nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

2023年 1月

○2023 1/10 テンポ

 

作曲家の示すテンポ。

テンポは大事だ。

しかし自分の思うテンポ感と違う場合がある。

では何故作曲家はこのテンポにしたんだろうか。それを考えることが音楽、それが楽しいんじゃないか、と。

テンポは一番大事かもしれない。

音量だけで表しているように聞こえる、と言われた時の自分の「あぁ」という顔。

 

 

 

○2023 1/12 煩わしいことは辞めにしたい

 

会えるかもしれない日に気合を入れてお洒落をしたりします、私、知らないでしょうけど。

今日もそうであったのです、だって木曜日でしょう。

多忙ならそれで良いのです、そして何か理由があるなら放置する訳を話して欲しいだけです。

あれほどやる気があったが面倒くさくなった、ならそう言ってください。

あなたの行動の訳が分からなくてそわそわするのは良くないのですよ。

きっとただ好きであったなら私が煩わしくなって身を引いていたでしょう、しかしそうではない。

それ以上であるから、それとは違ったものがあるから、どうにも身を引けないのです。

可哀想な私だと思いませんか。

自分でそうさせているだけなのが、また。

 

 

 

○2023 1/29 あと2日で最後のピアノ実技試験が終わる

 

あと2日で、最後のピアノ実技試験が終わる。

今日は東京のレッスンだった。

私の前に小学5年生の生徒がいた。

ベートーヴェンを弾いている。

先生は「今は分からなくても何年か後に分かる時が来るからね」と言って教えていた。

はいもう1回、ここは穏やかだよね、ここは3声になってバッハが活きてくるんだよ、と。

お母様がいかにもな感じで録画しながらレッスンを見守っていた、次にも他の先生のレッスンがあるらしい。

その子が帰る時「頑張って」と声をかけた。

照れくさそうにこちらを見たその子を見て、尊敬してる、えらい、本当すごい、素晴らしいなど色々と言葉をかけてしまった。

いや本当にそう思ったので。

小さい時からこうやって一つ一つ教えられていたら、数年後彼女はどんなベートーヴェンの世界を見ることになるんだろう。

たまには遊んで、立派になってねという気持ちでお別れした。

自分のレッスンはというと、心配してたけどいいじゃない、と言ってくれた。

本当にそう思っているのかどうか、投げやりなのか、いやそうではなさそうだった、よくやったじゃない自信持って弾きなさいという言葉を信じよう。

珍しく「お茶淹れてあげる」と高い紅茶を淹れてくれた。

デパートでしか買い物をしないらしい、さすがである。

「2日後試験終わって、何か勉強しないの」

「いやぁ!やりたいんですよ!」

今まで自分が気がかりであったピアノの基礎を固めたいという願望、それがとうとう出来る時期になるのだ。

地元の先生は楽しくて良い先生だったけど、ガチガチに固まった身体に気づいてはくれなかった。

それを治せたのは大学2,3年の頃、やっとの状態だったから音楽の文法にまで手が回らなかった。

今は、バッハなど2年も久しぶりの状態である。

大学3年生で、ショパンスケルツォ1番を試験のために練習していた時、「音楽ってこうやって作るのか、ピアノってこうやって弾くのか」と強く思ったのを覚えている。今日のレッスンで「卒業試験の曲を練習していてどう?」と聞かれて、「なんか上手くなっているのか分からない」みたいなことを言った故はそれだ。先生はそれを「深み」と言っていた。やっぱりショパン、バッハなど音楽の文法のようなものは格が違うんだろうか、本格派と言うのか何なのか。とにかく今の曲ではあまり感じられない、「開かれているものに触れる感覚」をまた感じたい、それなのだ。

先生は社会人になると時間がなくて突き詰めるのが難しくなるのよ、と言った。「いや私は頑張りたいです。不可能を可能にしたい。」と言った。「不可能なんてないわよ」と先生は返した。難しくても、不可能は無いですよね。根気良くやろう。

でも2年間よくやったわよ、と話す先生。ここに来ていなかったら、4年間で音楽のことを何も分からず卒業するところでした、恐ろしい。

人との出会いに感謝。

レッスンの帰り、友達とLINEで前期試験の話になって、久しぶりに自分のラヴェルのピアノ協奏曲を聴いた。

我ながら、よくやったじゃないか、と聴きながら思った。

やっぱりこの曲は何か自分を感傷に浸らせる。

丁度前期試験の時は教育実習も終わって、就活も上手く行って、鈍ったピアノ技術と向き合ってた時だったと思う。

音楽への航海はまだ続くのだ。