nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

推しの定義

音大に入ったあたしは大変ながらも楽しい日々を送っていた。

ピアノやサックスの練習、和声の授業、西洋音楽史

音楽好きなあたしには最高の環境。

 

 

---でも、そんな中あたしが一番楽しみにしていた授業は他でもない 英語 でした。

 

 

週1の英語の授業は私に活力をもたらす。

あたしはとびきりその授業の先生を気に入っていた。

若い先生で歳は20代後半、他の大学の講師だが、あたしの大学に週に数日来てくれるのだった。

先生の授業は人柄の出る授業だった。

音楽が専門のため特に英語を学ぼうと学校に来ているわけではない音大生に分かりやすく、興味が出るように工夫を凝らしてくれていた。

規定のテキストを使わず、音楽に関係のある英字新聞のコピーを使ったり、レベルに合わせて授業を変えていってくれた。

最初は堅そうな人、冷たそうな人、と、あまり良い印象を持たなかったが、授業を受けるうちにどんどんとその印象は変わっていった。

 

 

友達と先生をこっそりいじりながら授業を受けて、授業後に先生に絡みに行くのが、すっかりと気に入ってしまった。

友達からは、好きなんじゃないの、とまるで愛を紡ぎましょうよと推進されるように茶化されたりしたあたしだった。

 

 

そんな日々の中で、肝心なピアノは上手く鳴ってくれなかった。

主科のピアノの先生からは怒られてばかりで、あたしはうんざりしていた。

それと反比例するように英語では調子の良い自分。

ふとあたしは懐疑する、あたしの居場所はここで良いのかと。

もしかして、と思った頃にはあたしはもう退学届を出していた。

先生のいる大学へと、編入したのだ。

 

 

それから、当たり前のように先生の担当する授業を取って、毎週毎週前の方で授業を受けた。

でも特に前のように授業後に絡みに行ったり、プライベートな質問などはせずに4年が過ぎていった。

もう卒業するあたしだが、これといって先生に言っておこうと思うことは無いし、未練なんぞものも無い。

大学まで変えて先生を追って4年を過ごしたわけだが、この4年間、なかなかの努力を出来た自分にまず拍手を送りたい。

晴れてあたしは通訳の職を勝ち取ることができたからだ。

 

 

 

この4年間がどういうものだったか、この大学で培った知的な頭で分析しようとしてもなかなか難しいが、推しは自分を高めてくれる大切な存在だと言うことは言えそうだ。

ただそれだけ、でもこれだけの活力を生み出すのだ。

 

 

推しは良いよな、だよな、あの金曜を楽しみにしようぜ。