先生は最近 Official 髭男 dism にはまっているらしい。講義内より。
えぇ、流行りに乗りまして最近僕は髭男にはまっているわけですが...
髭男(ひげおとこ)じゃないです、先生、髭男(ひげだん)です。
笑いを求めわざと言っているのか否か分からないが面白くない洒落であるのは他の学生の反応からしてすぐ分かる。お坊ちゃんで知識人、しかしなぜか清潔感はあまり感ぜられなく、話し方もセンスも独特、たまにつまらない洒落を言い出すあの人は、紛れもなく少しださい。また明日も、あのぎょうざ柄のポーチを携え教室にやってきて、水を飲むときはいちいち一声かけて、独特のボードペンさばきを見せるのだろう。
やはり絶妙にださい。
しかしこれだけあの人の特徴をつらつらと綴れるというのは、講義をしっかりと受けているからで。あの人の講義はわたしにとって決してつまらないものではない、むしろその独特の口調で紡がれる内容はとても興味深いものであった。
最近は講義後に少し話すのが日課になっている。服のこと免許のこと誕生日のことだとか、学生のわたしたちと何故か申し訳なさそうに話すあの人だが、わたしがあの人を気に入っている理由の一つにそれとは真逆の資料を見つけたことが挙げられる。
それは正に彼の大学時代の黒歴史にある。わたしたちはたまたま文明の利器でその資料を沢山見つけてしまった。まあ、あの人のことだから当人にとってそれは黒歴史では無くれっきとした誇らしい自分史の一部なのかもしれないが。それも含め、わたしたちにとっては両極の対比がどうも可笑しかった。人の黒歴史は味の続くガムのように長く美味しい。
そして一番大事なことは彼の存在がわたしの様々な意気へと転換されていると言うことである。
なんと言っても、今はこれであるのだ。
そんなこんなでわたしたちはTwitterを相互フォロー(半ば強制に)する仲となった、どんな仲だと言われれば特に何も無いが。
お気に入りの英語の先生もそうなのだが、あの人たちはわたしにとって良き方向へと働きかけてくれる存在である。
自分を感化させてくれる、その意気を勉学へと転換させれば人生においての選択肢や見える世界を広げることができる。
これはサムシングラブなんかではなく何か違うものであって、未だにその正体は分からないが。
わたしはあの人に何か特別なものを求めているわけじゃない。
ただあの人が見ている世界を、少しでも同じように見たいだけなのだから。
あまり良い印象のない色恋より、今はこうして目の前にあるものをこつこつとこなし、少し先の自分を構築していくことがわたしのやるべきことなのだろうと、18歳にして何かを悟る。
さて、未来の自分はこれを見て何を思うだろう。