇ、正解に近づくヒントを少し話すと」などと先生が言った。
そんな時、先生はやっぱり先生なのだなと思う。
共に考えていてもいつもやっぱり先生の中には何か「正解」があって、しかもその「正解」はいろんな経験と学びから導き出された「正解」で、たとえたった一つの「正解」でなくても「正解」の純度が高くて、私は自力でそれに触れることがいつも出来なくて、先生の導きがあってやっと触れられる、やっぱり私は学生だということを知らしめられるのだ。
一生この距離は縮まらないから、一生ついていけるということでもあるのだが。
話しながら眼鏡を取って鼻に赤い跡がついている様、こちらにふっと来た時の古本屋みたいな先生の匂い、やっぱり私より大人なんだと、ふとした瞬間に思わせられた、近くで話したら尚更そうだった。
そういえばと思って、毎週何曜日って決まってるの大変ですよね、って聞いてみたら「まぁ僕は3月でいなくなるので、あ、まぁ東北に行く訳じゃないし卒業しても全然....あ、毎週何曜日にって決まってることについてですか?」みたいに大事な情報を入れてきた。
私はそこで、ふふと安心したように笑って、「毎週何曜日は大変ですよね、ここまで読めたら連絡して、そこから開催することにしましょ、持続可能な会にするために」とベターな開催方法を提案した。
「頭良いですね」
そうですか?持続可能な会を目指して、ですから。
色々話していたらやっぱり9時になった。
「帰りますか?」
聞かれたから聞き返した。
「先生は帰りますか?23時までいないんですか?」
先生は笑って明日早いんで帰りますよ、と言った、私も。ってやっぱり共に帰った。
暗い大学の一階を珍しいからと言って写真を撮る振りをして先生も一緒に撮った。
いぇーいと言いながらシャッターを切った、え、みたいな先生の佇まいだった、おかしいね、楽しい時間だった。
帰路では昔の話をしてくれた。
「いや、ここに赴任した当時、学生の質問に答えてたら先生お腹空かないですか?ってプロントだかに行ったことがあります。あの頃の○○くんとなんちゃらくんとなんちゃらさんはもう30歳になってるかな、元気にしてるかなぁという感じですね」
私もいつか「元気にしてるかな」になってしまうのだろうか。
自分は先生にとっての何になりたいのか、分からなくなってしまった。
ラベリングされるなら、「教え子」なのだけど、それではしっくり来ないのです。
でも今はとにかく、一緒に美味しいものを食べたいとか、一緒にどこかに行きたいとか、そんなんではなくてただただずっと話していたい、楽しいから、それも何のために楽しいとかではなくこれはつまり最高善なのですよ。
いつか夢見た、"読んだ本の感想を言い合うデート"に似たことをしている感覚。
いつも終わったらどってことのない時間なんだけど、でもプライベートゼミ、そわそわするよね。
夜9時、心地良い雨、駅までの帰り道、「この時間はうちの学生が多いんですよねぇ、逃げなくてはいけませんね」と言う先生。
「じゃ、私は左に行きますかね」
先生は右に行く。
「じゃまた連絡しますね」
わらわら集まる学生を横目に流す、ばれないように、秘密のお別れをした。
次の日の朝。
私は3限の西洋音楽史のために登校した。
ついさっきのことのように感じられる昨日の夜。
しかし駅は昨日と違う様相をしている。
心地良い雨が降っていたはずの空。
二人で歩いたはずのこの道。
恋はいつも幻のように。