nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

今日最後の涙

大学に入って音楽を勉強していて、今のところ2回泣いた。

 

厳密に言うと、ここ直近5ヶ月で2回泣いた。

 

泣くとはエネルギーのいることで、僕はよっぽどのことが無い限りしない。

 

というか2年の前期くらいまでは悔しくて泣くとか、そういうことは久しくしていなくて、あったとしても映画で泣くくらいだった。

 

もう前に泣いたのは中学の吹部のコンクールとか卒業式くらいじゃなかろうか。

 

高校の卒業式ははっきり言ってせいせいしたくらいだったから。

 

だから泣くという行為から遠かった僕にとって、久しぶりにそれに触れて驚いた気持ちにもなった。

 

 

 

 

12月だった。

 

初めてレッスンで涙を流した日だ。

 

音楽高校出身の人や、厳しい先生の元で習っていた人にとっては日常茶飯事かもしれないし、それを経験するのが遅いと言われそうだが、とにかく泣いた。

 

そういうことを考えると、今まで僕は甘やかされてきたんだろうかと思ってしまう。

 

レッスンで泣くなんて当たり前だと言われればそれまでではあるが、丁度その時期はフィンガーレッスンに通い始めたり、それまでもこのままではいかんと思い、音楽の知識を沢山入れる努力をしていたりしたのでとにかく報われない、と思い涙が止まらなかった。

 

頑張ったのに。

 

もうただこれだけだった気がする。

 

先生からは、”頑張っているけど違う方向に頑張ってしまっている。こんなので音楽に近づいたとでも思っているのか。”と言われた。

 

いや他にも言われたが、これがとても心に来た。

 

それから頑張っているだけではいけないのだと思った、そういえば他の先生にも正しく頑張れと言われていた気がする。

 

結局後になって分かったのは、技術・知識に偏って音楽の内容がゼロの演奏をしていたと言うこと。

 

これは1番あってはいけないことなんだな、と肝に銘じた。

 

技術・知識に偏らないようにこうしよう、という改善策も考えた。

 

あのレッスンから学んだことは大きかった。

 

フィンガーレッスンも通い初めて半年、というところで徐々にだが効果も出てきた。

 

 

 

 

 

なのに。

 

2月の後期実技試験、今日である。

 

今までの努力を総括して練習をする中で、次はもうちょっと前からこういう練習をしたらいいな、など今まで気づけなかったこと、意識しなかったことを前よりも気づけたし、せめて今回少しでも効果が出ればと思い、その練習を1週間前からだが取り入れたりした。

 

正直今までで1番調べたし、考えたし、聴いた。

 

作曲当時の状況も調べた、その作曲家についての本も読んだ、他の種類の曲も聴いた。

 

そこからこの音はこういう意味のある音だとか、ここは何度上がっていて大事なところな気がするな、とか。

 

自分の音を聴いて、音の違いを作る奏法も少しずつ習っているし、今出来る分だけ出したい音も求めた。

 

それで挑んだのに、今までで1番出来なかった気がした。

 

何より、今回決定的に違うのはとにかく早く終われ、という気持ち一つで弾ききったことだ。

 

ああ響かない、こんなの審査員は聴きたくないんだろうな、早く終われ、と思いながら弾いていた。

 

そんなこと今までで一回も無かったと思う。

 

ミスタッチはずっと前から直したいと思っていたから先生にどうしてこんなにもミスタッチをするもんだろうか、と相談してみようと思った。

 

でも曲に入れないのはミスタッチが原因なんだろうか。

 

なんだろう、どうすれば良いんだろう。

 

というかそういう今後のことも試験中に考えながら弾いていた。

 

もう本当に心が曲に無かった。

 

それでも帰りのバスで思い切って録音を聴くと、確かにこんな大曲は前の自分だったら手首が痛くなって完走することすらも出来なかったんだろうなと思い直したりもした。

 

バスから降りて、ショパンの1番盛り上がるところで、すると何故か涙が出てきた。

 

苦しい、なんで、と思うと同時に、他の人はこんなので泣いている僕をあざ笑うんだろうか、とも思ったし、いやこの世界で人と比べてはいけないのだという気持ちもあってもう何が何だか分からなかった。

 

家に帰って夕飯を食べるも進まず、お風呂に入れば何故か泣き。

 

そしていたたまれなくなって、ここに綴りに来た。

 

多分これからの人生でつまづくことがあれば、ここにまた綴りに来るんだろう。

 

今までは恋愛ものばかりだったが、最近は自分が思ったことつまづいたことに特化しているのは、つまりいまは頑張りどきということか。

 

成長できているかな、親にレッスン代も高い学費も払ってもらって。

 

それに見合うように今まで活字を読むことすら嫌だった僕が図書館で本を読むようになったり、授業をみちがえるほどしっかり受けたりするようにはなったけど。

 

実際その転機を与えてくれたのも、この学校での友達や先生との関わりだったのも明らかだ。

 

今回の試験の感想を言うと親からは練習時間が足りないのではないかなど確かに色々言われた。

 

高校受験では親からの助言をうるさい、と聞かずにやってきたのを後悔しているために、今回は少し、頭の片隅に少しだけ置いておくことにする。

 

しかしまた技術・知識一筋になってもいかないのだ。

 

今回のを踏まえて自分なりに次の練習方法などは考えてはいる。

 

悲しいかな、高校受験のときは音楽だったら上にいけると思ったし、音楽を主にやっていると勉強で上に行ける、と思う。

 

しかし、今までも自分なりには頑張れている。

 

頑張れている。

 

努力が実るまでもう少しの辛抱なのだきっと。

 

布団に入りこの覚書を終わらせようとタイプしている中で、こうやって少し前向きな文になって来たのは、気分がだんだん良くなって来たのと共に、新しい一つの涙が関係する。

 

友人の頑張って来たよのメッセージ。

 

今日はことごとく泣かされる。

 

でも最後の涙が労いの涙でよかった。

 

報われるなぁ。

 

ここに書くと気持ちが整理できて幾分気が楽になるぜ。

 

こうやってまた綴りに来いよ、自分。

 

いくらでもつまづいて気持ちを落としてくれ。

 

つまづいた方が、人は強くなれると信じてやまないから。

 

頑張っている人が、常に、一番正しいので。