nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

2023年 3月

○2023 3/1

 

卒業したら先生も私も忙しくなりますね、忙しさは敵ですよ

そうやっていつか、あの研究室でぽっと呟いてみたい。

そうしたら先生はなんて言うだろうか。

「何を言おうとしてます?」とオブラートを破いて真意を聞くだろうか。

いやそうではなくて、「東北に行くわけではないのですから」と、含蓄のある私の言葉を理解して、ライトに返答するかもしれない。

そうしたら私はきっと寂しい微笑をするに違いない。

今は「いつか会えますよ」と思っていても、その日を作ろうとしなければ、その機会を必要と感じなければ、きっといつか会えない、忙しさは敵だ、だから忙しさは敵だ、絶対必要条件以外の全てを排除してしまう、そうせざるを得なくなってしまう。

私はきっと、先生の軽い返答や、先生がどうせ会いに来ないだろうことや、どうせその前に自分は忙しさにやられ会いに行かないだろうことに寂しい微笑をするのでない、つまるところ先生にとって私は絶対必要条件では無いことに微笑し、果てには未来への約束をきっと忘れてうやむやにする人間の常に対して、微笑するに違いないのだ。

人は結局一人であると。

 

 

○2023 3/10 阿保らしいことこそ至高

 

自分でも訳が分からないが、今卒業制作のため文庫本を作っている。

音大4年間の色々を込めた、"音大アンソロジー"。

他にやるべきことはあるのだが、これはこれでしっかり力を入れて制作している。

凝り出すと止まらない、今私のクリエイティヴィティが爆発しているのだ。

 

まず卒業制作をどうしよう、と思うことから全ては始まった。

ここでいう卒業制作はつまり思い出の品である。

最初は、私たち仲間の4年間の言葉遊びを辞書としてしたためようと思った。

しかし、白紙の辞書ノートは探しても見当たらなかった。そこでたまたま見つけたのが、文庫本ノートであった。同時にアンソロジーの企画を思いついた。

文庫本を作るにあたっても、幾つか、いや沢山の壁にぶつかった、本作りというものはこんなにも大変なことなのか、自家製であるから尚そうである。

まずは家の適当な紙で試作品作りに精を出した。

家にある既成の文庫本を手に取り、見本のように細かいところを見ては、同じように作れないかと試行錯誤する。

こう見ると、文庫本は本体の上に表紙が、その上に帯が付いているのだな。

いくつも新しい折り目を作りながら、一番丁度いい長さを測る、本番は一回で綺麗に装丁するためだ。

家のはさみで綺麗に紙を切るのはなかなかに大変だ。

とにかく丁度良い長さが分かった、必要な紙の大きさも心得た、あとは文言だ。

帯には4面それぞれに文言が書かれている、あるものは実施中のキヤンペーンについて、あるものは出版社の詳細について、私のものは何を書こうか思案した、大体の目星はつけた。

表紙にも同じように4面それぞれ文言が書かれていた、著者についての詳細、既刊の紹介、私のものは架空の作品を、それも仲間内で生まれた滑稽な出来事についてのキーワードを作品名にして、既刊の紹介のように書くとしよう。

作品の本文に行くまでの文言も、見逃さなかった。

ページの使い方、文言の書き方は出版社によってさまざまであることは見比べて分かったが、今回は一番シンプルなものにした。

こう見ると、題名を縦で書くのか横で書くのか、どこで横から縦に移行するのか、ページ数は題名や目次のページには書かずに飛ばすこと、奥付けになにが書いてあるか、作品の締め方はどうしているのか、細かく選択する余地があり、なんともクリエイティヴな作業なのだと思った。

家にある紙で試作はできたが、どうやらこの紙では本物のようには出来ないらしかった。

紙を調達しなければならない、次の課題は紙の質だった。

次の日、見本の帯を持っていき、紙専門店に行った。

まず紙の種類の多さに腰を抜かす、編集者はこんなところから選んでいるのか。

編集という仕事には、細かい違いを感じ、作品にとことん凝ることが求められそうだ、もちろん締切を守った上で。

店員に、これと同じような質の紙は無いかと尋ねると、私が持参した帯を指でこすり「これは○○紙のあれじゃないかなァ、でも表は加工がされてるから」なんやかんやとぶつくさ言いながら、すぐに見当をつけた、私はそこにプロの審美眼を見た。

どうやら出版社の使っている紙はあまり市場には出回らないもので、近い質のものがあっても束で売られることになり高値になるそうだ。

たしかに、たかだか3人分の文庫本にこんなに払ってはいられない。

散々探し回ったが、せめて少し似ている紙を選び、表紙用と帯用とをそこそこの値段で買った。

材料が揃えば、あとは内容作りだ。

ページの構成を作るのがまたしても難しい。

最後の左ページにこれを書くには、この内容をこのページまでに収めて...とお尻から構成を練って行くなどした。

滑稽なものにこれだけ手間暇かけているわけだが、この手間暇が至高なのだ、きっと良い思い出になるに違いない。

 

 

○2023 3/13

 

僕はとうとうこの気持ちをどう処理していいのか分からなくなってしまった

今は未だ分からない何かは、卒業時になっても依然分からぬままだった

 

○2023 3/14

 

そういえばの話をしよう。

昨日、仲のいい異性の仲間と夕飯を食べた。

将来の話をしていて、自分が教育大手に決まった話が振られた。

エントリーシートを見せた時、「この検定、この点数で書いたの?」とお得意のおちゃらけた顔で言ってきた。その時は少し驚いたが、「いやこの点数も取れない人もいるしな、まぁ一応書いた」とだけ言ったけど。

一日経って、昼間になったら、ふつふつと悔しさが込み上げてきた。

そういえばこんなこと、以前もあったのだ。

自分は悔しさを感じた時一番に力が出る。

悔しい、絶対に受け直して高得点を取ってやる、あいつは面白くて良い奴だがこれだけは頂けん。

しかしこの悔しさはひそかに、決して表には出さない、いつだってサプライズが必要だ。

僕は家に帰ってすぐさま検定の教科書を出し、今やるべきことをメモにしたためた。

僕にはストーリーがある、しっかりとした自分だけの物語があるのだ。

何者にだってなれる、自分だけの人生を生きることができるはずだ。

 

○2023 3/20

 

卒業式当日。

初めてこんなに目が開けられない夜を過ごす。

新百合ヶ丘から藤沢までの電車、ほぼ目を開けられなかった、開けられたとしても世界は回っていた。

それくらいぴえんと騒いだ、今日はそんな最後だった。

先生とも写真を撮れた、ツーショットじゃないけど、また22日にツーショットを撮れたら撮れたで良いかな。

そんな勇気あるかな。

仲間4人への文芸書は喜んでもらえた。

私卒業しました、って意味ありげに送ってみた。

なんて来るかな。

そんなことを酔いながら帰路のバスでかろうじて目を開けて綴っている。

大人になった、こんな さいご。

私はこうやってまた先生のツイートをスクリーンショットして思い出としている。

卒業したらきっとそれは無くなる、さいごだな。

きっと私は、その人の人間らしさが見えると特別な存在としては見られなくなるだろう。

そうなれば、私はあなたを、普通の人間として見られる。

 

○2023 3/21

 

先生はなんて言うだろうか。

ダンボールをつめながら「もうちょっと人いた方が良かったですかね」と問いかけたら、なんて言うだろうか。

卒業したら、絶対必要条件であった人を必要条件くらいに下げなくてはいけなくなるだろう話をしたら、なんて話すだろうか。環境はそのようにさせてしまうだろうことを、それを寂しいと話したら、なんて言うだろうか。

先生の読書会って何歳くらいの人が来るんですか?と聞いたら、先生は何を思うだろう。

手紙を書いたら最後になりそうだから書かなかったと言ったら、先生はなんて返すだろうか。

最近忙しいんですか?なんかメッセージであんまりボケないから。と言ったら、先生は意図的だと言うんだろうか。

お礼をもらうであろう時、僕が曇った顔をしながら「もらえません」と言って、仮に「それでも受け取ってください」と言われたあとに、僕が「いつかのために取っておこうかな」と呟いたら、なんと言うだろうか。

それらの答えと未来の行方は明日。

 

○2023 3/22

 

先生は忙しさに生きる人なのだと思った。

しかしたとえその中でも、心の中では繋がっていることを知った。

ダンボールをつめつめしながら「もうちょっと人いたほうが良かったですかね」と呟いた時は、「5人くらい?」と言われたので、「6人くらい?」と質問で返した、「まぁまぁ...いいですよ」どうやらまぁ良いらしかった。

新しい環境になる私たち2人、いわゆる新入生はどれくらい忙しくなるんですかねぇ、と聞いてみたら、○○まで忙しくなりそうだねぇと呟いていたが、落ち着いたらお茶でも行きましょうと言葉を添えられた時、僕は咄嗟に「...僕に勇気があったら」と答えてしまった、据え膳状態になってしまったのだ。

しかし、あの時もう僕は、今もしかしたら誘えるのではないだろうかとすら思った、それほどあの人はどってことのない、人間だった。

先生の人間くささを感じたのだ。

先生は人間だ、だらしがなくてとても人間らしい。

面白い、ただの、いち人間なのだ。

それを感じられただけで、僕は何でもできる気がした、何でも言える気がした。

こうやって人の知恵は人に託され、人間は次へと野望を託すとまで思えた。

先生の昔の勉強ノートを漁ると、しっかりと勉強された痕跡を見られた、「ここはこういうことなんやなぁ」と奈良の人だからそうやって自分で気づいたことを書き込んでいる、私はすっかり先生もそうして 頑張って 勉強してきて先生たる人になったのだと嬉しくなった、と同時に自分もそのようになれると、なってやると思い、学び続けようと改めて思うことになった。

先に生きる人は、ただ先に生きているだけでなんら特別なことはない、僕もいずれそうなるのだから。

明日は健康診断なのに、今日一日お米というものを食べなかった先生は、本当に忙殺されている、何をやってるんだご飯くらい食べなくては!時間に追われる、計画性のない人間だ!

気負うことなく、関係を結んでいたい。

今日の夜は恋愛ソングをイヤホンで流さず、風の音をBGMにした、すごく心地良い温度だ。

 

○2023 3/23

 

村上春樹を読もうと思った。

どうせ人間、みんなだらしがないのだ。

結婚は、恋から始まらなくてもいいんじゃないか。

価値観が合って、暮らしやすいと思ったなら、どきどきを感じなくても大丈夫だろう。

 

○2023 3/24

 

今日は気楽に行ける気がした、そして実際気楽に行けた。

お腹も痛くならず、変な気分になることもなく。

慣れたように作業をして行く、本棚はその人の頭の中だ、それを一つひとつ漁れるのは私的幸福であった。

この哲学者見たことある、とか、あれ?これなんでしたっけ、とか話しながら今日も、おとといと同じように二人で作業をした。

ブルーナーって、さっき言ってませんでした?ここのダンボールに入れた方が良くないですか?」

「お、そうですね、天才」

「私って天才!」

「いや僕がね」

「ふふふ」

二人で笑いながら各々の作業場に散らばる。

「これ、2日分のお礼図書カードです」

「これはこれは、、」

「あなたはでも遠慮するだろうから、僕はあと何年か後に博論を本にすると思うので、これでそれを買って下さい」

「良いですね、そのために、とっておきます」

そのために、これは取っておくことにした。お礼を今受け取ってしまった以上、もしかして今日で最後なのか、と考えがよぎった。

「ちなみに、それってアメリ哲学史に関してですか?」

「そうですねぇ」

「じゃあ、19世紀のアメリカ思想らへんを勉強しておけばいいですかね、暇な時に」

そう言うと、先生はハテナ?と一瞬止まって、微笑しながら「...それを読むための勉強として?...ふふふそうですね」と言った。

そして「そこら辺の音楽史と合わせて勉強すると、書けそうですね」と続けて言った。

書けそう?と言おうとした時、「...一緒に書けるかも、しれませんね」と付け加えた。

そんな言葉で私は、大きな夢を見られた。

きっとそれはこれから、私の夢の一つになるに違いない。

そんなことがあったかと思えば、また今日も「こんなところに....2020年までのチャイ、これ飲めると思う?」と言ってみたりしている、人間であった。

徐々に終わりが見えるか見えないかというところに来た。

「あ、これに次来た時にね、書いて欲しいんですよ、思い出ノート。何の本を貸りたか、書いてね」

次回はどうやら来週になるらしかった、きっとそこで一旦は区切りになるに違いない、私はそう思った、途端に何かやり遂げないといけないともやもやと駆り立てられた。

20:00になるとチャイムが鳴った。

さっきまで私が先に帰る予定だったのに、結局一緒に帰った。

「いやーすばらですね!」

そこそこ方が付いた本棚を眺めながら、私が教えたワタシ語を使いこなしている。

「大変な作業、終わったら打ち上がりますねぇ」

エレベーターに乗ろうとしながら、先生が変な言葉を使っている。

咄嗟に私は、3年間の全てなんか無かったかのように、あのじれったく4階でそわそわしていた時間など無かったかのように、「終わったら飲みにいきましょう」と口が滑った。

その後、「打ち上げですねえ」みたいなことを言われたかもしれない、しかし覚えていない、あまりの唐突な自分の行動を反芻していた。

え、今、言った?言ってしまった?

というような具合であったが、少ししたら案外冷静になって、今までの3年間がついに溶ける日が来るのだと嬉しくなった。

普通に、楽しみである。

雨が降っている。

「私の傘、格好良いんですよ、見せてあげますね」

と、得意になって言いながら屋根から少し出ると先生はその間さっと傘に入れてくれた、ありがとうございます。

バッ

私の折りたたみ傘は開ける時も閉める時もワンタッチなのですと説明しながら開けて自分のものに入り直した。

美しい雨だった。

「あの本も良い本なんですよ、まぁさっきあげた図書カードででも買ってください」

「いやいや、あれはいつかのためにとっておきますよ」

「いつかのためね、そっか。でも何年か経ってこれなんだっけってなるかもね」

「思い出深いことは忘れないもんなんですよ」

「そうかなぁ、僕はよく忘れちゃうけど」

先生は思い出深いことも忘れちゃうんですか。なんでそんな寂しいんですか。そんなことを聞きたくなったりした。

歩きながら、「今日は傘さしてるからバレないね」

という先生。

滑らないように歩く、楽しい会話をした。

じゃまた来週くらいに、お疲れ様ですと挨拶して帰路につくと、"多くは言いませんがすばらです!"とワタシ語を使ってメッセージが来ていた。

言葉にすると途端に薄れてしまうものもありますものね、と送って含蓄のあるすばらを送った。

電車の中、私はやっと3年間の凝固したものが溶ける日が来ると思った。

今はまだ溶け切っていない、溶ける準備はほぼ整ったのだ。

やっと、未だ分からない何かに、名前をあてがうのではなく、言葉には出来ないが確かにそこにある軸を立てられる気がした。

それを遂行できたなら、私はきっとストーリーを着々と進められる気がするのだ。

 

○2023 3/27

 

そういう訳で、私は学校を立ち去った。

きっと今日が最後だろうと思いながら、実に晴れやかな気持ちで、立ち去った------

 

ダンボールつめつめは、結局のところ3日間を要した。1日1日が過ぎるごとに、私は先生をしっかりと人間だと思えるようになった。今まで、先生を遠くから見すぎたのだ。私の思いの割に、近くに歩もうとしなかった、そんな勇気は無く私はやはりあの4階で先生を待つことしか出来なかったのは自明だが。

先生が学生だった頃一生懸命に勉強をしていたことが分かるルーズリーフ、当時好きだった芸能人がページ頭に貼られているノート、先生が、この授業落としたんだよと昔を懐古するさま、ある教育者を馬鹿にしたように真似してあの人嫌いなんですと言う様子、昨日妹に教育について反論したことを詳細に話すとまるでスポーツでも見ているかのようにいいぞいいぞ!と歓声を上げたあのテンション。

楽しいですね、と思わず話した。

先生は「あ」と言って、私の目を見ながら「打ち上がらないとですね」と体感2秒は沈黙のまま私も目を見つめていた。

「...え、話してなかったっけあれ?」と先生が弱気になったので、「はいしましたよ、ふふ、4月?」と恥ずかしがりながら言った。

そうだねぇ、横浜あたりでもいいよと話が進んだ。

「先生はしっかり覚えてくれるかなぁ」

「大切なことは忘れないよ」と笑った先生。

私は来たる4月を楽しみにすることにした。

「見て見て」と先生の昔の写真や昔の答案を私に見せて、「若いっすねぇ」と私は肩を叩きながら笑ったり、「この本○○についてですよね?」と言うと「そうです!さすがだね」と褒められたり、私があげたブックカバーを「あ、これね」と今見つけたかのように言われたので「えーん」と泣いてみせると「照れ隠しですよ」と言ったさま。それらは3年間を溶かすのに十分な雰囲気と会話と多幸感だった。

 

 

先生の同期が挨拶しに来たあと、先生は「あなたのこと助手だと思ったみたい」と言った、それを聞いて私は、それでも良いのかもしれないと思ったほどだった。

ある意味で、未だ分からない何かは、未だ何かは分からないが、徐々に形を作り始めている気がする、前も綴ったように言葉には出来ないが確かにそこにある軸といったものが形成されつつあるのかもしれない。

とにかく今の私に、未来への不安は無かった。

 

ダンボールつめつめの8.5割は終わったという時、私は少し会議があるからと先に帰ることにした、恐らく今日が最後になるであろう。

あとは先生が出来ますね!?と笑って言った、そんなことが出来るようになった。

ちゃっかり2ショットも撮った、全然いける(何が)

何がこの3日間で変わったのか、はたまた何も変わってはいないのか、何かに気づいただけなのか。

私は今までとは全く違う様子で先生と話したし、先生を認識した。

 

「エレベーターまで送ります」と言って送ってもらった。

エレベーターに乗るまで待ってくれている。

「ありがとうございました。次は...4月?」

「とんでもない。...多分?」と笑いながら返した。

 

「代官山エレジー」を聴きながら学校で会えるのをいつまでも心待ちにしていたあの冬、「食べた愛」を流して周りの人を目で追いながら歩いた下北沢駅、朝日を浴びながら「進水式」を聴いた1限の新百合ヶ丘駅、「ハピネス」で”どうせこんなものなのだ”と寂しく帰った帰路、「玩具のような振る舞いで」に出てくる二人を羨んだ日々、全てが昇華されていく気がした。

 

そういう訳で、私は学校を立ち去った。

きっと今日が最後だろうと思いながら、実に晴れやかな気持ちで、立ち去った。

私の固まった3年間はこうして溶けていったのだった------