弾けないところがある所偽で自分が表現したいものが表現できてなかった。
だから悔しかった。
こんなんで試験なんて迎えるものか、と思った。
だから練習した。
でも手首の痛みは引かず、弾けないままだった。
そんな時ピアノの先生のある言葉を思い出した。
鍵盤のできるだけ近くで弾いたらいい
なるほど、と思ってその時はそう弾いてみたけど、もしかしたら今の状況でも適応できるかもしれない そう思って意識を変えてもう一度弾いてみた。
すると驚くほど手首の力が抜けて、自分がしたいクレッシェンド、自分が強調したい音を自由にコントロールできるようになった。
ピアノには練習と、少しのアイデアが大事なようだ と悟った、それは試験の3日前だった。
そして試験前日。
違う友達の演奏を聴いた。
その演奏を聴いている間、ミスタッチなどを心配する必要など無く、その人の表現に聴き手が没頭できた。
正直音が自分と違う、いや当たり前だ、人それぞれ音色は様々だがなにかそれじゃないものが違う。
音の出し方、なんじゃないか。
僕はこの差を埋めたいと強く、切望した。
猫でも同じ音が出るピアノ。
だけど出し方一つ気持ち一つで心に届く音が全く違う。
そしてミスタッチなどを心配する必要の無い、それに意識を向かせない演奏。
僕はこの子の良いところを自分のものにして素敵な演奏をしたい、そう思った。
他の人と比べるな、とよく音楽界隈では言われる。
しかし僕は他の人の演奏と自分の演奏を比べて悲しくなっているわけではない。
あの子の良いところを自分のものにして、一つ上の自分に、一つ上の自分の音楽を奏したいと思ったのだ。
これは比べているわけではない、もうワンランク上の自分になれると意気込んでいるのだ。
それを実行するのが明日の試験が終わった後すぐから、春休み中なのではないか。
だからといって僕は英語も哲学も諦めてはいない。
それらも僕の演奏の血肉になるのだろうから、欠くことのできない大切なものたちだろう。
案の定、春休みになるとみんながみんな遊び出す。海外の人たちはこの島国は働きすぎだ、少し遊んだ方がいいと言う。でも僕は今このときを一種のチャンスだと思っている。追い越せるチャンス、肩を並べるチャンス。春休み中の僕の一日は、ほぼいつも通りの時間に起きる朝から始まった。
そんなこんなで携帯のカレンダーは12日を赤くマークする。頑張らなきゃ。