nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

クラシック音楽の味わい方について

クラシックを存分に嗜むには、ある程度の経験、知識が必要だと思う。

 

そのことを、私はこの4年間でやっと理解したように思う。

 

ポップスならば、何の予備知識や「聴く耳」を待ち合わせていなくても、大衆にとって決して難しい音楽ではないと思う。

 

しかしクラシックの分野では、そうはいかない、少なくとも私はそう思うのだ。

 

何故なら、音大1年生くらいまで、私は全くクラシックの良さを享受できていなかったからだ。

 

恥ずかしいことだが、私の音大1年生はそんなものであった。

 

だからこそ、万人がクラシックの真の良さをより享受出来るようになるには、どうしたら良いのかを考えている。

 

もちろん、今のままでも十分にクラシックを楽しんでいる人もいるかもしれないが、肌感覚では、そうではない勿体無い人が多いように思う。

 

音が綺麗だね、何だか良い音楽だったな、の先に計り知れないものがあるのだ。

 

かつて自分は勿体無い人の一人であったし、なんなら音楽の壮大さ故に今も良さの1割も享受出来ていないかもしれないが、だからこそ結論は、音楽には「時間とお金と努力」が必要なのだということになるのだ。

 

 

 

 

 

 

ポピュラー音楽の歌詞は、現代の言葉で書かれている。

 

そして、現代の言葉は、現代の文化の中で使われる。

 

例えばクラシックのオペラ、声楽曲だとまず文化が違う。

 

オペラは大体イタリアオペラだが、それらは日本と国が違うし、今を生きる人と時代も違う。

 

同じ時代の言葉でも、違う文化圏では違う言葉になり得る。

 

言葉の奥にある背景が違うのだから。

 

ここにまず一つの壁がある。

 

私たちがクラシックを知識なしに、手にとるように理解が出来ないのには、「時代と文化の違い」が挙げられると思う。

 

これは声楽曲だけではなく、器楽曲でもそうだ。

 

神への祈りを歌うフーガを、予備知識無しに熱心な信者とは言えない純日本人が聴いても的外れにならざるを得ない。

 

もちろん、「音楽の力」、旋律や和声、リズムなどがもたらす不思議で感覚的なものを感じることはあるだろう。

 

厳かな音楽だな、といった風に。

 

しかし、勉強をすればもっと深いものがあることに気づく。

 

又、勉強として例を挙げると、音楽における身体の使い方を心得ることも良いかもしれない。

 

私の師は「音楽はスポーツだ」とよく言った。

 

身体の使い方を心得れば、その音が出るメカニズムも見えてくるかもしれない。

 

あぁこのような柔らかい音を出すには、このような身体の使い方が必要なんだよな、と聞きながら思いを馳せることが出来る。

 

一つの楽器でそれを心得れば、他の楽器でも応用出来ることが多い。

 

そのように学び続ける「努力」が必要だ。

 

 

 

 

 

そして、特にクラシック音楽を嗜もうとすれば「お金」が必要にもなってくる。

 

市民オペラは感動的ではあるが、音楽に一生を捧げて学び続けた人の演奏からは得るものが多いのは確かだ。

 

真の音楽に近づこうとすれば、少なくともそういった機会を得にいくことは大切だ。

 

私は4年間を通して、気がつくと音楽が流れている環境にいた。

 

それが知らず知らずのうちに、しっかりと良い影響を与えていたことに疑いはない。

 

私は来年の春には社会人になるので、これからは自分で得にいかなければならないし、同時に、そのために必要な時間とお金を確保しなくてはいけない。

 

 

 

 

 

そしてこれは感覚的な話だが、クラシックは共感覚的に聴くことが大切なのではないかと思う。

 

クラシックを聴くとき、私は様々な感覚を使い、あらゆる記憶、知識、経験を掘り起こしている。

 

それらを得るにはある程度の「時間」が必要になる。

 

あるレッスンで先生から言われた言葉、あの時行ったコンサートで聴いた音、先生の手本の演奏を聴いた時の感覚、必死をこいて覚えた作曲家の人生、先輩とアンサンブルした時に覚えた感覚、夏休みに行った大自然の中での安らぎ、練習中に開かれた真の音楽に少し触れた感触、コンクールでもらった講評と苦い記憶。

 

音楽の経験は無論、それ以外の自分の行動・経験全てが、音楽を聴く時に総動員される。

 

今までの自分の全てが音楽を聴く時の感覚を形作ると思うと、どれほどの時を超えて今の感覚を作り出しているかが分かると思う。

 

 

 

 

 

私は4年間を経て、やはり一つのものを極めることには、それなりの価値があるように思った。

 

音楽一つを極めてきたはずなのに、あらゆる場面でシンパシーを感じることが増えたのだ。

 

私のあるひとりの師も言った、とんがりコーンは違うところでも同じことなのだと。

 

自分は良い4年間を過ごした。

2023年 3月

○2023 3/1

 

卒業したら先生も私も忙しくなりますね、忙しさは敵ですよ

そうやっていつか、あの研究室でぽっと呟いてみたい。

そうしたら先生はなんて言うだろうか。

「何を言おうとしてます?」とオブラートを破いて真意を聞くだろうか。

いやそうではなくて、「東北に行くわけではないのですから」と、含蓄のある私の言葉を理解して、ライトに返答するかもしれない。

そうしたら私はきっと寂しい微笑をするに違いない。

今は「いつか会えますよ」と思っていても、その日を作ろうとしなければ、その機会を必要と感じなければ、きっといつか会えない、忙しさは敵だ、だから忙しさは敵だ、絶対必要条件以外の全てを排除してしまう、そうせざるを得なくなってしまう。

私はきっと、先生の軽い返答や、先生がどうせ会いに来ないだろうことや、どうせその前に自分は忙しさにやられ会いに行かないだろうことに寂しい微笑をするのでない、つまるところ先生にとって私は絶対必要条件では無いことに微笑し、果てには未来への約束をきっと忘れてうやむやにする人間の常に対して、微笑するに違いないのだ。

人は結局一人であると。

 

 

○2023 3/10 阿保らしいことこそ至高

 

自分でも訳が分からないが、今卒業制作のため文庫本を作っている。

音大4年間の色々を込めた、"音大アンソロジー"。

他にやるべきことはあるのだが、これはこれでしっかり力を入れて制作している。

凝り出すと止まらない、今私のクリエイティヴィティが爆発しているのだ。

 

まず卒業制作をどうしよう、と思うことから全ては始まった。

ここでいう卒業制作はつまり思い出の品である。

最初は、私たち仲間の4年間の言葉遊びを辞書としてしたためようと思った。

しかし、白紙の辞書ノートは探しても見当たらなかった。そこでたまたま見つけたのが、文庫本ノートであった。同時にアンソロジーの企画を思いついた。

文庫本を作るにあたっても、幾つか、いや沢山の壁にぶつかった、本作りというものはこんなにも大変なことなのか、自家製であるから尚そうである。

まずは家の適当な紙で試作品作りに精を出した。

家にある既成の文庫本を手に取り、見本のように細かいところを見ては、同じように作れないかと試行錯誤する。

こう見ると、文庫本は本体の上に表紙が、その上に帯が付いているのだな。

いくつも新しい折り目を作りながら、一番丁度いい長さを測る、本番は一回で綺麗に装丁するためだ。

家のはさみで綺麗に紙を切るのはなかなかに大変だ。

とにかく丁度良い長さが分かった、必要な紙の大きさも心得た、あとは文言だ。

帯には4面それぞれに文言が書かれている、あるものは実施中のキヤンペーンについて、あるものは出版社の詳細について、私のものは何を書こうか思案した、大体の目星はつけた。

表紙にも同じように4面それぞれ文言が書かれていた、著者についての詳細、既刊の紹介、私のものは架空の作品を、それも仲間内で生まれた滑稽な出来事についてのキーワードを作品名にして、既刊の紹介のように書くとしよう。

作品の本文に行くまでの文言も、見逃さなかった。

ページの使い方、文言の書き方は出版社によってさまざまであることは見比べて分かったが、今回は一番シンプルなものにした。

こう見ると、題名を縦で書くのか横で書くのか、どこで横から縦に移行するのか、ページ数は題名や目次のページには書かずに飛ばすこと、奥付けになにが書いてあるか、作品の締め方はどうしているのか、細かく選択する余地があり、なんともクリエイティヴな作業なのだと思った。

家にある紙で試作はできたが、どうやらこの紙では本物のようには出来ないらしかった。

紙を調達しなければならない、次の課題は紙の質だった。

次の日、見本の帯を持っていき、紙専門店に行った。

まず紙の種類の多さに腰を抜かす、編集者はこんなところから選んでいるのか。

編集という仕事には、細かい違いを感じ、作品にとことん凝ることが求められそうだ、もちろん締切を守った上で。

店員に、これと同じような質の紙は無いかと尋ねると、私が持参した帯を指でこすり「これは○○紙のあれじゃないかなァ、でも表は加工がされてるから」なんやかんやとぶつくさ言いながら、すぐに見当をつけた、私はそこにプロの審美眼を見た。

どうやら出版社の使っている紙はあまり市場には出回らないもので、近い質のものがあっても束で売られることになり高値になるそうだ。

たしかに、たかだか3人分の文庫本にこんなに払ってはいられない。

散々探し回ったが、せめて少し似ている紙を選び、表紙用と帯用とをそこそこの値段で買った。

材料が揃えば、あとは内容作りだ。

ページの構成を作るのがまたしても難しい。

最後の左ページにこれを書くには、この内容をこのページまでに収めて...とお尻から構成を練って行くなどした。

滑稽なものにこれだけ手間暇かけているわけだが、この手間暇が至高なのだ、きっと良い思い出になるに違いない。

 

 

○2023 3/13

 

僕はとうとうこの気持ちをどう処理していいのか分からなくなってしまった

今は未だ分からない何かは、卒業時になっても依然分からぬままだった

 

○2023 3/14

 

そういえばの話をしよう。

昨日、仲のいい異性の仲間と夕飯を食べた。

将来の話をしていて、自分が教育大手に決まった話が振られた。

エントリーシートを見せた時、「この検定、この点数で書いたの?」とお得意のおちゃらけた顔で言ってきた。その時は少し驚いたが、「いやこの点数も取れない人もいるしな、まぁ一応書いた」とだけ言ったけど。

一日経って、昼間になったら、ふつふつと悔しさが込み上げてきた。

そういえばこんなこと、以前もあったのだ。

自分は悔しさを感じた時一番に力が出る。

悔しい、絶対に受け直して高得点を取ってやる、あいつは面白くて良い奴だがこれだけは頂けん。

しかしこの悔しさはひそかに、決して表には出さない、いつだってサプライズが必要だ。

僕は家に帰ってすぐさま検定の教科書を出し、今やるべきことをメモにしたためた。

僕にはストーリーがある、しっかりとした自分だけの物語があるのだ。

何者にだってなれる、自分だけの人生を生きることができるはずだ。

 

○2023 3/20

 

卒業式当日。

初めてこんなに目が開けられない夜を過ごす。

新百合ヶ丘から藤沢までの電車、ほぼ目を開けられなかった、開けられたとしても世界は回っていた。

それくらいぴえんと騒いだ、今日はそんな最後だった。

先生とも写真を撮れた、ツーショットじゃないけど、また22日にツーショットを撮れたら撮れたで良いかな。

そんな勇気あるかな。

仲間4人への文芸書は喜んでもらえた。

私卒業しました、って意味ありげに送ってみた。

なんて来るかな。

そんなことを酔いながら帰路のバスでかろうじて目を開けて綴っている。

大人になった、こんな さいご。

私はこうやってまた先生のツイートをスクリーンショットして思い出としている。

卒業したらきっとそれは無くなる、さいごだな。

きっと私は、その人の人間らしさが見えると特別な存在としては見られなくなるだろう。

そうなれば、私はあなたを、普通の人間として見られる。

 

○2023 3/21

 

先生はなんて言うだろうか。

ダンボールをつめながら「もうちょっと人いた方が良かったですかね」と問いかけたら、なんて言うだろうか。

卒業したら、絶対必要条件であった人を必要条件くらいに下げなくてはいけなくなるだろう話をしたら、なんて話すだろうか。環境はそのようにさせてしまうだろうことを、それを寂しいと話したら、なんて言うだろうか。

先生の読書会って何歳くらいの人が来るんですか?と聞いたら、先生は何を思うだろう。

手紙を書いたら最後になりそうだから書かなかったと言ったら、先生はなんて返すだろうか。

最近忙しいんですか?なんかメッセージであんまりボケないから。と言ったら、先生は意図的だと言うんだろうか。

お礼をもらうであろう時、僕が曇った顔をしながら「もらえません」と言って、仮に「それでも受け取ってください」と言われたあとに、僕が「いつかのために取っておこうかな」と呟いたら、なんと言うだろうか。

それらの答えと未来の行方は明日。

 

○2023 3/22

 

先生は忙しさに生きる人なのだと思った。

しかしたとえその中でも、心の中では繋がっていることを知った。

ダンボールをつめつめしながら「もうちょっと人いたほうが良かったですかね」と呟いた時は、「5人くらい?」と言われたので、「6人くらい?」と質問で返した、「まぁまぁ...いいですよ」どうやらまぁ良いらしかった。

新しい環境になる私たち2人、いわゆる新入生はどれくらい忙しくなるんですかねぇ、と聞いてみたら、○○まで忙しくなりそうだねぇと呟いていたが、落ち着いたらお茶でも行きましょうと言葉を添えられた時、僕は咄嗟に「...僕に勇気があったら」と答えてしまった、据え膳状態になってしまったのだ。

しかし、あの時もう僕は、今もしかしたら誘えるのではないだろうかとすら思った、それほどあの人はどってことのない、人間だった。

先生の人間くささを感じたのだ。

先生は人間だ、だらしがなくてとても人間らしい。

面白い、ただの、いち人間なのだ。

それを感じられただけで、僕は何でもできる気がした、何でも言える気がした。

こうやって人の知恵は人に託され、人間は次へと野望を託すとまで思えた。

先生の昔の勉強ノートを漁ると、しっかりと勉強された痕跡を見られた、「ここはこういうことなんやなぁ」と奈良の人だからそうやって自分で気づいたことを書き込んでいる、私はすっかり先生もそうして 頑張って 勉強してきて先生たる人になったのだと嬉しくなった、と同時に自分もそのようになれると、なってやると思い、学び続けようと改めて思うことになった。

先に生きる人は、ただ先に生きているだけでなんら特別なことはない、僕もいずれそうなるのだから。

明日は健康診断なのに、今日一日お米というものを食べなかった先生は、本当に忙殺されている、何をやってるんだご飯くらい食べなくては!時間に追われる、計画性のない人間だ!

気負うことなく、関係を結んでいたい。

今日の夜は恋愛ソングをイヤホンで流さず、風の音をBGMにした、すごく心地良い温度だ。

 

○2023 3/23

 

村上春樹を読もうと思った。

どうせ人間、みんなだらしがないのだ。

結婚は、恋から始まらなくてもいいんじゃないか。

価値観が合って、暮らしやすいと思ったなら、どきどきを感じなくても大丈夫だろう。

 

○2023 3/24

 

今日は気楽に行ける気がした、そして実際気楽に行けた。

お腹も痛くならず、変な気分になることもなく。

慣れたように作業をして行く、本棚はその人の頭の中だ、それを一つひとつ漁れるのは私的幸福であった。

この哲学者見たことある、とか、あれ?これなんでしたっけ、とか話しながら今日も、おとといと同じように二人で作業をした。

ブルーナーって、さっき言ってませんでした?ここのダンボールに入れた方が良くないですか?」

「お、そうですね、天才」

「私って天才!」

「いや僕がね」

「ふふふ」

二人で笑いながら各々の作業場に散らばる。

「これ、2日分のお礼図書カードです」

「これはこれは、、」

「あなたはでも遠慮するだろうから、僕はあと何年か後に博論を本にすると思うので、これでそれを買って下さい」

「良いですね、そのために、とっておきます」

そのために、これは取っておくことにした。お礼を今受け取ってしまった以上、もしかして今日で最後なのか、と考えがよぎった。

「ちなみに、それってアメリ哲学史に関してですか?」

「そうですねぇ」

「じゃあ、19世紀のアメリカ思想らへんを勉強しておけばいいですかね、暇な時に」

そう言うと、先生はハテナ?と一瞬止まって、微笑しながら「...それを読むための勉強として?...ふふふそうですね」と言った。

そして「そこら辺の音楽史と合わせて勉強すると、書けそうですね」と続けて言った。

書けそう?と言おうとした時、「...一緒に書けるかも、しれませんね」と付け加えた。

そんな言葉で私は、大きな夢を見られた。

きっとそれはこれから、私の夢の一つになるに違いない。

そんなことがあったかと思えば、また今日も「こんなところに....2020年までのチャイ、これ飲めると思う?」と言ってみたりしている、人間であった。

徐々に終わりが見えるか見えないかというところに来た。

「あ、これに次来た時にね、書いて欲しいんですよ、思い出ノート。何の本を貸りたか、書いてね」

次回はどうやら来週になるらしかった、きっとそこで一旦は区切りになるに違いない、私はそう思った、途端に何かやり遂げないといけないともやもやと駆り立てられた。

20:00になるとチャイムが鳴った。

さっきまで私が先に帰る予定だったのに、結局一緒に帰った。

「いやーすばらですね!」

そこそこ方が付いた本棚を眺めながら、私が教えたワタシ語を使いこなしている。

「大変な作業、終わったら打ち上がりますねぇ」

エレベーターに乗ろうとしながら、先生が変な言葉を使っている。

咄嗟に私は、3年間の全てなんか無かったかのように、あのじれったく4階でそわそわしていた時間など無かったかのように、「終わったら飲みにいきましょう」と口が滑った。

その後、「打ち上げですねえ」みたいなことを言われたかもしれない、しかし覚えていない、あまりの唐突な自分の行動を反芻していた。

え、今、言った?言ってしまった?

というような具合であったが、少ししたら案外冷静になって、今までの3年間がついに溶ける日が来るのだと嬉しくなった。

普通に、楽しみである。

雨が降っている。

「私の傘、格好良いんですよ、見せてあげますね」

と、得意になって言いながら屋根から少し出ると先生はその間さっと傘に入れてくれた、ありがとうございます。

バッ

私の折りたたみ傘は開ける時も閉める時もワンタッチなのですと説明しながら開けて自分のものに入り直した。

美しい雨だった。

「あの本も良い本なんですよ、まぁさっきあげた図書カードででも買ってください」

「いやいや、あれはいつかのためにとっておきますよ」

「いつかのためね、そっか。でも何年か経ってこれなんだっけってなるかもね」

「思い出深いことは忘れないもんなんですよ」

「そうかなぁ、僕はよく忘れちゃうけど」

先生は思い出深いことも忘れちゃうんですか。なんでそんな寂しいんですか。そんなことを聞きたくなったりした。

歩きながら、「今日は傘さしてるからバレないね」

という先生。

滑らないように歩く、楽しい会話をした。

じゃまた来週くらいに、お疲れ様ですと挨拶して帰路につくと、"多くは言いませんがすばらです!"とワタシ語を使ってメッセージが来ていた。

言葉にすると途端に薄れてしまうものもありますものね、と送って含蓄のあるすばらを送った。

電車の中、私はやっと3年間の凝固したものが溶ける日が来ると思った。

今はまだ溶け切っていない、溶ける準備はほぼ整ったのだ。

やっと、未だ分からない何かに、名前をあてがうのではなく、言葉には出来ないが確かにそこにある軸を立てられる気がした。

それを遂行できたなら、私はきっとストーリーを着々と進められる気がするのだ。

 

○2023 3/27

 

そういう訳で、私は学校を立ち去った。

きっと今日が最後だろうと思いながら、実に晴れやかな気持ちで、立ち去った------

 

ダンボールつめつめは、結局のところ3日間を要した。1日1日が過ぎるごとに、私は先生をしっかりと人間だと思えるようになった。今まで、先生を遠くから見すぎたのだ。私の思いの割に、近くに歩もうとしなかった、そんな勇気は無く私はやはりあの4階で先生を待つことしか出来なかったのは自明だが。

先生が学生だった頃一生懸命に勉強をしていたことが分かるルーズリーフ、当時好きだった芸能人がページ頭に貼られているノート、先生が、この授業落としたんだよと昔を懐古するさま、ある教育者を馬鹿にしたように真似してあの人嫌いなんですと言う様子、昨日妹に教育について反論したことを詳細に話すとまるでスポーツでも見ているかのようにいいぞいいぞ!と歓声を上げたあのテンション。

楽しいですね、と思わず話した。

先生は「あ」と言って、私の目を見ながら「打ち上がらないとですね」と体感2秒は沈黙のまま私も目を見つめていた。

「...え、話してなかったっけあれ?」と先生が弱気になったので、「はいしましたよ、ふふ、4月?」と恥ずかしがりながら言った。

そうだねぇ、横浜あたりでもいいよと話が進んだ。

「先生はしっかり覚えてくれるかなぁ」

「大切なことは忘れないよ」と笑った先生。

私は来たる4月を楽しみにすることにした。

「見て見て」と先生の昔の写真や昔の答案を私に見せて、「若いっすねぇ」と私は肩を叩きながら笑ったり、「この本○○についてですよね?」と言うと「そうです!さすがだね」と褒められたり、私があげたブックカバーを「あ、これね」と今見つけたかのように言われたので「えーん」と泣いてみせると「照れ隠しですよ」と言ったさま。それらは3年間を溶かすのに十分な雰囲気と会話と多幸感だった。

 

 

先生の同期が挨拶しに来たあと、先生は「あなたのこと助手だと思ったみたい」と言った、それを聞いて私は、それでも良いのかもしれないと思ったほどだった。

ある意味で、未だ分からない何かは、未だ何かは分からないが、徐々に形を作り始めている気がする、前も綴ったように言葉には出来ないが確かにそこにある軸といったものが形成されつつあるのかもしれない。

とにかく今の私に、未来への不安は無かった。

 

ダンボールつめつめの8.5割は終わったという時、私は少し会議があるからと先に帰ることにした、恐らく今日が最後になるであろう。

あとは先生が出来ますね!?と笑って言った、そんなことが出来るようになった。

ちゃっかり2ショットも撮った、全然いける(何が)

何がこの3日間で変わったのか、はたまた何も変わってはいないのか、何かに気づいただけなのか。

私は今までとは全く違う様子で先生と話したし、先生を認識した。

 

「エレベーターまで送ります」と言って送ってもらった。

エレベーターに乗るまで待ってくれている。

「ありがとうございました。次は...4月?」

「とんでもない。...多分?」と笑いながら返した。

 

「代官山エレジー」を聴きながら学校で会えるのをいつまでも心待ちにしていたあの冬、「食べた愛」を流して周りの人を目で追いながら歩いた下北沢駅、朝日を浴びながら「進水式」を聴いた1限の新百合ヶ丘駅、「ハピネス」で”どうせこんなものなのだ”と寂しく帰った帰路、「玩具のような振る舞いで」に出てくる二人を羨んだ日々、全てが昇華されていく気がした。

 

そういう訳で、私は学校を立ち去った。

きっと今日が最後だろうと思いながら、実に晴れやかな気持ちで、立ち去った。

私の固まった3年間はこうして溶けていったのだった------

2023年2月

○2023 02/05 

「檄アツですね」

僕はあえて前回の流れと違う返事をした。

僕が○章まで読み終わったことを報告した後、きっといつ会を開くかという話になると思ったから、それを期待したから。

時間的猶予を提示したけどそれは無意味だった、炎マークのいいねで返された。

忙しいのかもしれないけど、あちらから予定合わせのアプローチが無いことはこんなにも遣る瀬無い気持ちにさせるんだな、今まで振り回した者たちよ。

 

今週木曜は高校時代の女子の馴染みとカフェで話をした。

何故か、6ヶ月にいっぺん会う仲が丁度良い。

読書会をする僕と先生との色々を話し、「先生は自分のことを何だと思っているのだろう」ということに対して、3つの仮説を提示をした。

①多少の下心がある

②僕自身が面白い人間だと思ってくれていて、その興味から関係を結んでくれている

③ただ僕が学生で勉強に興味があるようだから読書会をしてくれている

僕は1と2の間、もしくは2と3の間がベストなんだけどな、と話した。

彼女は1と2は表裏一体だと思うけどね、と言いながらああでもないこうでもない話してくれた。

僕は、ただの3の場合、つまり3以外の何物でもない場合、きっと、何か今まで感じてきた色々な感情に一種の恥を感じるに違いない。

僕と彼女の会合は、僕が卒業したあと仮に好きな人が出来て、自分の中に先生が残るか否かで先生という存在を位置付けられるのでは無いかという話に帰結した。

 

先生はきっと、簡単に言葉にするような人ではない。

DMで送る「おおよそ全部ばれてます」という言葉も、全て何か意図を持っているに違いないと思うのだ。

無責任に言葉を紡ぐ人ではないと思うのだ。

 

ロマンスは骨が折れる。

いっそのこと、100%恩人と捉えた方が楽なのではないか。

「無駄に疲れた。」

もっとスマートに。ドギマギする女の子みたいなことをやる気力はもう持ち合わせていない。

そんなことに労力を使うのはやめよう。

寂しい疲れを感じるのはもうやめよう。

 

僕は昨日、あの集中できない気持ちの持ちようで課題をやっていたあの時、そして仕事仲間と出ていく先生を見たあの刹那、自分の愚かな時間の使い方に嫌気がさした。

先生に嫌気がさしたのでない、このような状況にさせている自分、この選択をした自分に嫌気がさしたのだ。

恩人をこんなことで嫌になってはいけないだろう、今までの色々を思い出した、長いため息と共に。

 

○2023 02/08

わざわざ学校に来るなら来週でいいと言われた。

練習のついでで良いと。

自分は今まで練習のついでで読書会に顔を出したことはない。

今までも、読書会がしたくて学校にいたのに、そんなことは知らずに、あくまでついでに来ているのだろうと思っているらしい。

私の専門の邪魔をしたくないという気持ちなのか、ただ来週に引き伸ばしたいのか、壮絶に忙しいのか。

じゃあ来週でー!笑、という返事はバイト帰りの私にはダメージが大きかった。

そこまでしてやるような会ではないという認識なんだろうな、そんなことが分かる返答だった。

あやつに「この返事って、この会はそこまでしてやるものではないって思ってるってことだよね」と話しても良かったが、私はしない。

自分がもう完全に先生を追ってるように仕立て上げられてしまうから。

そんな単純なように仕立て上げたくない、ましてや自分からなんて。

もっと輻輳的な何かがあったはずじゃない、あるはずじゃないの。

こんなことを感じるなんて、私たち近くになりすぎたんですかね、とも思ったがいや私が認識をアップデートしすぎてるのかもしれない、きっとそうだ、先生は何も変わっていない、私が日々の嬉しい出来事に心酔してしまっただけなのだ悲しいけどそうなのだ。

モヤモヤが溜まって、久しぶりに夜風を切った。

そういえば高校3年生の時も走ってたっけ。

とりあえず3キロ、走ってもスッキリはしなかった。

でももういいやという気持ちにはなった、よく寝れそうだよ。

 

綺麗なものは綺麗なままで。

あの4年前のように、今度こそ綺麗なままで。

 

 

2023 2/9 叡智によって作られた錠剤

 

2月7日、9日と今週はオトナの人と飲むことが多かった。

どちらも中老のお方だ。

そして一人は小学校の時の音楽の先生、もう一人はこの前のアマチュア演奏会で知り合った人。

二人ともサシで飲んだ。

楽しい時間だった、二つは違った楽しさがあった。

音楽の先生はやっぱり昔の話で盛り上がったし、自分の10年間を語ることが楽しかった。

マチュアの方はフィーリングが元々合うと思っていたのがやっぱり合った、ということを確認出来た会であった。

二人共、食事の前に薬を飲んでいた、二人ともだ。

何か人工的に調整をしなくてはならないことがあるのだろうか。

同年代の仲間であまり見ない光景に、しかも二度も遭遇したことに、少し不安を感じた。

生身の人間なので、会いたい人には会いたいと言わねばならないと思った。

 

 

○2023 02/14 

2人の予定が今日も合わなかった。食い下がって明日の予定を聞く自分はみっともないだろうか。情けないだろうか。何か1年前と違う心持ちになってしまっているのだろうか。

こんな時に、ポップスよりクラシックは変に媚びずに、下心なしに染み渡ってくれる。

明日会えたらどんな顔をして会おう。もう既に練習のついででなんかでは誘っていない自分は、どんな話し方をしたら良いだろう。

在学中の今でさえこんなにも会うのに苦労をしているのに、卒業をしたら本当に会わなくなってしまうんじゃないだろうか。忙しくなる一方だしな。

こうなったらもう、また、走ろう。

RUN 飛脚 RUN

 

夜、本当に忙しいらしいツイートを見た。

決めた、明日はそんなに時間をかけずに顔を出すだけにしよう、なんなら愚痴でも聞いて帰って来よう。

忙しさは敵だ、味方になったことなどただの一度もない、それを理解して戦わねばならないのだ、本人だけでなくその周りも。

と、大仰なことを言った私はただの学生だけど。

 

 

○2023 02/15 

昨日の予定通り、私は日の落ちた頃顔を出した。18:00を2分過ぎた頃、いかにもめがけてきた感が出て嫌だが、とにかくトントントンとドアを開けた、きっとこの時間には先生しかいないはずだ。

「疲れてますよね」

開口一番私はそのように声をかけた、絶対疲れてますよねという意味を込めて。

確かに疲れてるかもしれないと笑う先生に、「今日はカントのことは忘れましょう!愚痴を聞きます!私に出来ることは何かなと考えた結果、傾聴だと思い至りました!愚痴を聞く気持ちは作ってきました!愚痴を聞いたら私は身を引きます!」と、だいぶつらつら話した。笑いながら聞く先生だった。意外と愚痴は無いらしい。じゃあ気晴らしに、と1時間ほど話した。21:00まで原稿を書くらしいので、私はじゃあ19:00に帰りますと宣言した。マスクを外すことの命令と要請について、これからの大学について、自分の自家製シールは誰が貼ろうと言い出したのか、「今あなたのネックレスを見ています」「そのイヤリング長くないすか?」とか変な報告と質問をされたこと、「引っ張ったら取れそう」と言われたので「引っ張らないでください」と言ったこと、「あんたこの本あげてなかったよね」と言われたので「今あんたって言いました?あなた?」と笑いながら話したこと、「僕は思ったことをストレートに言う人なので」と意外な話を聞いたこと。しょうもないことを挟みながら、紛れもなくあれは「ぱぁっ」とした時間だった。よくある恋愛ソングはそぐわない時間だった。自分はいつもそのように仕立てているだけなのかもしれない。

話している最中も、今までより落ち着きを得ているかもしれない、ただただ楽しい時間にしっかりと変化している気がする。

19:00が近づいてきた時、「今は合わせとかで来てるの?」「そうですよ」「そういう時は是非顔を出してください」と言われた、いやそんな簡単にはいかないので先生の忙しさを考慮しているんですよという旨を話した、「いや私も狭間で揺れてるんですよ、行かない方がいいかなとか…」「いや、そうだと思ったので話したんです、ウェルカムですよと」そう言われた。そんなものなのだ、忙しい時は返信が質素になる、しかし顔を出した時はそこそこにウェルカムなのだ。学生と話す時間を作る、で良いじゃないか、こんなにも明るい時間、ただただ楽しい時間なのだ、気晴らしになりましたか?と聞いたら、いてくれたので良かったですと言ってくれたのだ、思い出してくれ、きっとまた返信が素っ気ないだの自分の変な乙女心が現れた時には。

「えーっとじゃあ…」と言った瞬間、「うんそう、来週はだいぶ落ち着きます」と自分の聞きたいことを先回りしてきた。

「全部分かってます、あなたの立場も、考えてることも」と言った先生に、「立場?」と聞いてしまった。特に触れられなかったが、全部ばれてるのかもしれない。こんなに通い詰めようとしてるのだから、そりゃあそうだ今思えば。だから変にそわそわしながら4階でたむろしない方が良いのだ、自分がまた今日も会えなかったと落胆するのがオチだろう、全部ばれてるのだから、素直に聞けば良いのだ、今日はいますかー?でもなんでも、もっと軽い気持ちでしつこくならない程度に、そこは大人の余裕を。

何故か手招きをしながら「そういえば会社はあの駅から近いの?」と聞かれたので、駅から5分ですと話したら、おじゃあ遊びに行こと言われた、ストレートにものを言う先生、一体どれくらいの気持ちがあるのだろう、卒業後もどこかで会えますかね、それには自分の色んな問題もあるのだが。

クッキーをあげよう、と奥に消えた先生、同僚の先生から沢山もらったらしい。私からのホワイトデーということで、と言われた、まだ2/15だ、どういうこっちゃ。

次は暗にこれからの、卒業後の会合について話してもいいかもしれない、どうせばれてるのだから。先生はこの会合を、わざわざ学校に来てまでやるものではない、と考えているのかどうなのか探りを入れたかったが今回は無理であった。

まぁしかし、一つでも良いのでばれていない何かを持っていたいものだ。

帰り道は、久しぶりに軽やかだった。

このように、もっとポジティブに繋がっていたい。

これから、メッセージ一つ一つにまた一喜一憂するかもしれない、先生はこの会を関係をどう定義しているのだろうと思い悩むかもしれない、会合を必要とする度合いが違うと感じたときにはやっぱり自分だけ…と厄介な気持ちを呼び起こすかもしれない、しかしそうなっては何かが壊れるに違いない、そしてそんな時はこのライトな会合の雰囲気を思い出して欲しい、立場を取っ払ってでもきっと双方が楽しい気持ちがあるのならこの会は形を変えてでも開かれるはずだ、そんな雰囲気が確かにあったのだと。

だから無理にあの人の欠点を探り出そうとしたり、距離を取ったりするなよ、自分で自分の首を絞めるなよ、それはあちらも望んでいない。

自分の思考に先回りして、今思うこのライトな気持ちをしたためておく。

 

○2023 2/23

今までほぼ3年間伴奏をしていた声楽の友人が、卒業演奏会に選ばれた。とても喜ばしいことだ。だのに何だろう、この感覚。うん、あの曲では、あの「これで良いのかな」という感覚では、私は無理だったろうと自分でも思う。私も頑張らなくてはならない、そんな風に思えた。まだ何者でもない自分。まだ何一つ成し遂げていない。人の成長する時の勢いというものは、側からしっかりと見て取れる、それを自分も感じていたよパートナー。今回は、おめでとう。分かるよ私も、自信が湧いてきて「今の自分なら何でも出来る」という感覚。勉強せねばならん、研磨せねばならん。卒業後、あなたがどのように世界を拡げるのか果たしてどうか、私も負けじと世界を拡げねばならん。

4年間を糧にする君へ

4年間を糧にする君へ。

未来の僕に向けて残せるものを出来る限り残そうと思う。

物事を絶えず研究し続けられない、糧を見失ってやりきれないと思った時、これを読んでほしい。

 

大学に入学して、自分の担当の先生は誰なのかとそわそわしていた。そんな不安な足取りの中、レッスン室を覗くと居たのがOMR先生。あの時の安心感は本当に計り知れないものだった。右も左もわからなかった1年生の時も、上手くいかない時も、大きく成長した時も、ユーモアを持ってアメリカンに寄り添ってくれた。この4年間を続けてこられたのは先生のおかげです。本当にありがとうございます。

 

EGC先生は2年間とちょっと、お世話になった。これは音楽ではない、と厳しいことを言われたものだった。高校の時からお世話になって、すごい方に少しでも教われたのだと思うと嬉しい。自分の受け皿がもう少し大きい頃に受けていたら、また感じ方は違ったのかもしれないが、あの時にあのレッスンを受けたから今があると思えば、なんら惜しいことはない。音楽、を続けてみせます、先生。

 

副科ながらも、サックスを3年間しっかりとみてもらったNHR先生もいる。年度が上がるにつれ、教えてくれる内容や含蓄のある言葉も増えていき、真摯に向き合ってくれているなと感じたものだった。忙しくて副科に練習時間を割けない時には、何かを感じて、今日はこの辺にしましょうと頃合いを見てくれた。色んな過去がある先生だった、複雑なことを知っているからこそ教えられることもあるのだな。ずっと格好良い先生です、ありがとうございました。これからも可愛いワンちゃんと元気に暮らしてください。

 

 

1年の時のISD先生は将官であった。ざっくばらんなレッスンをしてくれた。3年になっても声楽試験伴奏の時は声をかけてくれたものだったな。必殺うぉうぉ。あの副科声楽は楽しい時間でした。ありがとうございました。

 

 

教育心理学や特別支援関係では、KTMR先生によくお世話になった。とても仲良くなりたいと思ったが、そんなテンションでは無さそうだったのでそっとしておいた、4階で会釈するのもまごまごするくらいだから。でもそんな、駅で見かけたら学生じゃないかと間違えるくらいの人でも、やっぱり偉大な先生だった。自分達に寄り添ってくれる心理学な先生だったな。学生へのフィードバックを当日の朝までやる先生、温かく、みんなに慕われる先生でした。卒業の時にあげたシールはなんやかんや嬉しそうに受け取っていた。喜んでくれているようで良かったです。教育で、社会で、気づきがあった時は先生のもとに行きますね。

 

 

 

MTBR先生は、みつばち。前校長先生をしていたんだとか。優しい声の理由は...声楽出身者らしい。シルエットがかわいらしいよなぁ。頼りたくなる、優しいお父さんみたいな存在だった。卒業演奏会を見にきてくれて、良い伴奏だったと言ってくれた後、明日研究室に顔出してねとニコニコ笑顔で言った。すると卒業式当日、なんと僕が渡したシールをデータ化して作ったタオルを渡してくれた、先生が発案者だったらしい。なんとユーモアのある先生だっただろう。教職みんなのお父さん、私は先生の物真似を出来ますよ、優しい笑顔忘れません。

 

 

KMN先生は、めんどくさがられる先生だったが、いや私は尊敬をしている。色んな本を読んで、色んな音楽に触れて、色んな生徒と向き合ってきたんだろうなと思わせる雰囲気。教育実習を経てからは、本当に頭が上がらない。金言が多く出てくる先生の一人でもある。教育を沢山考えるための問題提起をしてくれた。先生を恩人だと言う先輩先生たちも多かった。高校での1年間の職にも推薦してくれた。飛ぶ鳥跡を濁さず、というような先生。僕の頑張りを認めてくれてありがとうございます。

 

 

MTMR先生のレッスンに通い始めたのは2年生の夏。この先生は自分がなりたい像を体現したかのような先生だ。最初は恐れていた、それはそれは恐れていた。でも本当に1年を過ぎたあたりから大分大胆な部分も垣間見えて楽しく話すようになった。人生で大切なことを教えてくれる先生、しかし、教えるってのは本当はだめなのよね、と教える先をゆく先生。一生ついていきたい、と思える先生なのだ、これからも。末長くよろしくお願いします、私のロールモデル先生。

 

 

OZK先生は3年の実習授業でよくお世話になった。寡黙で面白く無さそうな先生だと思っていたが、よく話すし、ブラックユーモアもあるし、なんだか面白い先生だった。でもなんかいつも1〜2mm浮いてるよな。実習授業の時は、自分のペアだけ特別レッスンが必要になるくらい大変であった。呼び出しを食らうなんて...と思っていたけど、それがなければこんな面は見えなかったのだ。最後は円満に、積極的に動いてくれてありがとうと感謝されたし、良い経験であった。大きな接点を持てた2021年12月、大変で楽しかった。自分がもっと大きくなって、影で応援されたい人ランキング上位。またぱたっと出会って、数秒遅れて挨拶し返してください。

 

 

UEN先生は実習授業で出会い、外部でピアノを弾く機会でたまたま出会したことがある。実習授業の時はクールでつんけんしているのかと思ったが、いや、ちょっと不思議な雰囲気を纏っているだけだった。それと少し皮肉が効いているだけ、である。本当は、講評に「頑張ってね」と知人故のメッセージを残してくれる温かい先生だ。SNSで繋がれて嬉しかった人ランキング上位。コンクールでお会いするかもしれません、精進を続けますね。

 

 

MYZK先生は美術史の先生であった。この先生は綺麗にルネサンスから現代までの美術を網羅してくれた。あの先生からするとほんの一握りの知識を教えただけなんだろうが、私はそこから自作の美術史を作るほどになった。先生の言葉で好きなのは、「写実的だとか、そういうのが美術ではなくて、現代美術は....」たしか現代美術はもっと作者の中にあるとか、自分の中にあるとか、そういった言葉であったに違いない、僕が下書きの途中で執筆を止めたのがいけない。しかしMY先生、僕はきっと沢山の美術と向き合います。

 

KUN先生は2年生の時の室内楽でお世話になった。優しいお母さんみたいな先生だった。しっかりしていて、学生を見守ってくれて、しかしもっと音楽を、芸術を、と音質にこだわる先生だった。先生のレッスンを受けたのは、オンラインが初めてだった。コロナ故だ。初めてレッスンを受けた時は、「悔しい」という気持ちが湧いてきた。作曲家についてこんなにも知らない自分に気付かされたのが悔しかったのだと思う。卒業時のストーリーにも、おめでとうと、印象深い生徒さんだとメッセージをくれた。ありがたい。あの頃、愛が溢れて、先生の特製シールを作って渡せてよかった。あなたなら大丈夫よと言われた言葉を胸に、堂々と顔見せ出来るように、頑張りますね。

 

ART先生は、音楽美学の先生だった。僕はこの先生の講義を定期的に受けたい、本当にそう思っている。講義が美しい、一つの詩的な作品であった。厳しいことをざっくばらんに指摘して、そんな意識では君らはついにやっていけないのだということを暗に説いていたと感じる。学問はこんなものじゃない、と主張をしていた先生、僕もその言葉を解像度を上げて、説得力を持って言えるようになりたいです。頑張ります。

 

SNG先生からは4年の室内楽で教わった。この先生は、毎週金言が出るような先生で、僕にはコンデンスミルクすぎて、週1のペースではなかなかに厳しいものがあった。自分が知らないことを聞かれるとゾクゾクする先生で、まさに無知の知ソクラテスであった。無論、学生にも如何に君たちが音楽を知らないかを説く人で、しかし同時に音楽をするって何だろう、音楽って何だろうと理論では説明出来ない人間の感性も重んじる先生であった。僕はこのレッスンで泣いた泣いた、苦しいほどに泣いた。この先生にはそんな力があった。室内楽のパートナーと相まって、たまにおや?と思うことはあったが、しかし、僕は先生に胸を張ってこんな生き様をしているんですと言えるようになりたい。頑張ります。

 

楽式論は二人の先生に教わった。

一人はTKHS先生。僕は色々とこの先生にちょっかいを出していた。ちょっかいを出すと面白い先生だった。へらへらしている。でも、初めての講義を手探りながらもやり遂げてくれた、ありがとうございます。先生が好きな本読み、僕も続けて、美術と音楽と文学を行ったり来たりしたいです。

もう一人はKND先生。少ししか教わらなかったが、僕が聴講をお願いした先生だ。KND先生は「それぞれの楽器の移調くらい出来ないとだめですよ」と笑顔で言った。私は巨匠先生と呼んでいる。本当巨匠みたいに凄い先生だった、オーラが違う。いつもニコニコしている、まるで世界の色々を見てきてそこら辺で起こることはどってことないのだということを知っているかのように。

 

そうしてKSMT先生。あなたは僕を変えてくれた1番の先生です。あなたに出会わなければ、私はあのままでした、教育を志すこともなかったでしょう。「哲学者になりたい音大生」で内定をもらえたのも、元を辿ればあなたのおかげです。この職業を選んだのも、もしかするとあなた故かもしれない。いつか、自分が立派になって、あなたの携わる本を刊行できたら。そうでなくても、業務上、教育について勉強するにあたって、再びあなたの講義を受けられたら。そんな微かな希望があるのです。僕は、これからもよろしくお願いしますという気持ちでいます。

 

この大学で出会った全ての仲間、先生、人々に感謝をしたい。

これほどまで僕が色々な要素を吸収して形成されていった時期がかつてあっただろうか。

辛い時は思い出したい、4年間を積み重ねていったものが確かに紛れもなく自分の中に存在しているのだと。

自分が今まで出会った先生に、今の生き様を見られて恥ずかしくないかを常に意識してほしい。

顔向け出来ないような、期待を裏切るような、そんな怠惰な生活はしていませんか。

きっと出来るはずだ、この4年間があれば、僕にはストーリーがあるのだから。

そうやって、次々と出てくる夢にチャレンジして欲しい、頼むぞ。

2023年 1月

○2023 1/10 テンポ

 

作曲家の示すテンポ。

テンポは大事だ。

しかし自分の思うテンポ感と違う場合がある。

では何故作曲家はこのテンポにしたんだろうか。それを考えることが音楽、それが楽しいんじゃないか、と。

テンポは一番大事かもしれない。

音量だけで表しているように聞こえる、と言われた時の自分の「あぁ」という顔。

 

 

 

○2023 1/12 煩わしいことは辞めにしたい

 

会えるかもしれない日に気合を入れてお洒落をしたりします、私、知らないでしょうけど。

今日もそうであったのです、だって木曜日でしょう。

多忙ならそれで良いのです、そして何か理由があるなら放置する訳を話して欲しいだけです。

あれほどやる気があったが面倒くさくなった、ならそう言ってください。

あなたの行動の訳が分からなくてそわそわするのは良くないのですよ。

きっとただ好きであったなら私が煩わしくなって身を引いていたでしょう、しかしそうではない。

それ以上であるから、それとは違ったものがあるから、どうにも身を引けないのです。

可哀想な私だと思いませんか。

自分でそうさせているだけなのが、また。

 

 

 

○2023 1/29 あと2日で最後のピアノ実技試験が終わる

 

あと2日で、最後のピアノ実技試験が終わる。

今日は東京のレッスンだった。

私の前に小学5年生の生徒がいた。

ベートーヴェンを弾いている。

先生は「今は分からなくても何年か後に分かる時が来るからね」と言って教えていた。

はいもう1回、ここは穏やかだよね、ここは3声になってバッハが活きてくるんだよ、と。

お母様がいかにもな感じで録画しながらレッスンを見守っていた、次にも他の先生のレッスンがあるらしい。

その子が帰る時「頑張って」と声をかけた。

照れくさそうにこちらを見たその子を見て、尊敬してる、えらい、本当すごい、素晴らしいなど色々と言葉をかけてしまった。

いや本当にそう思ったので。

小さい時からこうやって一つ一つ教えられていたら、数年後彼女はどんなベートーヴェンの世界を見ることになるんだろう。

たまには遊んで、立派になってねという気持ちでお別れした。

自分のレッスンはというと、心配してたけどいいじゃない、と言ってくれた。

本当にそう思っているのかどうか、投げやりなのか、いやそうではなさそうだった、よくやったじゃない自信持って弾きなさいという言葉を信じよう。

珍しく「お茶淹れてあげる」と高い紅茶を淹れてくれた。

デパートでしか買い物をしないらしい、さすがである。

「2日後試験終わって、何か勉強しないの」

「いやぁ!やりたいんですよ!」

今まで自分が気がかりであったピアノの基礎を固めたいという願望、それがとうとう出来る時期になるのだ。

地元の先生は楽しくて良い先生だったけど、ガチガチに固まった身体に気づいてはくれなかった。

それを治せたのは大学2,3年の頃、やっとの状態だったから音楽の文法にまで手が回らなかった。

今は、バッハなど2年も久しぶりの状態である。

大学3年生で、ショパンスケルツォ1番を試験のために練習していた時、「音楽ってこうやって作るのか、ピアノってこうやって弾くのか」と強く思ったのを覚えている。今日のレッスンで「卒業試験の曲を練習していてどう?」と聞かれて、「なんか上手くなっているのか分からない」みたいなことを言った故はそれだ。先生はそれを「深み」と言っていた。やっぱりショパン、バッハなど音楽の文法のようなものは格が違うんだろうか、本格派と言うのか何なのか。とにかく今の曲ではあまり感じられない、「開かれているものに触れる感覚」をまた感じたい、それなのだ。

先生は社会人になると時間がなくて突き詰めるのが難しくなるのよ、と言った。「いや私は頑張りたいです。不可能を可能にしたい。」と言った。「不可能なんてないわよ」と先生は返した。難しくても、不可能は無いですよね。根気良くやろう。

でも2年間よくやったわよ、と話す先生。ここに来ていなかったら、4年間で音楽のことを何も分からず卒業するところでした、恐ろしい。

人との出会いに感謝。

レッスンの帰り、友達とLINEで前期試験の話になって、久しぶりに自分のラヴェルのピアノ協奏曲を聴いた。

我ながら、よくやったじゃないか、と聴きながら思った。

やっぱりこの曲は何か自分を感傷に浸らせる。

丁度前期試験の時は教育実習も終わって、就活も上手く行って、鈍ったピアノ技術と向き合ってた時だったと思う。

音楽への航海はまだ続くのだ。

プライベートゼミ集

○2022 12/20 ---パイデイア---狭間でもがくことが大切

 

ついに今日から始まった。

このプライベートゼミは一体どれくらいの期間続くのだろうか、先のことは誰にも分からない。

だからこそゼミ録をここに残す、ソシュールの弟子のように。

この会合がいつか終わる日のために、来るか来ないか分からないその日のために、書き残す、あるいは生きる目的を無くした自分のために。

自分はたしかに今、こんなにも活き活きと学んでいるのだよと。

 

今日は「はじめに」を読んだ。

「はじめに」だけで1時間半使えるのだ、素晴らしい。

先生は、基本的に私は教えない主義なので、といって私がはじめにをどう読んだかを話していった。

しかしやはり先生が教え始めた。

はじめにを読んだだけでカントの大人の像から教育への想像が出来るかどうかが大事なのだ、と言っていた。

そこから、「個人と社会」の関係における大人についての話、理性の光の話、結局色々を語る偉い先生も4つのイドラを背負って話しているのだという話、カントはベーコンやデカルトよりも厳しいのかもしれないねという話。

久しぶりに先生の饒舌な講義を聞いた。

しっかりと理解をするため自分は一点を見つめ、耳と頭に神経を集中させていた。

懐かしい、この感覚、これが好きだった。

ページをめくり話を進める先生に合わせ、ペンを走らせ、うん、うん、はい、にゃるほど、と自分が理解したタイミングで相槌を打っていった。

相槌を打たない時に先生はすぐ気づき、「つまり、」と話を加えてくれた。

話し切った先生は、ふぅと言いながら白湯を入れた。

「質問は無いんですかって顔してます?」と聞いたら「いや一通り喋って疲れたなぁという顔をしてます」と笑った。

何という時間だ。

自分はしゃべるより人の話を聞く方が好きなのだという先生を前に、だったら、と一つ会社の新規企画研修についての話をした。

「なんか自分、会社に入ったらビジネスで求められる学びと、自分がやりたい学びの間でもがいていそうです、なんだかそんな気がします」とつぶやいた。

先生は「それで良いんですよ」と言った。

その真の教養、パイデイアを求める気持ちを忘れなければ良い。

もっと言うと、今求められるものだけを考えているのでは課長クラスに留まるのだ、と。

今の市場だけを考えていては会社はつぶれる、求められるその先を作り出す会社が生き残るのだ、と。

そこから本を出しても著者は儲からないという話、しかし僕ら研究者は儲かることが第一目的ではないという話、本にすることに意味があるのだという話になった。

ネット上で研究者が本の内容を一話1000円で出したら、そこら辺の一般人より遥かに質も高いし、買う人はいるだろう。しかし、お金にならなくても権威あるところからpublishされることに意味があるのだ、少なくとも僕はそう考えると。

そこで私は「薔薇の名前」という映画の話をした、まさにそれだと思って。

広い広い図書館の中、先人たちの知が燃えていくのを長老が阻止しようとするシーンがある。

学者は、そういった本を、後にまで残る先人の知として残したいんじゃなかろうか。

先生は新規企画について言った。

薔薇の名前を見て、あのシーンに感動できる感性があるなら、近代に囚われず中世とかのシステムからアイデアを得れば良いんですよ」

なるほど、そうかそうだよな、色んなことを思った。

すると、「こうやって後輩とかに色々アイデアを話しちゃうから儲からないんだよなぁ、後輩にいつも奢っちゃうし」と話してきた。

そうか、先生はただ後輩思いなのか、学びたい者に優しいのだ。

そう思うと何か楽な気もして、ただの優しい先輩に見えてきた、特別なものが日常に近づく感覚何かを思い出す。

読書会の間で、色んな本を紹介された。

これは良い本です、これは○○先生の本、あーこれ読みたいんですよねぇ、まぁ、もし興味があったらと誘ってるわけですが、一緒に読みたいですねぇ。

そんな感じにつらつら話す中に大事なことを入れ込んできた、憎い。

是非読みましょう、楽しみです。

教養とはつまり、「いつかやる」だから。

今日のテーマの本をパラパラ見ながら「どうします?まだやります?」と言って来たので、「もう帰りましょう!」と共に帰ることを勧めた。

マフラーをして準備をしている、一緒に帰ってくれるみたいだ、まさかまさかの本当にこんなことになっているのだな。

今日はゆっくり歩きたいですね、と他に先生が居ないことを確認してから先生が歩き出した。

帰りに「どんな人間になりたいんですか」と聞かれた。

その時はなんとなく答えたが、今のところ、直近は、先生に見せても恥ずかしくない知のコンテンツを作りたい。先生に恥じない、学びへのアプローチの掛け方を心がけたいです。

先生は私の会社を応援してると言った。

あなたのところは悪になり切れない善の心があるんですよ、学びを金儲けのツールとして使うのではなくて良質なコンテンツをしっかり作ってそう、良いじゃないですか合ってますよ、と笑う。

胸を張ってこんな学びをしているんです、と言える働き方がしたい。

ただただそれだけを強く思った。

 

 

○2022 12/28 ----世界市民---楽しければ良いのだ

昨日おとといと学校にいるのか都度連絡をしたが、既読は付くものの返信なし、ようやく夜になって今日は行かないが明日は行くかもしれないと連絡が来たり、当日の昼に連絡したものの何のリアクションも無く、とここ2日は自分の気持ちがやられそうになった。

年末も是非、と言っていたのに、何か悪いことでもしただろうか、嫌われただろうか、メッセージを送りすぎたのだろうかと色々と考えた。

忙しいなら言ってくれ、距離を取ったほうが良いと誰かに忠告されたのならそう言ってくれ、一体何があったのか、自分はメッセージから感じられる微量の素っ気なさにため息をつく。

ただ私は一緒に勉強が出来ればそれで良かった。

楽しく勉強が出来れば良かった。

そう思いながら、友達と原点回帰をした後、無理やり自主練と名を打った登校をした。

先生から返事が無ければ、自主練をして帰ればいいのだ、ただ惨めな学生になるだけだ。

すると、夜に行きますと連絡が来た、今やっと来た。

やった!と思う自分は18時丁度に4階へ行ったが、先生はなかなか来ない。

20分ほど待って、本当に先生は来るんだろうかと思い、半分諦めて練習室で待っていよう、と上に上がる。

すると、遅くなりましたがつきました、と連絡が来た。

数分多く待っていたら危うく惨めな学生に映るところだった、ずっと待ってたんですかなんて言われたくない、それは先生には重すぎる。

先生に嫌われることを恐れる自分は、この数日間で、これからも微妙な距離を保っていようと決めた、今回はただの気まぐれだったのかもしれないけど。その証拠にここ数日間はずっと寝てたという話を後で聞いた、ちょっと寝起きみたいな様子をしていた。

研究室で準備をする先生はまんまと、練習してたんですか?と聞いてきた、はい!と自主練ついでにここに来たのだということを印象付けた。

先生は色んな本を紙袋いっぱいに持ってきていた、チョコをあげたら はいこれ とずっと待ってた先生の著書をもらった、待ってました、これは私の宝になるのだろう。

ということで、1時間半くらい1章を読んだ。

シンボル事典なるものが存在すること、それを隣で二人で同じところを見ながら読んだ幸せ、リスボン地震はヨーロッパの大きな出来事だということ、世界市民国際連合の考えの元だということ、世界音楽なるものもこの時代に出てきたのではないかと言われ自分の専門領域の出番が来たのにすぐ答えられなかったので家に帰ってメッセージしようと決めたあの時、次は自分はこの章をこう読んだときっぱり言えるようにしようと決意し先生を見つめた眼差し、「69年が私に大いなる光を与えたカント、09年が私に大いなる光を与えた先生、19年が私に大いなる光を与えた自分」という話を共にした時に先生は当然のような顔で私の「19年」を受け入れたこと。1時間半で、やっぱり待ってて良かったと思わされました。

先生は例え話で私をちょくちょく出してくる。

そういえば前回も今回も下の名前+さんで呼んでくれている、人の名前をあまり覚えない先生、素直に嬉しい、いやこれだけ執拗に話しかけていたら覚えざるを得ないかもしれないけど。

今日は冒頭に何時に帰ると伝えていた、先生とは帰らない。

終盤、私は腕時計をさっと見て「あと10分くらいですね」と言った。

「さびしいですねぇ」先生は脊髄反射みたいなスピードで言った。

そのさらっと言った先生の言葉は、私にとっては大きな意味を持つ、しかし先生のあるか分からない意図がもしこちらに正しく伝わっていないとしたら修辞学的に失敗である、虚しい失敗である。

先生が話の流れで次のチャプターに行きそうになったところで はい! と手を挙げて、続きは次です!と強制的に止めた。

良いところで終わりました良いです、と言う先生を横目にゆっくりと帰る支度をする。

そこで私は今日の不安がよぎり、下を向きながら言った。

「あの、忙しい時は大丈夫ですからね、これは本当に、仕事じゃないし」

すると先生は、大丈夫ですよ楽しいですし趣味でやってますからと言った。

そうか、と少し笑って、話題を変え今度友達と遊びに行く東京のスポットの話をしようとした。

「あ、そういえば今度あそこ行くんですよ!」

「えーいいじゃないっすかー!」

まだ「あそこ」としか言っていないのにそんな茶番みたいな態度で話す先生が可笑しくて笑っていた、こんな反応もしてくれるようになった、なんだ我が家に慣れてきたペットをかわいがる感覚か?何なのか?

写真を見せながら、ここに行くんですよーと話した、先生が寄り添う形で横からスマホを覗き込んでくる、側から見たらどんな風に見えるだろうか、自分は楽しそうに本当に楽しそうにすぐ隣にいる先生を見つめて笑顔でいるんだろう。

それだけで十二分なのだ、これで良いのだ。

 

 

 

○2023 1/17 ---最高善---あなたは何をしている時が幸せですか?

 

あの惨めな1月12日を経て、約束の火曜日になった。

今日は持続可能な会を目指して、運営の仕方を考えたいという旨を話そうと意気込んでいた。

夕飯は学校で食べようと思ったがプライベートゼミが待っていると思うと夕飯っぽいものは食べられなかった、我ながら可愛らしい女の子みたいな感じで19時を待っていた。

連絡して下さいって忘れてるかもしれないな、とDMを開いたらその瞬間に「お待たせしましたーー」とメッセージが来た、即既読になってしまって私は練習室の中一人悶えた。

そんなこんなで3回目のゼミが始まった。

ちょっと前から聞きたかった質問。

次の〇〇大学で、ゼミ持たないんですか?

今のところ持たないけど何年かしたら持ちたいよね。

ふーん、と言って私はその様子を想像する。

ゼミ生で遊び行ったりするんだろうな、そんなことをしていたら私のことなど忘れてしまいそう。

楽しそうにチームで読書をする様子を想像しては複雑な気持ちになった。

いつか聞きたい、「先生にとって自分は何ですか」、でも答えが怖くて聞けやしない、きっと「教え子です」という言葉にこの4年間全てが吸収されてしまうに決まってる。

今回のプライベートゼミは、自分が読んできて理解した内容を紙に書いてきたから流れがスムーズだった。

今日のキーワードは最高善だった。

最高善の話をしていたら、「じゃあ例えばあなたは何をしている時が幸せですか?」と聞かれた。

私はすぐ「ふふふ」と頭を抱えた、だって言いたいに決まってる、今この時が幸せですねと言いたいに決まってるのにそれを頭が阻止したので抱える他無かった。

うーん難しいですが、友達と話している時、にしときましょうか。となんとなしに話を進めた。先生はやっぱり研究者との学会とかが幸せなのかな、私的なものに幸せを感じることはあるんだろうか。

家に帰るとまたあれを話し忘れたとか、これを話したかったとか出てくるのだが、それでも色々話せた。

あなたの歩き方面白いよねと言われた話、なんですかそれ!と二人で笑いながら話した笑顔、カントが飲んだワインの水割りって美味しいんですか?から蒸留酒と非蒸留酒の話、あなたはウイスキーが好きそうな顔をしていると言われたこと、この服新しく買ったんです良いですか?とよく聞くお決まりの私の質問、なんかガムみたいに甘い匂いしません?あなたの香水?とめちゃめちゃ言われたこと、ガルボガルボ下さい。とガルボを懇願してきてこんな様子はどんな学生も知らないだろうと嬉しくなったこと、私があの難解音楽美学をなんとか読み切れたのは先生のあの言葉のお陰なのですと言ったが先生は忘れていたこと、しかもそれはカント的な"学びはとにかく最高善なのだ"という立場よりアリちゃん的な読書を何かより良いものへの道具として捉えたら読む苦しさから解放されるのでは?と思ったんだろうなと回想したこと、私はキリンジが好きなんですよと言うと先生は懐かしいなぁと言ったこと、「先生はキリンジのオシャレさをワンランクダウンしたキリンジが似合います」と言ったら笑ってたこと。

深夜2時になっても、楽しかった内容をこうやって綴ってる、これも幸せな時間です。

次の範囲であるアプリオリなどについて話していると、「そうですねぇ、正解に近づくヒントを少し話すと」などと先生が言った。

そんな時、先生はやっぱり先生なのだなと思う。

共に考えていてもいつもやっぱり先生の中には何か「正解」があって、しかもその「正解」はいろんな経験と学びから導き出された「正解」で、たとえたった一つの「正解」でなくても「正解」の純度が高くて、私は自力でそれに触れることがいつも出来なくて、先生の導きがあってやっと触れられる、やっぱり私は学生だということを知らしめられるのだ。

一生この距離は縮まらないから、一生ついていけるということでもあるのだが。

話しながら眼鏡を取って鼻に赤い跡がついている様、こちらにふっと来た時の古本屋みたいな先生の匂い、やっぱり私より大人なんだと、ふとした瞬間に思わせられた、近くで話したら尚更そうだった。

そういえばと思って、毎週何曜日って決まってるの大変ですよね、って聞いてみたら「まぁ僕は3月でいなくなるので、あ、まぁ東北に行く訳じゃないし卒業しても全然....あ、毎週何曜日にって決まってることについてですか?」みたいに大事な情報を入れてきた。

私はそこで、ふふと安心したように笑って、「毎週何曜日は大変ですよね、ここまで読めたら連絡して、そこから開催することにしましょ、持続可能な会にするために」とベターな開催方法を提案した。

「頭良いですね」

そうですか?持続可能な会を目指して、ですから。

色々話していたらやっぱり9時になった。

「帰りますか?」

聞かれたから聞き返した。

「先生は帰りますか?23時までいないんですか?」

先生は笑って明日早いんで帰りますよ、と言った、私も。ってやっぱり共に帰った。

暗い大学の一階を珍しいからと言って写真を撮る振りをして先生も一緒に撮った。

いぇーいと言いながらシャッターを切った、え、みたいな先生の佇まいだった、おかしいね、楽しい時間だった。

帰路では昔の話をしてくれた。

「いや、ここに赴任した当時、学生の質問に答えてたら先生お腹空かないですか?ってプロントだかに行ったことがあります。あの頃の○○くんとなんちゃらくんとなんちゃらさんはもう30歳になってるかな、元気にしてるかなぁという感じですね」

私もいつか「元気にしてるかな」になってしまうのだろうか。

自分は先生にとっての何になりたいのか、分からなくなってしまった。

ラベリングされるなら、「教え子」なのだけど、それではしっくり来ないのです。

でも今はとにかく、一緒に美味しいものを食べたいとか、一緒にどこかに行きたいとか、そんなんではなくてただただずっと話していたい、楽しいから、それも何のために楽しいとかではなくこれはつまり最高善なのですよ。

いつか夢見た、"読んだ本の感想を言い合うデート"に似たことをしている感覚。

いつも終わったらどってことのない時間なんだけど、でもプライベートゼミ、そわそわするよね。

夜9時、心地良い雨、駅までの帰り道、「この時間はうちの学生が多いんですよねぇ、逃げなくてはいけませんね」と言う先生。

「じゃ、私は左に行きますかね」

先生は右に行く。

「じゃまた連絡しますね」

わらわら集まる学生を横目に流す、ばれないように、秘密のお別れをした。

次の日の朝。

私は3限の西洋音楽史のために登校した。

ついさっきのことのように感じられる昨日の夜。

しかし駅は昨日と違う様相をしている。

心地良い雨が降っていたはずの空。

二人で歩いたはずのこの道。

恋はいつも幻のように。

2022年

○2022 08/01

 

せんせい

 

先生はそうやって逃げ道感覚を飼い慣らしてきたのですよね。

これで良かったのかなと思うことがあるんですよね。

私も似たようにそうやってきました。

でも今回はそれを少し手放してみようと思ったんです。

というより、手放さなければいけない、そんな存在だったということです。

これで良かったのかなと思うことがないようにしたいと思ったんです。

でもそれは社会的に?世間的に?立場的に?タブーに近いと思われます。

だから、ただ一つの確信を手に入れて、そうしてから卒業したいと思ったんです。

先生は今まで教え子と二人で飲みに行ったり、話したり、してきたことはありますか?私が卒業しても、何かしらの関係を持っていられるでしょうか。そうではなくても、せめて、先生の中に私は何か色濃く残っていられましたか。あわよくば特別な存在として。

 

○2022 09/06 

 

写真を整理していた。写真を見ながら思った。よくある青春・恋愛映画で、照らし合わせられる過去があるだけでもう十二分なのかもしれない。懐かしい、と感じる。会いたいと思ったら、言っていいのかな。年を重ねると素直に言えなくなるのはこういうことなのだろうか。元気にしてるか聞きたいだけなんだけどな。

 

 

○2022 9/22 僕は多分違う

 

今日、久しぶりに会った友人と立ち話をした。彼女は今度のコンチェルト演奏会に出る優秀な子だ。彼女は1年生の時から意欲的だった。音楽大学に入学した当初僕は、1年違うところで音楽を勉強してこちらに入学してきた一個年上の彼女の考えや経験に驚いたのを覚えている。幼少期から音楽を志して来た人は違うなと思った。人脈作りに意欲的で、既にコンクールにも出ていて、頭の中は音楽で一杯らしかった。そんな彼女、大学4年になって、将来についてどう考えているんだろう。そんな話をしていた。彼女は「音楽をやっていないと生きている感じがしないんだ、ずっと楽器のことを考えている」と話した。僕にはそこまでの気持ちは無かった。彼女は続けて、「自分の表現する音楽をみんなに伝えたい」と強く訴えた。僕はと考えると、「まだ見ぬ世界を見たい」という気持ちが先に出て来た。僕はそうなんだ。彼女は社会に向けて音楽をしたいんだ、僕は違う。僕は、自分の世界を広げるために音楽をしていきたい、それが誰かに伝われば良いなと思う。出発点が違う。社会で生きていく術をどうしようと考える時、社会に音楽を伝えて貢献したいと強く思う人が演奏の道に進み、そうでない人・違うことで社会に貢献したいと思う人は違う術で生きていくのだろうと思った。ただそれだけなのだ。音楽を生業にしたいか・するか、というものと、音楽が好きだというものは違う次元のものなのかもしれない。もちろん好きから出発するのだろうけど、生業にするにはそれなりのエネルギーが必要だと思った。

 

 

 

○2022 09/24 不確実な学問

 

ここ最近はなんだか音楽ってどんなものだっけ、という感覚で生きている。だから師のレクチャーコンサートに行った。元気が出た。音楽やっぱり素敵だと思った。コンサートひとつで自分の専攻への勢いが出たり出なかったりするんだから、こんなに不安定な学問は無い。難しいことを専攻していたのだなと思った。こんなにも不確実で、不安定なものを学んできていたのだと。身体を目一杯動かして疲れたわけでもなく、人間関係に疲れたわけでもなく、そもそも疲れているわけでも無いかもしれない。何かに大きく打ちひしがられたわけではなく、誰かと比較してがっくりきているわけでもなく、なんなんだろう、前の自分ならもっとこんな音出せたはず、もっと何かこう音楽を出来ていたのに。なんだかよく分からないけど、炎が消えそうです、今。そう心の中でつぶやいた。こんな時は言っていた通り再燃するのを待てば良いんですかね。原因も分からない学問ですよ。

 

 

 

○2022 09/27 逃げない

 

「そうか、ピアノを弾いても楽しく無いんだぁ...。

頭がぱんぱんな時はね、どうぞ休んで下さい、是非。休んでる?

年間10回は休めるんですよ、自分の時間を使わなきゃ、この休みは具合が悪くなった時に休む休みだけじゃないですよ。今のあなたみたいに何か得体のしれないものにもがいている時、そんな時に使うんですよ。

休むというのは、やるというのと同じくらい大事なんですよ。

ドイツでは、バカンス中に風邪を引いて1週間寝込んでたら、バカンス後に1週間休みをくれますよ。

なぜなら、その人はバカンスという時間を1週間分過ごしてないから。

良いですか、休むからやれるんです、やるからまた休むんです。

現代人は変に忙しくすることが好きだから、明日はこれがある、今日はこれをしなきゃいけないって、よっぽど庭の花を見ていた方が豊かになる。

かきたてられることが無くて、ピアノを弾いてて楽しいと思わない、なら弾かなければ良い。

そういう時に弾いても何も生まれないよ。

そんな時に弾いても、レッスンに来ても、良い演奏は出来ない、意味が無い。

自分の心と音楽は密接に繋がっているからね。

ピアノを弾かなきゃと思ってピアノを弾くってことは、逃げてると言えるんですよ。

何故なら指は何も考えずに動くから、何も考えなくて済むから。

自分と向き合うのが怖いんだよね、きっと。

乾いている自分と向き合うのが怖い。

もっと瑞々しくて緑が生い茂るような自分でいたいのに、インスピレーションが湧かない、豊かでない自分を見るのが嫌なんだよね。

音楽は時に残酷ですよ、何も無い自分に気付かされる。

でももっとピアノから離れて、考えなきゃ。

ベートーヴェンが、散歩をしないで曲を書いたと思う?

音楽のインスピレーションは、楽器と向き合っていない時間から生まれるんだよ。

すぐそこのコンビニに行く路でぱっと思いついたりする、読書している時に思いついたりするんだよ。

今主科はラプソディ・イン・ブルーやってるの??そんな気持ちじゃ弾けないでしょう。

そんな時はもう本当、弾かなくて良いよ。

でもこうやって悩んだ後に出てくる言葉は、きっと誰かを救うんだろうなと今思ったな。

正しいことを言える人とか先生は沢山いるんですよ、みんな正しいことを言う、でもそれは人の心に訴えかけないことがある。

同じ言葉でも、色々な壁に当たって、砕けて、苦しくて、って経験をした人から出る言葉は、人の心にスッと入ってくるんだよね。

今の経験はそこにつながる気がするよ、これでは何も解決にはなってないけどね。

自分の悩みを人に話したりすると言ってるけど、もしかしたら自分と話した方がいいのかもしれないね。

僕はね、あなたについて一つ心配なことがあるんだよ、違う場合は流してくれて良いよ。

深刻なことに、自分が辛いことに、笑って蓋をするような気がする。

辛くないの?シリアスなことでも、そうやって笑って話している。

それだけ心配。

でもなんだかこれには時間が必要かもしれないね、次のレッスンも、その次のレッスンもどうぞ好きに休んで下さい、大いにね。」

 

 

このままじゃいけないと思って、師のコンサートに行ったり、友達や先生と話してみたりしたけど中々突破口が見えなくて、コンクールもあるし、合わせもあるし、レッスンもあるし。

そんな状態だった。

知識を入れても知った気になるだけ、音と自分が向き合った時に感じるもの、それが全て。

それが出来るような気持ちではないなら、今は出来ないってこと、なんだよな。

先生の最後の話は当たっているからここに記した。

色々試したのはえらかった、でも自分を大事に、自分と向き合って、逃げずに向き合っていきたいと強く思った。

 

 

 

○2022 09/28 脱却のトリガー

 

今日は先生の言う通り、ピアノに触れなかった。多分明日も触れない。

他にやらねばならないこともあるし、今はピアノに触らない。

しかし授業は受けられる気分なのでしっかりと受ける。

西洋音楽史、音大だからな。

授業内で、今行き詰まっている曲の作曲家が出てきた。

プーランク

スターバト・マテルという宗教曲を勉強した。

宗教曲、あんまり聴かないなぁ。

授業内で聴いてみたら、あまり聴かない響きがした、良いかも。

その日の帰り。

クラリネットソナタは再来週にでも再びやり始めようかな・・・と思いながら、今日やった色々な宗教曲を聴き漁っていた。

すると、「♪♫〜」クラリネットソナタのモチーフの破片が聴こえる。

なんと、ある宗教曲のモチーフが酷似していたのだ。

”行き詰まりからの脱却のトリガーは鍵盤だけにあるんじゃない。”

レッスンでの、先生のあの言葉を思い出す。

電車内で飛んでいく景色を見ながら、想いに耽った。

開かれているものにこちらから触れる感覚がした。

 

 

 

○2022 09/29 ただ幸せを感じるプライベートゼミ

 

今日もピアノに触れない、いや昨日のことで少し触れたくなったかもしれない。

でもイタリア語のスピーチ、就活振り返りの話についての仕事の方が、今は楽しい。

学校で終わらせてから家に帰ろう、今日は先生がいる日だから。

なかなか仕事の進みは遅かった、でもこんな日も必要だろうと思ったから無理にペースを上げない。

この通りはよく友達が通っていくので、そのたびに一緒に話をする、その途中でやっぱり先生が行ったり来たりするので、挨拶したりしなかったりした。

戦友と隣同士で座り、作業を一緒にしていって、おやつタイムを挟んで、さて彼女は夜まで在る授業に出かけていった。

私はというと、コーヒーを買って、それらしく仕事をしようとゆったりしていた。

外はもう暗くなってきた、研究室の横のハイテーブルに移動する。

会えるんじゃないかな、となんとなく思う私。

すると、エレベーターから研究室へ向かう先生の気配を感じた、高鳴る鼓動と裏腹にあまりそちらを見ないように努力する。(冷静になるといつもこの行動は矛盾していると思う、でもこれが人間による自然の矛盾だ)

その気配そのものが、私の方を見て止まった。

あちらからそういったサインがあると、私は初めて、今気づいたかのように目を合わせる。

おずおずと、寄ってくる。

「...これを、借りて、来ました。知ってますかこのzy....」

「...は...はい??大丈夫ですか、こんな小さい声で...笑あれですよね、除籍の本をもらったんですね」

最初はいつだって声が小さい、この人は...。

昼は五月蝿いのに、夜になると途端に静まり返るこの4階で、一人で作業をしていると先生はたまにやってくることがある、いや私が狙いを定めてきているのかもしれないが。

とにかくこんな時には、決まって少しの話だけでは終わらない。

私はずっと溜めていた質問をするし、先生はそれに関連して公私色んな話をしていくし、その間に私はいつも思っていることを伝えながらこの時間を楽しんでいくし、先生はというとあるいは面白がっているのかもしれない。

関西弁に戻りそうな話、横浜らへんに引っ越したい話、プラトン的な芸術の考え方というと難しいねという話、キケロは記憶は場所だと言った話、おすすめした京都の本をわざわざ電子で買って確認してからメッセージを送ったのだという驚いた話、いつまでも話せる気がした いつも、そう思っている。

大抵、話がひと段落すると、第2ラウンドがあったりなかったりする。

今日はというと、それがあった。

話が終わって、お手洗いに行って幸せを噛み締める、今日は上々だ、と。

出ようとした時、先生が同僚にお疲れ様ですと挨拶をして研究室へ戻る過程を見た。

惜しい、もう数秒早ければ、と一瞬にしてチャンスを逃したことを解した。

すると私のカタカタとしたサンダルの音を聴いてか、姿の見えなくなる直前にこちらに気づいた。

数メートル先。

手招きをしている。

この状況、嬉しすぎて解せない、簡単な人間だ。

どうやら、私が話したソクラテスの弁明について、オリジナルのオーソドックスな本を貸してくれるみたいだ。

「おあぁっ、ありがとうございます...!」

この間借りた、違う訳のものと見比べて読んでみようっと。

また楽しそうに私は話す、先生は楽しいですか、私という人間が面白いから話してくれているんですか、私に勉学の意欲が欠けていたらこんなにも良くしてくれることはないのでしょうか。

本当のところはまだわからない、だから今はただ楽しく先生と、話すだけ。

第2ラウンド、”頃合い”という名の無音のゴングが鳴る。静かな終了。

帰りに貸してもらった本を読みながら思う。

あ、今度、これを返すんだ。

またその時に。

 

 

 

○2022 10/06 時が解決する

 

一昨日まで夏だったが昨日から冬になった。

あぁ昨日の定時制高校の見学、学生たちとあの人がたまたま共にラーメンを食べたらしい。友達から話された、「ストーリー見た?」には、あぁ見てないやと応えておいた。今日は寒い。コーヒーを飲もう、スタバだ、褒美である。これでゆったりと、イタリア語の宿題をしてから、ピアノを、やろうよ。といって練習室に行った。おや、身体が使えている気がする、音もコントロールが出来ているような気がする。時が...解決してくれた?トリガーは一体何だったんだろう。昨日のラーメンについてのモヤモヤが芸術に昇華された?それとも先生からのソクラテス?

分からないが、良かった、兆しが見えたね。

 

 

 

○2022 10/11 演劇とお笑いと音楽

 

今回は、主科の先生の話をしたためたい。今度のコンクール本選で弾く曲は、もう2.3年弾いている曲だ。前回、予選ではあまり成績が振わなかった。うまくなっているはずなのになぁ。今日のレッスンで、いけないところを指摘してもらおう。2曲弾いた。先生は、上手いけどエネルギーが無い?そつなく弾いてる感じだね。あの頃の方が荒かったけど、覇気があった。と。そんなぁと、思った。レッスン中に、演劇の話になった。「ミュージカルとかの役者さんって、凄いんだよ。何がすごいって、千秋楽まで毎日公演があっても、毎回初めて聞いたかのように驚いて、初めて感じたかのように喜びを噛み締める。お客さんは役者さんが何回目だろうと、初めてだからね。役者さんがもしお客さんより早く驚いてしまったら、反応をしてしまったら、お客さんは取り残されちゃうんだよ。そうやって演劇の友達が言ってたの」なるほど、と思った。慣れすぎているのか、この曲に。最初の頃のように、一つひとつの和音に驚いて、一つひとつのフレーズに感動しなければいけないのだ、聞く人と同じ熱量でタイミングで。曲に慣れてしまうと小さくまとまった演奏になってしまう。その対策の一つとしては、やりすぎるくらいやって丁度いいということになるかと思う。良い話を聞いた。お笑いもそうだと話す先生。大切なことに気付きました。

P.S.?

丁度後日、あの人から面白い話を聞いた。「人間の学びは2つあると思ってて、分析と統合なんですよ。例えば演奏を聞いても僕は同じに聞こえるけど、あなたがたは違いがわかる、一つのものごとを見ても違いが分かるんですよ。でも、創造しようとするときは統合をしなくてはいけない。複数の物事を繋げてみないと新しいものは創造できないんです。」この言葉の意味を、実感として持てているのは恵まれているとしか言いようがない。この話と主科の先生の話を受けて、主科の先生も統合をしているのだと思った。

あの人が教育を志したのは、人に興味を持ったからで、自分にとって大きな成長になったのは大学以降だと言っていた。ジェイムズの本を読んだとき、雷に打たれたかのような衝撃を受け、ああこういうことなのかと思った、と言う。そんな話を聞いて心底思った。やはりこういう出会いがあるのだと、私もそうであるように。そんな強い思いを目に宿らせながら、「やっぱり先生にも、あるんですね」と言った。先生は「そうだよね、あなたもそうでしょう」と目の奥の何かを見透かした。先生は一体、それを何だと思っているんだろう。私の成長に一役買ってくれているだけなのか、先生の一言に意味を見出す帰路だった。

 

 

○2022 10/16 6:31

 

とんでもない夢を見た。面白かったので記しておく。どうやら私は教育実習をしていたみたいだった、当時のメンバーと一緒に最後の授業をしていた。忙しい授業が終わり、なぜか大学の友達がお疲れ様といって駆け寄ってくる。お疲れ様会しよう!と彼らが言うと外はもう暗くなりかけていた。次のシーンは何故か一人で居酒屋にいた、とても寂しそうに一人でいた。大学の友達らがあとで合流するようだ。「先生もたまたま合流したから連れてくね!」そんなメッセージが来ていた、それを見て自分はどれほどびびったか。現実にはありえないが、これはこれで面白い。そして自分はどきどきしながらメニューを見ていた。チリンチリンと入ってきたのは、おや、先生一人だった。ぽかんとする自分。「いやぁ、あぁ、まぁ、どうも、どうも」ぎこちなく座ってくる先生。何故か私はそこで全てを解した。友達が気を利かせてくれたのか!と。(何故)「に、日本酒飲みますか」「えぇ、もちろん呑みますよー」にやにやが止まらずに自分はお通しを少しずつ食べていた。何故か二人はあまり会話をしない。ただそこには全てを解しているような雰囲気があった。あちらも全てを知っているような気がしていた。頼んだ日本酒を何の遠慮をなく我先に一杯ふくみ、厚焼き卵を小さく一口。思わず、ふふ、と笑みがこぼれてしまった。何ですかと訊く先生。「いや、尊敬する先生とお食事が出来てよかったなと思って」ぽやっとしたおぼろげな映像はそこで途絶えた。こうやって文字化している6:49。夢とは面白いもので、文字化しているとその時の興奮や感覚が薄まっていく。おぼろげな中での幸せだったのだと、改めて感じることになった。

 

 

○2022 10/18 自分が学ぶべきこと

 

今日は2週間ぶりに室内楽のレッスンに行く。昨日はコンクールの本選だった。2週間前、「そんな時はレッスンなんて休んじゃえばいいんですよ」と言う先生に甘え、レッスンを休み、時間が解決するのを、又は自分が自分と向き合えるのを2週間待った。そんな久しぶりのレッスンまであと1時間、というところで昨日のコンクールの結果が出た。全国大会出場の切符を、掴んだ。初めての全国大会、目を疑った。そうか、自分は最後のステージまで行けたのか。思考を張り巡らせているとすぐレッスンの時間になった。プーランククラリネットソナタだった。とにかく先生が弾くピアノからは沢山の色彩が溢れた。ため息が出るくらい溢れ出た。レッスン後、自分のレッスンを見ていたペアの奴からこんなことを言われた。「いやぁ、結構がっついてて、大変そうだなぁと思いました。フランスものはもっと感覚、っていうイメージなんだよね」そいつは、いつも鼻につく奴だった。今日もそんな話をされるんだろうと思ったが、今回は違った。「フランスの演奏者の曲を聴いたら良いと思うけどね。そしたらなんか分かるんじゃないかな。俺はとにかく模倣してた。聴きまくったら曲の感じ捉えられるんじゃないかな。先生の出す音真似る時は良かったからさ」最後にいきなり、自分の真似た音を客観的に誉められたから何故か救われた気がした。そんな話をされたから、あぁ自分が今足りないのはこれなんじゃないかと思う話をした。「2年前に奏法のレッスンに通い始めたんだけどさ、そこで良い音とか音の出し方は体得出来てきたんだ。前までは先生の弾く音をどうやって出せば良いのか分からなかったけど、今は似た音を出せるまでになった。でも、今自分に足りないのはそれをどう曲で使うか、なのかなと、話を聞いて思ったわ」色々なものを聞いてそれを吸収しなければ。「多分出来ると思うよ、さっきのやつ。理解力あるし、勉強好きそうだし。俺はしっかり実にしてくれる奴にしか言わないから。教え損になる人には、その淋しい気持ち分給与としてお金をもらわないと話さない。」奴らしい、しかしその気持ちも分かる理論を入れながら、いつもツンケンしている奴に褒められるとまんざらでもなくなってしまう。すると奴は私に、「しっかりと実にしてくれる人だ」ということを裏付ける話をしてきた。「なんかあの先生肌を感じるんだよね」そう、あの先生は私の師である、人生の師、恩人であるのだ。「え、その人自分を変えてくれた人だよ」「うん、なんか1年の原理の時くらいじゃない?そこからなんか食いつきが変わっていった感じだよね」いつもつるむ仲間ではないのに、側から見ただけで変化を感じ取った奴は、やはり共感覚の持ち主、何かを持っている。話を聞くと奴も、幼少期という早い段階で色々な出会い・気付き・「雷に打たれたかのような」経験をしていたらしい。そして奴はピアニストの将来についても話した。「まぁ音楽で食ってくには譜読みのスピードが速くないとだめだよな。」自分は譜読みが遅い。「いや俺も訓練したんだよ。譜面見ながら音源を聴きまくった。どんな音が鳴るか一発でわかるじゃん」「それ、、、聴音能力無いとだよね」「うん、だからソルフェージュが大事って繋がってると思ってた」そうだなと思った。「今から譜読みを早くするには多分遅い。」そう、自分は音楽で生きていこうとしていない。何故ならそういったものの訓練を疎かにしてきたから。そして、生業にするために音楽をやっているわけではないというのもある。「音楽でだめだったら、他にやりたいことあるし。音楽やってきたことは無駄じゃ無いと思ってる。音楽でだめだったら他のところにその能力を回せば良いと思ってる」と、好きな時に中学数学の問題を解くという彼は言う。彼も、音楽で培った能力は違うところでも活きることを知っているのだ。「今はさ、1週間後に譜読みが出来ないといけないノルマがあるから脳の勉強が出来ないんだけどさ。社会人になったら、ノルマが無くなるから、そういう勉強をしていきたいんだよ。沢山聴いて、勉強して、古典派もやり直して、感覚でフランスを捉えられるように。」「うん、間違ってないと思います」

とにかく、全国への切符を勝ち取った後に、自分はこんなにも「引き出しにある音を自力で上手く当てはめられない」のだと実感するのはやや複雑であったが、原因は分かっている。音楽の中でどう音の違いを出すのか先生に導いてもらわないと出来ない、というのが現状なのだ。「先生からの導きが無くとも、それを構築していきたい。」今後の自分の目標はそれである。大事な気付き、これからの指標になることは、非日常ではなく日常にあるのではないか、と思ったりする。コンクールの結果に傾倒するのではなくて、こういった日常から次への芽を見つけ出し、それを元に育んでいきたい。自分はやはり「まだ見ぬ世界を見るため」、そのために音楽をやっているのだ。

 

○2022 10/24 感覚的に、見えないものを見るため

 

昨日、よく行く某所で開催されるフェスティバルに行った。上等なコーヒーを飲んで、ごちゃまぜな音楽フェスも同時に見た。コロナでこういうものも少なかったため、本当に楽しかった。夜には良いビールとワインを飲んで、珍しい牛肉のカルパッチョとやらも食べた。食事をしながら、さっき聴いた地域の民謡を用いたポピュラー音楽、お笑いと音楽を融合したバンドたちの愉快な曲を思い出した。バイブスいと上がりけり。そして家に帰って、久しぶりに高校時代によく聴いていた曲を思い出した。それは、無難で何もない自分を少しやけくそに歌うポピュラー。当時の自分と少し合わせて聴いていた。キラっとしたものが無くて、無難で、毎日何か大きな発見があるわけでもない、そんな自分とその感覚とを合わせて聴いていた。久しぶりにMV付きで聴くと、懐かしいし、何よりこれは良い曲である。ふと、友人がフェスを聴きながら言った言葉を思い出す。「座って聴くクラシックも良いけど、こういうゆるいのも良いよね」本当だ。本当にそうだと思った、久しぶりにゆるい音楽と触れて思った。とそのとき、将来、音楽との向き合い方をどうしようという思考になった。たまに思う。それがまた自分の前を通過しようとした。そんなときは、決まって自分はとりあえず今いる位置からそれをキャッチしようと試みる。クラシックを学んできた音大という環境を離れたら、思い切ってジャズとか、ポピュラーのバンドを組んだりなんたり、してみても良いかもしれない。クラシックで培った申し訳程度の譜読み力を駆使すれば、他のメンバーより早く弾ける。もっとゆるく、メンバーと楽しく演奏するんだ。そんな未来を想像した。すると、なんだか昔の自分の感覚も捨てるべきではない気がしてきた。前に音楽を聴いて思っていた、まるでファストフードな感覚。大学入学してからの自分は、もしかすると真面目すぎるのかもしれない、もしかすると深く読み過ぎているのかもしれない。そう思った。

次の日の月曜。自分の好きな音楽美学の授業がある日。その日の授業で自分は、芸術に「私たちをおざなりにはしないで」と言われた気がした。「今まで芸術に向き合ってきた時間を無駄にするな」、「これからも芸術に向き合う時間を0にはするな」、と言われた気がしたのだ。先生は、芸術は万人のためにあるものではない、ときっぱり言った。自分が薄々感じていたこと。だから音楽の模擬授業でどうやって伝えたらいいのか、何をゴールに授業をしたら良いのか悩んでいたのだ。芸術を理解するには一生かかると言っても過言ではないから。真の芸術を、耳には聴こえないけれどたしかにそこに存在するその芸術を理解する者にだけ神様がそっと差し出すもの。それを見たいんだろ、自分。授業中に強く思った。まだ見ぬ世界を見るために芸術活動を続ける、それはあながち間違った感覚ではなかったのだ。授業で出てきた「音画」的な視点も、譜面を見るときに意識してみようと思った。それと、授業中に出てきた見慣れた言葉、アルカディアキリンジを気に入っている理由は、彼らにはなにか見えないものが、アルカディアが見えているからなのではないかと思ったり。ちなみに、ポピュラーという言葉をぐぐってみると、「広く知られている、または親しまれているさま。大衆的なさま。」と出てくる。手に取るように分かる音楽、大衆的な音楽。それとは違う世界を捨てるなんて、もったいないよな。そうだったな。

バンドやイベント音楽・ポピュラー音楽をどうのこうのということではなく、芸術のため魂の修行をしたアーティストもいるかもしれない。ただピアノは辞めずに続けようと、この上なく強い理由で思ったのだ。ファストに出来るゆるい音楽もそれはそれで大事な文化。しかし、もっと長い年月鎮座してきた、歴史があり、一部の人にしか触れることの出来ない崇高な音楽も同時に存在する。それは鍛えられた者しか触れられない。そんな世界を求めることを辞めるなんて、勿体ないと思わないか?芸術と向き合うということは、それくらい根気のいる、それくらい覚悟のいることなのだと思い、戒めた。

 

○2022 10/25 自分の表現媒体

 

今日も、あの実りある、しかし背筋の伸びる室内楽レッスンである。昨日はとてつもないだるさと眠さに襲われながら、1時半までイタリア語弁論原稿と格闘、お風呂は明日の朝で良いや、と明日の授業を休むことを心に決め、メイクも落とさずに寝た、初めてだった。何をやっているんだ、明日はコンクールの伴奏だし、室内楽のレッスンではないか、と情けなかった。室内楽レッスンはお話で終わった、がこれがまた生産性のある会話だった。結論は、色々なことをしてごらん、旅に出てごらんということだった。副科サックスで同じ内容を言われたことを思い出した。自分の色々な経験で感じたことを元に表現をするのだと。ベートーヴェンだって僕らと同じように朝ごはんを食べて、寝て、作曲をしたんだ。そういうところから音楽が生まれたのだ、と。自分にはまだそういった経験による引き出しが少ないのかもしれない、もしくはそれを表現に結びつけられていないのかもしれないと思った。そして、もしかするとその表現媒体は自分の場合ピアノではないのだろうかという考えが頭の中をぽっと浮かんできた。そこですぐ思いついたのは「小説」だった。自分は感じたものを文にして日常的に表現しているのではないだろうか。文を作る中では、もっとさわやかに終わる感じ...や、もっとここで空気感を変えたい、など確かに色々なことを考えている、レッスンでよく言われる指摘に似たように。それがピアノでも出来れば良いのではないか、表現媒体が増えた、というように、同じ感覚でやりたいものだと思った。

 

○2022 11/1 嫌いな自分〜恋愛は人生を破綻させる〜

 

今日の室内楽は、「即興」と「音楽を理解するとは」と「理論で説明出来ることと感覚的なもの」についての話をした。ド、と弾いても即興。みんな「私は即興なんて出来ない」と決めつけている。世の中には勝手に決めつけていることが多い。自分が持ってるその殻をやぶらないとこのプーランクも到底出来ない、と。そして、音楽には論理で説明出来る良さと、ことばにすると途端に薄っぺらくなってしまう感じることで分かる良さがあるという話をしてもらった。理解しようと知識を入れたり、勉強することは大切。しかし、その一方で理解しようしようとするほど遠ざかってしまうこともあるということを留意しておかないといけないと思う、と。その中に、「音楽を理解するとは」という話もあった。ベートーヴェンは「これは月光じゃない」と言った。彼らが作った音楽を理解するって、誰が出来るの?誰もベートーヴェンと会ったことがないんだよ?、そう問いかけられた。その上で自分は、「音楽は自由というのなら、僕たちは今まで何を学んできたんだ」という質問をなげかけた。すると先生は、「先生が表現したものに至るまでのプロセスを学んでいるんだよ。その表現が正解っていうわけではない。どんな弾き方をしてもいいけど、自分がどれだけその作品と向き合ったかで演奏に納得感が出るかどうかが変わる」そんなような話をしたと思う。自分はこれから、「いろいろな人のプロセスを学んで、自分だったらどうしよう、を考えていけば良いのだな」ということを強く思った。

そして、3時間30分にも及びぶ2つのレッスンたちを経て、自分の人生の師に本を返そうと、自分が先生のためにMARUZENで買ってきた鳥獣戯画のブックカバーをかけた本を返そうと、るんるんで4階で勉強をしていた。先生が足を大胆に組んでスマホを見ている、どうせツイッターだろう。コンコンコンと3回ノックをする。おぉという声と共に話が始まった。途中から座って話すことになった。コーヒーを飲んで、友達からもらったチョコを分けて、一生続けばいいなと思いながらいろんな話を、した。引っ越し先どこが良いと思う?の話。その中だったら○○が良いと思いますよ、と返す自分。なんで?と聞かれて、私の会社の定期圏内なので、と答えた自分の勇気。下北のカフェの話。小川珈琲ラボラトリー是非行ってくださいよ!の話。ソクラテスの解説の話。いつも思ってる、無限に話せる。髭つきの先生を見ながら、歳の差をしっかりと感じながら、いろんな思いを溜めながら話した。話し始めてから1時間が経っただろうか。先生がお手洗いから帰ると、友達も一緒に入ってきた。私がパソコンを置きっぱにしていたのを見かねて、持ってきてくれたのだった。”彼女のしっかり者らしさが妙に自分のどこかを、その時、突いた。”そこからどうぞどうぞと椅子をすすめられて彼女が話し出す。将来に悩んでいる話、この前もしていた。私は全てを解し、今は彼女のターンだとすぐ大人しくした。その間、彼女の登場を思い返し、自分の行動が戒められるような気持ちがした。神様から間接的に「君の魂胆はお見通しだよ」と言われているかのように感じたのだ。自分の醜さは神様に知られているのだ、というように。恋愛に関して、あの人との時間を作れるなら、あの人に少しでも関われるのなら、何でもおかまいなしな自分を恥じた。実際、私は一度東急ハンズで買ったブックカバーより良いものが見つかったからといってMARUZENでそこそこのブックカバーを買い直したし、今日もある友達に「もう帰る?」と聞かれたときにはせめてもの大まかな理由も言わず「やることがあるからまだ帰らない」とけむにまいたし、先生のところに行こうとした中で、ある友達が練習室にいくのをしぶって自分のところに話しに来た時には何気なく練習室に追いやったし、先生がいると分かってノックをする段では机のパソコンは開きっぱで危機管理能力は著しく落ちていたし、先生と話している最中に来た「まだ学校いる?」の友達からのLINEには気づいたがちょっと用事があるからと返すと変に思われるし、先生と話しているといったらこっちに来てしまうかもしれないし、と色々考えた末に無視をしていたし、そういえば高校の時だって好意を持ってくれていた人達と遊び呆けて、友達からあまり良く思われていなかったではないか。このどうしてか、一点を見て考え込んでしまう深夜2時の理由はそれなのかもしれない。メタ倫理学なんかを読んでいる自分の酷いエゴイズムに落胆し、高校生の時から恋愛になると他のことや友達を捨てる選択を取ってしまう自分に腹が立っているのではないか。それを再認識させられてしまったのではないだろうか。このあの人への気持ちは絶対的純粋、絶対的に崇高なものだと思っていたのに、こんな醜い思考回路を辿って友達に対応をしていたなど。ここ数年、自分は大きく成長をしてきた。たまに思うことがあった。「性格も良いと思う、色々頑張っても来た、それに結果も段々とついてきた、自分最高なのではないだろうか」。そう思うことが確かにあったことを認める。しかしそれは、恋愛に離れていたこの数年間だった。自分の嫌な部分を出さなくて済んでいただけだったのではないだろうか。ただそれだけだったのだ。自分の醜い部分は恋愛を介すると表出してしまうのだ。もうさすがにここに綴るのをやめて寝る。とにかく、自分の財産を、恋愛以外の大切な財産を失うことだけはやってはならない。再び愚か者になることは許されない。

 

○2022 11/2 審美眼

今日は音大の先生たちの演奏会だ。楽しみにしていた。いつも学生と近く話してくれる先生たち、今日演奏を聴いて「こんなすごい人たちだったのだ」と再認識することになった。ドイツ、フランス、日本、スペインとそれぞれ4組が演奏をした。僕は終始涙を流していた。何の涙だったのだろう。自然な音楽にすることがどんなに難しいかを知っているから、音楽に表情を乗せる大変さを知っているから、音質や音の表情を変える技術を体得するのには苦しい訓練が必要なことを知っているから、そんな経験からくる感動もあった。そして、演奏された音楽から先生たちの演奏する瞬間までのプロセス、ないし半生を感じられたから、それらがそれぞれカラーのある音楽に乗って伝わってきたから、そんな感覚からくる感動もあった。とにかくそれはもう複合的な理由で涙をしていた。それぞれの国の、作曲家の演奏になるとその通りの風が吹いた。生きた音楽であった。僕は、やはり彼らが今見ている世界を、今まで見てきた世界を、そしてこんなにも無限に音の引き出しがあったらさぞ楽しいだろうなと思うそれを目標に、頑張っていきたい。演奏者は、ほぼ全員が色んな経験をした大人の人だったのだが、一人若い演奏者がいた。やはり心に訴えるには歳を経ることも大切なのかも知れないと思ってしまった。友人の言った、うまいで終わる演奏、それは本当にそうだ。心に訴えかけるものがもっと必要なのだ。僕もいつかの試験で、「もっと心の綾を感じられるとさらに良い。それは年令を重ねて得られるものかも知れない。」とフィードバックされたことがある。年令と経験が必要なことかもしれない、と今回の演奏会を経てまた思った。4年間で、この審美眼を少しでも身に付けることが出来て良かった。折角得られた審美眼。長い時間をかけて得た、審美眼。次は新たな世界を得るために。

 

○2022 11/11「元気にしていると良いですね」

 

逃げ恥は言った。

「どんなに奇妙な関係でも、意志があれば続いていく、どちらかが変えたいと願わない限り、バランスを壊さない限り、いつまでもこのまま続けていける。」

そう言った。

バイト先の高校で先生が、「あの子元気にしてるかなぁと思ったりしますね。元気にしてると良いんですけどねぇ」と言った。

そう言った。

あの人は、私とあの人が奇しくも同じ年に卒業する2023年に、同じことを思うのだろうか。

元気にしていたらそれだけで良い、なんてちょっと寂しすぎやしないだろうか。

 

 

○2022 11/19 ただ格好良いを求めていた時分

 

空が鳴っている

何故かそれを久し振りに聞きたいと思った。何故だろう。そうか、今の服が黒のセーター、ジーパン、ネックレス、トレンチコートだからか、あのMVの彼女の雰囲気に似ている。イヤホンから流れてくる高校生の時分。ああ、そういえばあの時はただただこのような格好良さを求めていた。なんか生き方が格好良いとか、綺麗な雰囲気とかそういったなんとなくな理由で。今はどうだろう、格好良くなれているだろうか。あの時、なんとなくではあったものの、やっぱり特別な何か、自分を誇れるものを求めていたよな、理想に近づけている?今の自分はわりかし誇りを持っているに違いない。それくらい沢山壁にぶつかってきた。よくやったな。たまには高校の時の、漠然とした格好良さへの渇望を思い出そう、あの時の曲を聴きながら。

 

○2022 11/22 4年間かかった

 

最近になって。

最近になってである。

所謂クラシックと呼ばれる音楽を聴いて、例えようもない満足感を覚えるようになったのは。

最近の音楽では得られない、うまく言い表せられないこの満足感。

これがクラシックが残る所以か。

芸術に、この4年間でやっと少し触れられるようになったのだと思う。

私は芸術にアクセスする難しさと苦しさとを知っている。

修行のあとに見える世界はこうも広い、否まだまだ捉えきれていないはずだ。

あとは自分で目と耳と経験を通して、世界を広げること、やれるな?

 

○2022 12/1 「鐘が鳴ったら帰りますか」

 

12月に入った。今年の12月は3つ大きなイベントがあって、それで大忙しだ。本当はこんなものを綴っている余裕はない、自分は教職のレポートを終わらせなければならないし、数日後のコンサートの練習をしないといけないし、来週のイタリア語弁論大会の練習もしなくてはならない、それにコンクールまで。しかし、それを上回る綴りたいという気持ち、そして出来事である。

 

今日はイタリア語の授業を終えたらあとはフリー。ピアノを練習して、友人とお気に入りの小さなカフェに行った。良い時間だった。しかし良い時間はすぐ過ぎる。彼女は授業に行った。私はイタリア語の宿題をして、おっと教職のレポートがまだではないか、と思い出したのでレポートについてうんうん唸りながら考えていた。ネットではあまり良い情報が出ず、本の海、図書館へ助けを求めに行った。私はまだ、「本の方からそれ私に書いてあるよ!と言われる」レベルに達していないので、自力で探す他ない。キャリアセンターのお世話になっていた人にも聞いてみた。とにかく他力を使いまくるのだ。そうだ、4階の教職の研究室に行こう。あそこなら。音楽の教職の先生に聞けば分かるはず。すると外ではあの人が立ち話をしていた。知らんふりをして、あなたに用があるから来たわけじゃないのだ、と言うかのような立ち振る舞いで研究室をトントントンとした。すると鍵は空いているが、誰もいない。どうやらあの人だけがここにいたみたいだ。まぁ良いだろう、と音楽教育関係の本を勝手に漁った。意外とあまり題材に適したものがない。ここですぐ出て行っても良かったのだが、あの人が帰ってくるまでしばし待とうと思った。あの人は結構立ち話をしてから入ってきた。2回くらい、もう帰ってしまおうかと思っていたが、粘り勝ちだった。

「おぉ、どうしたんですか」

 

「ああぁ、レポートについての本を、見ていて」

そこから始まった、ライトな会話。

 

「それはそうと、まだそこで作業するでしょ?もう少ししたら〇〇先生が戻ってきてきっとすぐ帰ると思うので、それまでここで仕事を進めますね。先生が帰ったらそこに話しにいきます」

おぉ、帰ったら話しに来るんだ、と驚いたが、私はるんるんで作業をしていた、しかしここの空間は防音室かのようにお腹の音がしっかり響きそうで嫌なのだが。

 

まんまと〇〇先生は戻ってきて、すぐ帰った。

あの時と同じように、正真正銘の二人になった。

コーヒーどうぞ、と淹れてくれた。

そこから2時間半話すことになるのだが、お腹が空いていること、自分たち以外の音がしない変な緊張感の2点を除けば、私は本当に何時間でも話していられた。

知への愛はマネタイズの壁を越えられるのか、という自分が温めてきた質問、僕らはそういう層を育てる・啓蒙することをしなければならないのだ、という回答。

先生はずっとメタ的な授業をしてきたのだ、と私が昨日気づいたのだという話、それをたった今先生が偶然にも話してくれたのだという話。

この前もらったこのブックカバーは勿体ないのでここにあります、と言われたこと、「需要がない...」と悲しんでいると「いやそんなことはない、文庫本を読む時に使いますよ」と言った後の好きな小説の話、二人でしゃがんで先生の文庫本本棚を見て話すあの刹那。

「あなたのような境地に立って、学んでいれば幸せだとという風になったら、もう一生学んでいく他、道は無いんですよふふふ」と素敵なことを言ってくれたこと。

「美学はどうですか」と色々を含んで聞くと「あ、後期に美学読みましょうってやつですか、あれはね」と、やはりあれは共に読みましょうの意だったのだなと確認できたこと。

今度出す本の話、自分が理解できる本はつまり自分の範囲内で読めてしまう本だという話。

今日はbelongngsを研究室にちゃんと持ってきたから気兼ねなく話せる、そして友達から来た「もう帰宅した?」のLINEには返事をしなかった。

時計はもう21時を指していた。

「お腹が空きましたね、今日はこの辺で、鐘が鳴ったら帰りますか。」

先生はそう言った、たしかに言った。

その時一緒に帰って良いんだ、先に帰らせないんだ、と妙な笑みがこぼれた。

「ですね!お手洗い行ってきます」

鏡を見ると自分の顔は赤く、また、火照っていた。

あそこの設定温度はおかしいんじゃなかろうか、いつも思う。

お手洗いから戻ると先生が本を持っていた。「いやぁ、これ、いいんですよ。美学を読む前にね、これを読んでみたら完璧なんじゃないかなぁと思って。木曜のこの時間が空いてるならこの時間でも。一章を一回でやると、4回で出来ますよ。ね、どうすか」と言ってきた。やる気だ。良いですね、と言った。私はきっと来週くらいの木曜に顔を出すだろう、しっかりと覚えているかな先生は。本当に文字通りプライベートゼミに、なる時が来るのか。

 

先生は灰色のコートを羽織った。

「いやぁ今日15時まで寝ててさ。16時から会議で、走ってきたからマフラー忘れちゃったんですよ」

先生、焦ることあるんだ、走ることあるんだ。

私はまだ何も知らない。

そんなことを言って電気を消して、暗くなる瞬間の研究室を見て、鍵を閉めて、二人で、エレベーターに乗ったのだ。

 

大学を出ようとすると丁度先生たちが帰る時間だけあって、先生の同僚がさよならと会釈してきていた。

私は大学の外扉で合流したのち、一緒に帰った。

「先生、歩くの早いですね」

「○○先生から逃げてるんです、ちょっとね見つかるとねちょっとね」

ならなぜ共に帰ろうとなど、と笑いそうになってしまったが、やっぱりそんな様子の先生は滑稽だった。

隣で歩く、背の高い先生。

灰色のコートが似合う先生。

人の流れを、くっついたり離れたりしながら避ける二人。

先生の顔を真面目に見られない私。

何度この瞬間を望んだだろう。

駅に着くと先生はさっと会釈をして5番線へと向かった。

「じゃあ」

「ありがとうございます...!」

するとその瞬間、私の名前を呼ぶ声が。

友達が駆け寄ってくる、彼女はいつ私のことを見つけたのか。

「隣にいる背の高い人誰だろうって思ったら先生だったー!」

元気に話してくる彼女は、前も私たちが話しているところを目撃したあの彼女であった。

これでほば完全に何かしらがばれたと思ったが、特にやましいこともなく、ただただ学びを乞う学生であるので何も問題はない。

しかし、彼女の嗅覚だか勘だかを恐ろしいと思うそんな別れ際だった。

 

電車では大分お腹が鳴ったが、最寄りに着くまでが一瞬だった、本当にぼーっと夜空を見ているだけですぐ着いた。

 

家に着いて夕飯を爆速で食べ、お風呂に入ってはぁとしていると先生からメッセージが来ていた。

ヌスバウムについて聞かれて喜ぶ音大生である。

先生の言ったとおり、一生学ぶしかない、そんな運命になった私たちは知への愛を持つ者である。

喜ばしいことだ。

 

 

○2022 12/10 コロナに勝る内発的動機

 

今週水曜、コロナ認定された。

僕の弁論大会はなくなった。

人生こんなこともあるとも思えたが、とてもお世話になった先生たちがいるので申し訳なかった。

きっとあの打ち上げがダメだったのだ、と思うのと同時にいやそんなことを言ったらここ数年で経てきた同じような会でもう既に罹患しているはずだ、と半分運が悪かったと思うようにした。

今日で4日経ったことになる。

だいぶ楽になって本も読めるようになった。

今はワーグナーと世紀末の画家についての本を読んでいる。

そのベックリーンに差し掛かった時。

彼の「死の島」は知っていた、恐ろしい絵だなと思ったし、絶対に死の暗さを表しているに違いないと思った。

しかし読んでいくうちに、彼は死に魅了されているという話が出てきた。

愛と死と生、死は通過地点だとか。

その絵に触発されたラフマニノフ交響詩「死の島」。

そんな希望的な場面は果たして感じられるのか、と聴いていたが確かに暗い中にもそのようなものを感じる部分がある。

それを感じた時、自分はこれが学びだと思った。

かつての自分を思い出す。

長調の曲を聴いて、短絡的に「明るい曲」とだけ思っていた時分。

これが一種の成長、学び、一つのものごとを多面的に捉え考える一歩か。

例えば「死」一つを考えても、悲しい一つではなく、一面的ではなく、色々なことを思えるように。

とまぁこんな調子でいつも考えるようなことを思えるくらいには頭が冴えてきたのであった。

 

 

 

○2022 12/11 きっともっと見える世界が広がっているはずだと目を輝かせていた当時

 

コロナだから今までの授業の復習をしている。

当時のプリントを見返すと、あの時の自分が客観的な映像として浮かんでくる。

あの人の授業を目を輝かせて聞いていたに違いない。

一生懸命頭を上下に動かしてノートを取っていたに違いない。

そういやStudent pretending to workと書かれたテーブルマークを置いて授業を受けていたな、何をやっているんだ。

まぁ今も大して変わっていない、そういうことをやってのけられる勇気とユーモアがまだまだある。

そしてあの教育原理の時には既に、友人は私の変化に気づいていたというわけか。あの教育原理あたりだべ?あそこら辺からなんか雰囲気変わっていった感じするよな、と言った彼の言葉を思い出す。

授業の後には先生に質問しに行って、その質問がだんだんとプライベートの話になっていった。

今日の服蛇柄なんですよとか、この前免許取ったんですよとか、あ先生無免許なんですかとか。

その後の鍵盤音楽史は大体寝ていた、つまり当時は本当に先生の授業しかしっかりと受けていなかった、逆にその授業だけはしっかり受けられた。

そういえば高校でも、あの先生の英語の授業だけは受けられたなという授業があった。

しかしそれはそこまでで留まり、この上ない影響を受けたというわけではなかった、やはり先生は特別なのだ。

今思えば本当に自分は分かりやすかったし、いや今も十分分かりやすくてやっぱり自分は変わっていないんだなと思うが、それでも昔の自分が恥ずかしく思えてきてしまった、つまりそれほど年月が経った。

今では知的好奇心というものを盾に(?)先生とコンタクトを取っている、あの時からしたら考えられるだろうか。

まず3年もこんな勢いが続いていることに驚くかもしれない。

新しいことを得ることも必要だが、なによりも今まで学んだことの復習は大きな意味を持つことを改めて感じた今日。

「十九年が私に大いなる光を与えた」