nekoyanagi0777’s diary

僕の/私の 脳内メモリー

愛に溺れるな

どんなんになったかな、何十年も経っている訳じゃないし大して変わってないかな、あの鮮やかだと誤認していた日々を覚えているかな。僕は忘れずにしまって置いてるよ。聞こえは良くても、それはつまりクローゼットの中で眠るセーターみたいな存在ってとこなんだけど。忘れるのも、なんだかなって。

 

 

 

 

僕のあの日々は錯誤していた日々だったのだと、最近気づいた、というか考え直したというか。思い返すと甘酸っぱくて素敵な夜だったけど、硬い握手で精一杯の苦く良い思い出だったりしたけど、僕の今やるべきことはそれじゃないと僕自身がもう既に悟っている。愛に溺れると碌なことが無い。

 

 

 

だから僕は 互いが好き同士 の関係を作らない。僕だけが密かに思えばいい。今僕がやるべきことはただ一つ自分を高めること。いくら愛が羨ましくなったって、憎らしくなったって、僕はそれを音楽に変換して表現する他無いんだ。あの人への愛かリスペクトか何かを表現する手立ても、音楽しかないんだ。

 

 

 

あるアーティストの曲に 現在位置 というのがある。それは東京タワーに月が刺さる曲で、あの人が好きな曲だけど、今僕の時代にはスカイツリーというものがある。僕は後者の時代を生きている。あの人との境を噛み締める。僕とあの人は残念ながら同じ感覚で今を生きていない。まあそれは現代ではさほど大きな問題にはならないと予想するが、その 現代 が果たしてあの人にどこまで通用するか。なんせ "今夜スカイツリーに月はササッテル" から。

 

 

 

なあ愛ってもんに貪られるとは実に愚かだぜ。愚か。一体なんのためにココにいるのさ。自分が学びたいものがあったからだろう。これは今の友に当ててでもあり、昔の自分への自戒でもあるけど。溺れちまうと自分のやりたいことやるべきことが霞んで見えなくなっちまうぞ。僕が厳しいのか、それともあいつが甘いのか、どっちなんだろうなあ、でもこれが正しいと思える今だよ。

 

 

 

 

"きっかけ"ってのはどこにでも転げ落ちている。勉学ならばそれを上手く使うか否かは自分の努力次第なわけだけど。僕はあの人の黒歴史をたまたま見つけたから極端に言えば今こうやって頑張れているわけなのだ。全てはそのおかげと言っても過言ではないだろう。最初はただの先生だったのにな。僕をこんなに感化させるのは、全く驚くべきことだ。これは愛に溺れていると言うこと?では無いと言いたい。

 

 

 

 

 

 

その昔、僕は弱1年間塾に通っていたことがある。今ふと思った。この勉強に一生懸命になって夜遅くまで残って、やっとのことありつけたかのように家で夕飯を食べて、早々に寝る感覚。塾に通っていたあの時期に似ている。場所や状況は違えど、感覚的なものはとても似ている。そんなあの頃の僕の勉学意欲の糧は一体何だったと言うのだろう。考えてみると意外と分からない。今はまぁ先生ということで落ち着くけど。思えばあの塾の時期を経て、その後僕は一度落ちるところまで落ちた。その時期がまた来やしないだろうか、心配だ。糧を失ってしまうのだろうか、と考えることは最早、愛に溺れていると言うことなのだろうか。そんなわけ無いよな、論理的に考えてみろ、そんなわけ無い。

 

 

 

スネオヘアー伊澤一葉って少し似てない?僕が好きな伊澤一葉とあの人が好きなスネオヘアー。似てるよね。世の見方を広げてくれた人よ。僕は思った。"色々な学問を学べば学ぶほど、容易く軽いことは発言できないことに気づくはずなんだ。" そして色々考えていたら分からなくなった。僕はあの人のために、それは極端にいうとあの人から何かが欲しくて勉学に励んでいるのか。あるいは僕は学んできた学問や偉人に惹かれている可能性もあるんじゃないかと。もし後者なら、それに気づかせてくれたあの人が僕の前から居なくなったって、意欲は減ることはあるまい。

 

 

 

そのいろいろを踏まえて、愛に溺れるな 自戒